【今週の紙面の主なニュース】(2020年8月15日号)

(1)新学期から学校再開 1面
(2)平和の鐘を鳴らすのは 1面
(3)ピート・ハミルさん死去 1面と10面
(4)トップ・オブ・ザ・ロック再開 2面
(5)イケメン 夏はボールドストライプ 3面
(6)旗とマスクでロックフェラー 4面
(7)NY広範囲で大停電   5面
(8)夏の水分補給大切に  8面
(9)広島長崎平和式典   9面
(10)ニューヨークの魔法 11面

新学期から学校再開

NY州、市が揃ってGOサイン

 デブラシオ・ニューヨーク市長は10日記者会見し「数週間前に保護者を対象に学校再開について調査したところ、保護者全体の74%にあたる70万人以上が対面授業を含む学校再開を望んでいることが判明した」と述べ、教員全体の約85%にあたる約6万6000人の教員が対面授業と遠隔授業を合わせた学校再開を計画している」と発表した。ただし、15%の教員は遠隔授業のみを計画していることから74%の児童生徒は9月から対面授業と遠隔授業を組み合わせた(blended)形で学校に通うこととなることを正式に公表した。全面的な遠隔授業を望む26%の生徒は完全な遠隔授業を受ける。

 市長は「生徒たちはどのような形であれ安全に週5日教育を受けることになる」と述べた。これに先立つ7日、クオモNY州知事も現状1%の感染率にとどまっている限り新学期から学校を再開して良いと判断したと発表しており、州、市揃って9月からの新学期をスタートできることになった。(関連記事13面に)

平和の鐘を鳴らすのは

広島、長崎の原爆投下、終戦から75年

国連総会今年はオンラインで

 広島、長崎の原爆投下、終戦から75年の節目の年に世界を新型コロナウイルスの禍が襲った。目に見えない新たな恐怖との戦い。4か月間、世界の人々が最高の健康水準に到達することを目指す国連の専門機関、WHO(世界保健機関)は、年初中国を擁護して迷走、国際的な非難を浴びた。

 米国ニューヨークに本部を置く国連はパンデミックにより、オンライン・リモートで9月の国連総会を開催することを決めた。

 日本が1956年に国連に加盟する2年前に、一人の日本人、中川千代治なる人物の善意と行動力で寄贈された平和の鐘は、現在国連本部の日本庭園にあり、毎年、「国連平和デー」と重なる9月21日の国連総会初日に加盟各国の国連大使らが列席する中で国連事務総長とその年の本会議義長が鳴らしてきた。

 セレモニー自体は国連事務局の主催だが、その幽玄な鐘の音は、日本の世界へ向けた平和を願うメッセージとしても響いてきた。

 日本政府国連代表部によると、現時点で国連事務局から今年の平和の鐘の式典への招待の連絡は受けていないという。式典が中止になる可能性もあるが、オンラインで始まる国連本会議であっても平和の鐘の音だけは変わらずに響いて欲しいものだ。日本政府国連代表部の力の見せどころだ。終戦から75年目の夏。あの鐘を鳴らすのは、今の世だからこそ。リモートでもきっと心に響くに違いない。

ピート・ハミルさん死去 米作家・ジャーナリスト

 米国を代表する作家・ジャーナリストのピート・ハミルさんが5日、ブルックリンにあるニューヨーク・プレスビテリアン・ブルックリン・メソジスト病院で死去した。85歳だった。同じく作家・ジャーナリストである弟のデニス・ハミルさんによると、1日に転倒して右腰を骨折し入院中だった。腎臓と心臓に疾患があり、死因は腎不全とみられる。

 ニューヨーク州のクオモ知事は「ピート・ハミルが亡くなったと聞いてとても悲しい。ピートは卓越したジャーナリスト、編集者、作家であるだけでなく、ニューヨークの代弁者だった。私たちは今日、かけがえのないニューヨーカーにさよならを言わなくてはならない。私は彼の遺産と仕事が生き続けることを知っている」と投稿した。

ハミル氏の死を報じる6日付NYタイムズ紙

ニューヨークを書いたピート・ハミルさん逝く

 今月5日、ブルックリンの病院で亡くなった作家でジャーナリストのピート・ハミルさんは1935年、ブルックリンのパークスロープで生まれた。両親は北アイルランドのベルファストからの移民で7人兄弟の長男だった。奨学金を得てカソリック系の名門レジス高校に通ったが経済的理由で中退。ブルックリンの海軍工廠で板金工として働いたのち海兵隊に入隊し高校教育を修了した。除隊後はコミックブック・アーティストになろうとメキシコシティーカレッジやプラット・インスティテュートで美術を学んだ。ギリシャ語新聞のアートディレクターをしていた1958年、23歳の時に投稿作がニューヨーク・ポストに掲載されるなどして編集者の目に留まり、1960年にポストに記者として採用された。

 その後は、ニューヨークを拠点に殺人、火事などの事件から60年代の都市騒動や政治問題、さらにアート、ジャズから大リーグ・ワールドシリーズなどスポーツまで幅広い分野で書いた。媒体としてはポストのほかニューヨーク・デイリーニュース、ニューヨーク・ニューズデー、ザ・ビレッジボイス、ニューヨークマガジン、エスクワイア、ローリングストーンなどでコラムを書いた。編集者としても活躍し、90年代にはポストとデイリーニューズの両方で編集長になっている。

 小説家としては、「Killing for Christ」(1968年)を皮切りに「Loving Women(邦訳:愛しい女)」(1989年)など10の小説を発表した。新聞に書いた短編は100を超える。短編集として「ニューヨーク・スケッチブック」(1980年)、「東京スケッチブック」(1991年)が書籍化されている。 シンガーソングライター、ボブ・ディランのアルバム「血の轍」のライナーノーツで1975年にはグラミー賞を受賞。ポスト紙に連載したコラム「ゴーイング・ホーム」は山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)の原作となった。

 私生活では1962年に結婚したが70年に離婚。87年にジャーナリストの青木冨貴子さんと再婚。娘2人と孫一人がいる。

 紀伊國屋書店元NY店長の市橋栄一さんの話「確か1997年だったと思います、デイリー・ニューズ編集長時代の彼をオフィスに訪ねたことを思い出していました。紀伊國屋書店創業70年記念式典会場で放映するビデオ制作のため、青木冨貴子さんとお二人のインタビューを撮影させて頂きました。常盤新平さん訳の『ブルックリン物語』(ちくま文庫)、再読しようと手にしました。青木さんとは、この5月半ばにピートさんのお体の調子も交信していました。ニューヨーカーにとても愛された作家(ジャーナリスト)、寂しく思います。青木さんには、お悔やみのメール送信しました。ピートさんのご冥福をお祈りいたしております」。

トップ・オブ・ザ・ロック展望台 5か月ぶりにオープン

 3月から閉鎖されていたロックフェラーセンターの「トップ・オブ・ザ・ロック展望台」が6日、5か月ぶりにオープンした。ロックフェラーセンター屋上にある展望台からマンハッタンの眺望が360度楽しめると観光客に人気の場所だ。同施設マネージング・ディレクターのEB・ケリー氏は「サマーキャンプが中止となった子供たちに家族で訪れてほしい」と話している。また、14日(金)から16日(日)までの3日間、エッセンシャルワーカーとそのゲスト1人が無料で入場できるイベントを開催し、ベン&ジェリーズのアイスクリームも提供される。安全対策として施設内に多くのハンドサニタイザーを設置し、来訪者にはフェイスマスクの着用と他者との社会的距離を取ることが求められる。

 営業時間は午後1時から9時まで。入場料は大人38ドル、シニア36ドル、12歳未満はレイバーデーまで無料。チケットは事前に時間指定し購入する。詳細はウェブサイトwww.rockefellercenter.com/を参照。

夏は半袖ボールドストライプ

イケメン男子服飾Q&A 84
ケン 青木

 夏の暑い盛り、今回は綿や麻の布地の半袖シャツ、それもボールド・ストライプについてです。前回「コロナ不況」にも巻き込まれてのブルックス・ブラザーズ社のチャプター11申請について書きましたが、以前も触れましたがボタン・ダウンシャツは同社の発明商品であり、19世紀末に至るまで男性のドレス・シャツ(ネクタイを締めることを前提のシャツ)はハードカラーそしてハイカラーで、シャツの襟と袖はディタッチャブル、取り外し式だったのでした。しかも襟と袖をグツグツと鍋で煮て糊に漬け込むのです。正に「カッチカチやで」の仕上がりとなり、肌のデリケートな男性にとっては拷問、夕方には首筋が擦れて真っ赤になって「エライコッチャ」。

 今日でもボタンダウンのシャツによく使われるバスケット編みで、バイアス方向に伸縮性があるオックスフォード地がスコットランドで発明されたのもこの時代、当時の感性、特に英国内においてはアクティブな用途、即ちスポーツ用素材と見做されていたのです。そうなんです、経済的上昇エネルギーで「パンパンやで」の活動的、さらには英国に対する自信さえ芽生え始めていた19世紀末のアメリカで真に望まれていたのが英国の伝統を踏襲しつつも、アメリカの新しい価値観とテクノロジーで、新世紀である20世紀に向けて改革したモノだったのです。そうした思想、哲学を体現したモノの一つが正にボタンダウンシャツだったのであり、半袖のシャツだったのだと。あの糊と固〜い芯地で「カッチカチやで」だったシャツが、襟と袖口が身頃と一体化した上、芯地が薄く、肌に優しく一日中着ても首が赤くならない、これが男性にとってどれほど革命的であったのか私たちには想像がつかないほど。アメリカ人男性のシャツのノースターチ好きも実はこの辺りからなのですね。

 もう一つ、後に日本で天竺、鹿の子などと呼ばれることになるコットン・ジャージー、コットン・メッシュなどポロシャツに用いられる素材、ニット地の登場はあと四半世紀、ルネ・ラコステの登場を待たないといけませんでした。そして夏をカッコよく快適に過ごすためにアメリカ人ならではの発想で創られたのが布帛(ふはく=織物)の半袖のスポーツ・シャツだったのでした。それまで紳士はどんなに暑くても長袖。今、再び話題のレット・バトラーだって半袖なんか着れませんでした、腕まくりが関の山(笑)。半袖がOKとなったのは20世紀に入ってからのマイアミを中心としたリゾート地。南国フロリダの強い陽射しに、鮮やかな色合いの派手な、即ちボールドなストライプ柄の半袖シャツが映えたのでした。こうした空気は時の流れと共に西海岸へ。1960年代、ボールド・ストライプの半袖ボタンダウン・シャツが大人気に! 火付け役はザ・キングストン・トリオやビーチ・ボーイズらミュージシャン。ボールドなストライプは本来チーム・スポーツで識別がしやすいのが本質なのですが、一人で着てもいい意味で目立つもの。白×ブルーやグリーンのボールド・ストライプの半袖ボタンダウン・シャツにホワイトやベージュのコットン・パンツを合わせたり、ジーンズでも。足元にはクラッシックなローファーやスニーカーを。こうした清潔感ある装いで暑い夏を見た目も爽やか、颯爽と過ごしたいものですね。それではまた次回。

 けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス.カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ。

旗とマスク

ロックフェラーセンター
Flag Project

 ロックフェラーセンターの旗は、特立記念日には星条旗、プライド週間にはレインボーカラー、ホリデーシーズンにはゴールドとシルバーで彩られるが、現在同センターを取り巻く旗は世界1000の公募から選ばれた様々なデザインの旗が並ぶ。同場所を運営管理する不動産会社、ティシュマン&スペア社が地域との心の交流を求めて企画したアートプロジェクト。展示は今月16日まで。ギリシャ神話の金色のプロメテウス像も今はマスク着用だ。

NY広範囲で大停電

イサイアス直撃

6日間停電の食料品店悲鳴

 熱帯性暴風雨(トロピカルストーム)のイサイアスが4日に東海岸を縦断し、強風による倒木などで電線や変圧器など配電システムが破損、至るところで停電が発生した。ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット州のトライステートでは140万を超える世帯が停電に見舞われるなど2012年のハリケーン・サンディー以来の最悪の災害となった。

 ニューヨーク市は比較的停電被害はなかったが7日朝になってアッパーウエストサイド、ハーレムおよびアッパーイーストサイドの合計約18万世帯が停電した。停電は7日午前5時15分に発生し、地下鉄の運行にも影響が出た。またクイーンズのミドルビレッジとウッドサイドの合計約7000世帯も一時停電した。電気会社のコンエジソンによれば送電に問題があったとされ数時間後にはほぼ復旧した。 

 8日になっても市内の2万7000世帯、ウエストチェスター郡でも4万4000世帯の停電が続いた。コンエジソンは、テキサスやフロリダからも技術者を派遣させて復旧にあたったが、10日になってもクイーンズなど市内とウエストチェスター合わせ数百世帯で停電が続いた。

 ウエストチェスター、ハリソンの日系食料品店おいしんぼは、4日午後1時過ぎに停電。同日中に電気が店の半分戻ったが弱電で冷蔵庫や冷凍庫の中のものが溶け出したので翌日冷凍食品を全品半額で販売。日本人の主婦たちが応援して100人近くが駆けつけてくれて1日で完売したが被害総額は1万ドル以上に上った。電気は停電から6日後の9日午後7時過ぎになってようやく戻った。店主の高田英紀さん(50)は「ハリケーンサンデーの時は停電は1日だけだった。被害はあの時以上。保険でカバーできるかどうか分からないけどなんとか復帰します」と話していた。

 コンエジソンによれば、電線などを地下に埋設するには莫大な費用がかかるが、スマートスイッチを設置すると被害が数百世帯ごとに分散できるため大規模停電を避けることが可能という。

写真:停電6日目にやっと電気が付いて喜ぶ高田さん(9日午後7時過ぎ、三浦良一撮影)

夏の水分補給で健康な毎日

朝、昼、晩に何を飲めばいいのか
日本人の生活の知恵と工夫を

 まだ暑い日が続きますが、くれぐれも水分補給を怠らないように!とは言え、いつ何を飲んだらよいのでしょうか?身近にある水分を検証しながら、夏の水分補給をおすすめさせていただきます。

△寝起き時:「ポカリスエット」がおすすめ!=スポーツ時の水分補給がポカリスエットの主目的だが、夏は就寝中にも意外に汗をかくので、朝の水分とイオンの補給に適している。

△昼:沖縄のハーブティー 「神様のおくりもの」がおすすめ!=沖縄県で長年愛飲されているハーブを8種類ブレンドした優れもの。デトックス作用があるドクダミを中心に、クミスクチン、霊芝、抗ウイルス作用がある月桃も配合しました。抗酸化作用や豊富なミネラルをたっぷり含んだカフェインフリーのブレンドハーブティーです。冷やしても、熱いうちに飲んでもどちらでもOK。昼の活動中に常備しておいていつでも飲むとよし。免疫力も高まる。NY農場フレッシュで購入できる。

△暑い日:「甘麹ドリンク」がおすすめ!=江戸時代に夏の暑さで亡くなる人が多かったことで、幕府のお達しで、飲む点滴甘麹ドリンクを江戸中を売り歩いたそうだ。暑い日の外出から帰宅した際に飲むと元気になることうけあい。

△食事時:「白湯」 がおすすめ!=何も入っていないただのお湯。インドの伝統医学アーユルヴェーダでは、15分とか30分とかお湯が半分になるくらい沸騰させるそうですが、ただの『水』が、『火』でぐつぐつ沸騰させることで、『風』の質も加わり、より多くの酸素が水に入るので、自然界を構成する3つのエネルギーが完全に整った完璧な飲み物になります。やかんにくみおきの浄水を入れて、沸騰したら蓋をあけて10分ほど沸騰させる。それを飲めるくらいに冷ましてから召し上がれ。体の中は温まり、外側は涼しくなる。そして、味も不思議とおいしい!

△就寝時:「麦茶」がおすすめ!=カフェインが含まれていないので、就寝前ののどの渇きに最適。また、幼児用の飲み物としても適している。

 暑い日は、ついつい冷たくて甘いものや炭酸系の飲料を飲みがちですが、これらの飲み物を上手に活用いただき、2020年のNYの夏を乗り切りましょう!(NY農場フレッシュ/等々力雅彦)

広島、長崎市長に 原田さんNY市長の親書

-NY平和ファウンデーション-

平和式典日本と結ぶ

 NY平和ファウンデーションによる「被爆75周年インターフェイス平和の集い」広島・長崎原爆犠牲者追悼・平和祈念イベントがニューヨーク、長崎、広島をオンラインで繋ぎニューヨーク時間の8月5日から9日の間、4回にわたって開催された。

式典にビデオ参加する田上長崎市長

 このイベント、NY平和ファウンデーション代表の中垣顕実法師が1994年から始め、今年は27回目を迎え各宗教の代表者が平和の祈りを捧げた。

 出席者は日本人をはじめ欧米人、バングラディシュ人、タイ人、中国人、韓国人、チベット人、カンボジア人、スリランカ人、ユダヤ人と様々な国より参加し、共に平和・原爆について考える機会となった。

 イベントでは、過去を振り返り、未来を迎えるにあたり、8名の宗教者による平和宣言が行われた。

 また、松井一實広島市長、田上富久長崎市長、ニューヨーク市長からのメッセージは、参加者の平和への願いを強める言葉であった。

 原爆写真展・音楽・寸劇が行われ、ひろしま平和文化大使の原田真二、ニューヨークの石榑雅代、広島のソプラノ歌手アリータ・アンカオらによる平和コンサートを行い、ベニー大山、植田あゆみ、Yagull、杉山奈穂子、梨乃(Heiwa Peace Band)がYouTubeライブを行った。

松井広島市長(右)にNY市長のメッセージを手渡す原田さん(左)

 一人一人さまざまな形での平和の伝え方があり、それは必ず世界を結ぶ強い絆となる。争いのない生活が脅かされることのない毎日を。そんな願いをイベントを通して発信した参加者たちは、強い絆で結ばれた事だろう。また、2015年から平和のメッセージを募集し元安川に流す「オンライン灯ろう流し」は、コロナの影響で今年は川に流すことが中止されたが、平和ピースファウンデーションでは、例年通り時間を定めてメッセージを募集し、YouTube(https://youtu.be/BboZakVjIiw)にあげた。(河野梨乃)

(写真:国連本部を臨むイーストリバー、クイーンズ区ロングアイランドシティーで毎年追悼の灯籠流しが行われる場所を背景に式典をリモート主催する中垣法師)

敵国、日本を訪ねて

ニューヨークのとけない魔法 ⑦
岡田光世

 反日感情を抱いていた元米国軍人ね。それは私ですよ。

 今からもう二十年前、日本の全国紙の日米姉妹都市についての特集で、そういう人がいると知って、調べていた。ケン・ウッドさんを探し当て、初めて電話で話したとき、彼は静かにそう語った。

 その七年前、姉妹都市提携の調印で高知県土佐清水に行くための費用を、マサチューセッツ州フェアヘーブンの町が出すことに、住民の会議で決まった。当時、都市行政委員だったウッドさんは、土佐清水行きのメンバーの候補に上がった。

 でも、第二次世界大戦中、ミッドウェーで戦い、たくさんの友人を亡くした彼は、日本に行くことを頑かたくなに拒んだ。

 フェアヘーブンでそういう思いを抱いている人は、彼だけではなかった。姉妹都市の活動でホームステイを引き受けるのはいい。でも、日本人だけはごめんだ、と言い張っていた人もいた。日本に対する憎しみから、日本車に乗らない人もいた。

 私は海軍で、祖国のために戦ったことが誇りです。多くの軍人のように、日本を憎んでいました。今でも真珠湾攻撃を忘れることができないし、そのことで日本人を許すことはできない。私はこれまでずっと、この憎しみを胸に抱いてきたのです。 

 同じように軍人だった父親が、ウッドさんを説得した。 

 お前の気持ちはよくわかる。だが、一度、日本に行って、その目で今の日本を見てきたらどうだ。

 ウッドさんはついに折れ、ほかの十四人とともに日本へ向かった。

 あの日本人など信用できるものか。そう思い続けていたんです。

 船が土佐清水の港に近づいた。こちらに向かって、日本人の老人たちが立っているのが見えた。片手に杖を持ち、もう一方の手で星条旗の小旗を振っている。自分たちの到着を、歓迎している。

 子どもたちも無邪気な笑顔で、星条旗と日の丸を振っていた。

 白い手袋をはめた消防隊員らが、自分たちを迎え入れてくれた。

 警察官たちは、すぐそばに付き添い、エスコートしてくれた。

 私の日本人への憎しみは、潮が引くように、すっと消えていきました。土佐清水で、老人に出会えば駆け寄ってその手を握り、子どもを見かけると抱き上げてほおずりをし、私は何度も涙ぐんでいました。

 目の前の日本人は、自分たちが戦った敵ではなかった。 

 滞在中、ウッドさんら一行は、土佐清水市の市長の自宅に招待された。

 市長は私のところにやってくると、頭を下げて謝ったのです。

 私は、第二次大戦で、戦闘機に乗っていたひとりです。本当に申し訳なかった、と。

 何を言っているんですか、とウッドさんは市長の肩に手をやった。

 It’s all over now.

 すべてもう、終わったことじゃないですか。

 市長は私を強く抱きしめました。彼の目からは、涙が流れていました。

 その後、フェアヘーブンの一行を乗せたバスが、星条旗と日の丸をはためかせて、高速道路を走っていたときのことだ。バスが近づくと、道路を工事していた工夫たちが、かぶっていた帽子を脱ぎ、拍手で彼らを歓迎してくれた。

 そのなかにひとりだけ、自分たちに背を向けた男がいた。ウッドさんと同年配だった。

 私はそれが気になって、バスガイドに頼んで、その人に理由をたずねてもらいました。

 その人はバスガイドに、自分は第二次大戦で兄弟を失くしたんです、と話しました。

 そして、私たちのバスの前にはためいていた星条旗を指さして、俺はあいつが嫌いなんだ、と言って、にらんだのです。

 日本人にも同じように、忘れられない辛い思い出があることを、私は初めて実感しました。 

 今、私は、大切な息子たちを失った日本人の母親ひとりひとりのほおに口づけをして、すまなかった、と謝りたいのです。

 別れの日、彼らを乗せて遠ざかっていく高速艇に向かって、いつまでも手を振り続けている土佐清水の人たちに、ウッドさんも見えなくなるまで手を振って応えた。

 このエッセイは、シリーズ第8弾『ニューヨークの魔法のかかり方』に収録されています。40万部突破の「ニューヨークの魔法」シリーズ(全9巻)は文春文庫から刊行されています。

https://books.bunshun.jp/list/search-g?q=岡田光世

その17:ミズーリの街でマイナーリーグを応援

魅惑のアメリカ旧国道「ルート66」 をフォーカス

 ルート66ファンの皆さん、こんにちは! 日本列島は7月最終週より順次梅雨明けとなり、酷暑の様相を呈してきました。もちろん東京も、Go Toキャンペーンのように「対象外」とはならず、しっかり35度近い毎日。熱中症に注意を!というフレーズをあちらこちらで耳にします。そんな夏真っ盛りですが、日本はもとより今年の夏は世界中でいつもとは異なる姿を見せています。とにかく旅行に制限や規制のかかる2020年は筆者の働くホテル業界もジリ貧の世界。明日をどう乗り切る、が業界の合言葉になるほど大変な時代を迎えました。このコラムもここ数か月コロナ禍の楽しくない話題ばかりで申し訳ない気持ちでいっぱいなので、今月は筆者の愛する野球の話を少ししたいと思います。

 今月の「魅惑の旧街道を行くシリーズ」シーズン③ 第17話は、筆者が2年間一生懸命応援したミズーリ州ジョプリンにあるマイナー・リーグのお話です。

 野球と言えば先日MLBがついにシーズン入りしました。変則の1チーム60試合という短期決戦シーズンですが、ファンとしては無いよりマシ。スタジアムで実際に応援することは難しいですが、放映はされますし、スタジアムにはまる観客がいるかのようなCG効果も施され、この時代ならではという感じです。

 日本では日本人メジャーリーガーの試合が優先放映されるので、必ずしも筆者が観たい試合は少ないのですがそこは我慢。MLBTVをサブスクリプションしているので、そちらと併用して楽しんでいます。

 そのMLBの今年の目玉の一つだったのが、昨年9月に投稿した「フィールド・オブ・ドリームス」の試合です。(詳細は週刊NY生活バックナンバーでご確認ください)が、やはりコロナ禍の影響で中止が決まってしまいました。かなり直前のお知らせなのでチケットを持っていた人たちは大変と思いますが、2021年にスライドされることとなりました。今年はセントルイス・カージナルスとシカゴ・ホワイトソックスの試合予定でしたが、来年はどうなるのでしょうか。

 中々話はルート66に行きませんが、メジャーの野球と同じく筆者はマイナーリーグも好きです。野球が「American Pastime」と呼ばれる所以はむしろマイナーリーグにあると筆者は思っています。マイナーリーグと出会ったのが2001年。ジョージア州サヴァンナでした。たまたま旅行で訪れた街で試合観戦をすることになったことがきっかけでドハマりに。数百人程度しか入らないスタジアムに家族そろっての応援。一言で言えば「心地よい」のです。選手は粗削りで成長過程ですが、いつか大きな舞台でやってやるという気概に溢れていて、初めて肌で野球の楽しさを感じたことを憶えています。

 そんなマイナーリーグ・ベースボールが我がルート66にやってきたのが2015年、ミズーリ州ジョプリンの街、マイナーと言っても「独立リーグAA」に所属したブラスターズです。この街はルート66の中でも最も好きな街の一つなので応援しない理由はありません。シーズン期間はメジャーのそれよりかなり短めですが、機会があるごとに駆け付けました。この紙面では写真で一つ一つご紹介できないのが心残りですが、街のダウンタウン内につくられたスタジアムは柵があるものの、試合がない日の出入りは比較的自由。グラウンドを歩き回ったり、芝刈り担当のお兄ちゃんと雑談できたり、さらにはダッグアウトに実際座ってくつろぐことも出来ちゃいます。この瞬間が自分にとっての「フィールド・オブ・ドリームス」と言わんばかりに試合があっても無くてもエンジョイできるこの環境は素晴らしいと勝手に絶賛しているわけです。

 2015年の初シーズン、ブラスターズは55勝45敗の勝ち越しで終わりましたが、プレイオフのチャンスは逃してしまいました。そして翌年の16年は36勝64敗と大幅に勝ち星を減らしてしまい財政困難に陥った結果スタジアム使用の費用も払えなくなり、球団と街との関係性も上手くいかず、わずか2年でブラスターズの冒険は終わってしまいました。

 マイナーリーグには常にこのお金に関わる問題は存在します。試合を観に行かれた経験を持つ読者の方は分かると思いますが、とにかくチケットが安い。ある意味それは魅力の一つなのですが、球団運営を考えたときにはやはりネックになる問題点の一つなわけです。ジャージもメジャーのチームであれば例えそれがレプリカであっても少なくとも100ドルはしますが、マイナーの場合は40ドル程度。それを意外と高いと思う方もいらっしゃるかもしれませんがファンからすれば破格なわけで。筆者はホーム用とアウェイ用、両方のジャージを今でももちろん大切に持っています(笑)。

 そんなブラスターズですが、2018年にサウスウェスト独立リーグに「ジョプリン・マイナーズ」として参加するニュースが流れました。チーム名のマイナーはマイナー・リーグのそれではなく、鉱山労働者のマイナーです。ジョプリンは元々鉱山が沢山あり街の主要財源だったのでそこからチーム名を取っていますが、実は1902年の球団創立という歴史を持つクラブで、後にヤンキースで大活躍した名手、ミッキー・マントル氏もこのチームでプレイしたのです。そのニュース以後、まだ活動は制限されているようですが、近い将来ジョプリンでまた声援を送れる日が待ち遠しい今日この頃です。それではまた来月お目にかかります!

(後藤敏之/ルート66協会ジャパン・代表)