日本と欧米の「20倍」という差を考える

あめりか時評閑話休題 冷泉彰彦

 2020年の春、コロナ禍の第一波が世界を襲っていた際に、日本の「人口あたり感染者数」は欧米に比較して20分の1以下とされていた。その際に多くの日本人は、その差を説明する要因があるとして、それを「ファクターX」と名付けて探し続けたのである。BCG説、風邪コロナ免疫説、衛生習慣などさまざまな説が唱えられた。

 約9か月を経た現在、数度の感染の波を経て欧米でも、そして日本でも感染者は信じられないほど増えた。その現時点での陽性者を比較してみると、アメリカは約2700万に対して日本は40万、死亡者においては、アメリカは46万に対して日本は6500となっている。アメリカの人口が日本の人口の約3倍であることを考えると、やはり20倍近い差がある。

 ちなみに、昨年春に議論された「ファクターX」については依然として決定的な説明は得られていない。私は結局のところ「感染症とその対策に関するリテラシー」つまり基礎知識の浸透度が大きな要因だと思っている。例えば日本で押谷仁博士や西浦博博士が発見した「3密を避けよ」という理論は、マイクロ飛沫による感染について統計的な分析をして導いたもので、日本では良く知られている。だが、アメリカの場合は、そうした知識の浸透の度合いは信じられないほど低い。

 一方で、仮にその説明が正しいとして、それには裏表があるのも事実だ。日本人の感染症リテラシーが「心配だから真面目に調べる」という習性から来ているのであれば、同じその習性が「遺伝子工学によって製造されたワクチンは敬遠したい」という態度として、反対に作用する危険もある。菅政権がワクチンの承認について、先進国中最も遅らせているのは、この日本人の習性が行き過ぎないように細心の注意を払った結果であろう。

 それにしても20倍というのは大きな差である。仮に文化的背景から来る行動様式の違い、リテラシーの違いが大きな原因だとしたら、日本と欧米にはこの「20倍」というインパクトを生むだけの大きな差があるということだ。かつての日本には、同じように文化的背景をプラスの方向に作用させて、大きな成功を収めた時代があった。1970年代には石油ショックによるエネルギー高騰と、排気ガス規制という自動車産業における逆風に対して、日本の各メーカーは独創的な技術で危機をチャンスに変えて圧倒的な成功を実現した。80年代にはこれにエレクトロニクスのハードウェアの成功も重なって行った。

 けれども以降は文化的背景がマイナスに働く時期となった。コンピュータの技術者は「潰しの利かない専門職」として管理職候補からもグループ本社の正社員のポジションからも外された。その結果が現在の絶望的な遅れになった。私立文系という数学を軽視した教育システムと、不労所得を嫌う頑迷さは金融工学とは無縁の人材を生み続けた。英語教育や異文化理解については論外である。いわば日本という文化的特質が競争力の足を引っ張る時代が続いたのだ。少子化はその結果である。少子化が経済の長期低迷の原因という説明もあるが、因果関係が逆である。

 しかしながら、日本は衰退したとは言え、やはり日本である。経済衰退と自身喪失の結果として個性を失ったのであれば、救いようはない。だが、少なくとも今回のコロナ禍において、社会的に行動の自由を保証しながら人口比での犠牲を欧米の20分の1に抑え込んでいるというのは、やはり動かし難い事実だ。経済は痛んだし、その結果、政治への見当違いの敵意が迷走している。だが、少なくとも欧米では守れなかった人命を日本はその社会的、文化的個性によって守り切っている。

 今、日本にはバブル後の「失われた30年」による経済の焼け野原が広がり、コロナ禍がそれに追い討ちをかけた。だが、1945年の日本が人材力だけを頼りに再生を果たしたように、2021年の日本にも復活の可能性はあるのではないか。コロナ後の経済と社会を考えるというのは、そういうことではないか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

邦人女性が車内で被害

メトロノース鉄道ハーレムラインで

 グランドセントラル駅で7日夕、メトロノース鉄道のハーレムラインの出発前の車両内で邦人女性が強盗未遂被害に遭った。

 NY日本総領事館によると、被害に遭った邦人は、グランドセントラル駅で先頭車両に乗車したところ、車内には4人ほどの乗客がおり、自身は6人がけの椅子に1人で座っていた。20代と思われる身綺麗な男女2人が車両に入ってきて乗客を物色して、被害者に「お前にも子供がいるだろう、わかるだろう、食べ物をくれ」と言って迫ってきた。

 被害者は物乞いを断り、身分証明書の提示を求めて警察へ通報する旨を告げ、携帯電話で男女の写真を撮影したところ、男女は逆上して被害者を罵倒し始めたため被害者は911通報したが、車掌が男女を車外に追い払ったため、警察官の臨場は要請しなかった。

 その後、車掌が他の乗務員を呼ぶために被害者の元を離れた際、先ほどの男女がホームから出発前の車両に戻ってきて被害者は加害女性に髪を掴まれて窓に頭を打ち付られてハンドバッグを取られそうになった。被害者がバッグを離さないでいると加害女性はバッグに手を突っ込み財布を取ろうとしてきた。連れの男は加害女性が財布を取ろうとする行為を驚いた様子で見ていたが、他の乗客が大声で車掌を呼ぶと男女は電車を降りホームで逃げて行った。総領事館では人の少ない車両に乗車する際は注意するよう呼びかけている。

女性蔑視発言海外に

JOC森喜朗会長
米国で相次ぎ報道

 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会(JOC)の森喜朗会長(83)の女性蔑視とも取られる発言について米メディアも相次いで報じた。問題となったのは3日にオンラインで行われたJOCの臨時評議員会での発言で、朝日新聞など日本の報道を引用して報じている。

 ニューヨーク・タイムズ(電子版)は3日、「会議での女性の制限を提案」との見出しで報道。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」といった森会長の発言を紹介した。SNSで「会場で誰も女性差別に疑問の声を上げなかったことも問題」などと激しい批判が出ていることを指摘し、辞任問題になりかねないとしている。また4日には森会長が謝罪したものの、会長辞任は否定したことも報じた。さらに10日付では国際面の紙面を半分以上割いて日本国民の半数以上が森氏は五輪組織委のトップに不適任と世論調査で答えたと報じ、有力全国紙2紙が辞任を求めているとも伝えた。テニス選手大坂なおみさんの「全くの無知」とのコメントも掲載した。

 同紙が今回の森氏の発言で特筆したのは、森氏と森氏を取り巻く関係者たちの「いつもの調子で乗り切れる」と思っている旧態依然とした意識だ。

 ブルームバーグ通信は、森会長による女性蔑視発言をニューヨーク・タイムズ紙同様、詳細に伝えるとともに、国際議会同盟(IPU)の統計を基に「日本は議会(衆院)で女性議員が占める比率が世界で166位と、パキスタンやリビアより低い。政治機構において世界で最も男性優位な国」と指摘した。AP通信は「女性を蔑視する発言で、日本で騒動を呼んでいる」と伝えた。

 ニューヨーク・ポスト(電子版)は「東京オリンピックの森会長が性差別的な苦情で騒ぎを起こす」との見出しで報じた=写真=。「女性理事は話が長過ぎて”迷惑”と受け取られる発言をしたと伝えられている」とし、具体的には「女性理事の数を増やすなら発言時間をある程度制限する必要があり、終わらせるのが難しく、面倒だ」と述べたことを紹介した。また発言の際に「笑い声が上がった」ことにも触れ、「森氏が物議を醸したのは今回が初めてではない」とし、「コロナウイルスの状況に関係なく、オリンピックを開催する」と述べたことに言及している。CNN(電子版)は4日、森会長は「会議中に女性が話し過ぎることを示唆する発言が日本のメディアに漏れた後、木曜日に謝罪した」と報じた。発言は「女性が職場や権力の地位を求めるときに定期的に性差別に直面する日本で、即時の火事を引き起こしたと報じている。世界経済フォーラムの2020年世界男女格差指数によると、日本の男女格差は「すべての先進国の中で群を抜いて最大」で、153か国中121か国にランク付けされていることを指摘した。

(写真)森会長の発言を報じる3日付NYポスト紙電子版

第10回3.11追悼式典3月7日に

ほくほく会主催
オンラインZOOMで

 ニューヨークとその近郊に暮らす東北六県と北海道出身者によって構成される連合会「ほくほく会」は3月7日(日)午後1時30分から第10回 3・11追悼式をZOOMで行う。この追悼式は2011年の震災直後から現在まで、各県がそれぞれ幹事県となり、犠牲者への哀悼の意を表し、災害風化の防止、故郷の現状理解を深めるため、毎年休まず開催している。本年度の幹事県は北海道と福島県が務める。

 式典は例年通り2部構成で、第1部ではニューヨーク総領事の山野内大使の挨拶、各県人会からの被災地報告、読経と黙祷。第2部ではほくほく会ゆかりの合唱団「JCH・とも」の歌と「民舞座」による東北の踊りを披露する。式典の後、引き続きオンラインでの懇親会がある。誰でも参加できる。開始15分前から入室できる。参加者には事前にZOOMリンクを送るので、次のメールアドレス宛に参加を申し込むこと。nyhokuhokukai@gmail.com または電話917・846・5883、竹田さん。

リトル・イタリーの朝食

常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 11

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 ニューヨークをはじめて訪れたときは、二週間の予定が出版社めぐりで終わってしまった。

 出版社やエージェンシーを何十社か訪ねたのだが、五番街にあったサイモン&シュスター社(S&S)のことはわりによく憶えている。

 受付が広くて薄暗くて、重厚な感じがした。会ってくれたのは著作権担当の中年女性で、半年後に出版予定のゲラ刷を見せてくれて、そのあと別のプルーフ(見本)をホテルに届けてくれた。

 ホテルは五十九丁目と五番街の角のプラザだった。高級ホテルに滞在したほうが「何かと便利だから」と旅行代理店にすすめられたのだ。

その後、アメリカの出版社は吸収合併を繰り返して、私などにはよくわからなくなってしまった。

 当時、私は翻訳専門出版社の編集部員で、出版界の業界誌「パブリッシャーズ・ウィークリー」(PW)を読むのが仕事の一つだった。

 仕事というよりも楽しみにしていた。

 とりわけ春秋の新刊予告を並べたぶあつい特集号が待ち遠しかった。

 アメリカは私にとってはまだ見ぬ国で、ニューヨークに行くのは、夢のまた夢だろうと諦めていた。ドルが高かった。

 幸いと勤めていた出版社がつぎつぎとベストセラーを出して繁栄し、そのおかげで私もニューヨーク出張ということになった。

 一九六七年のことだったと思う。

 ニューヨークについてはそれまでにガイドブックを集めて、それを読んでいたから、ニューヨークのことならなんでもわかるとうぬぼれていた。

 でも、はじめてのニューヨークでそのうぬぼれを打ちくだかれた。

 百聞は一見にしかずとはこのことだ。

 一九八〇年代にはいってから、ニューヨークへ行く機会がしばしばやってきた。 

 私はすでに会社勤めを辞めていて、翻訳と雑文書きに精を出していた。

 有難いことに雑誌などの取材でニューヨークを訪れる機会にも恵まれた。

 バブルの時代が来ていて、私もその恩恵にあずかることができた。

 その時代を過ぎて、海外へ出かけることもなくなり、今やのんびり温泉につかることもめったにない。

 昨今はひまができると、ニューヨークのガイドブックをひろげてみる。

 その一冊は地球の歩き方シリーズの「ニューヨーク」だが、私が所持しているのは一九九六ー七年度版だから、もうひと昔前のものだ。それでも、読んでみると面白い。

 もう一冊は「レッツゴー・ニューヨーク」の〇七年版。

 そのほかにもNYガイドブックはまめに集めたので、たくさんあるのだが、本の山から取り出せない。

 二冊のがイドブックにはもちろんリトル・イタリーが出てくる。ここは映画の「ゴッドファーザー」にも登場した。

 リトル・イタリーのマルベリー・ストリートはなんども歩いている。

 一度はサン・ジェンナロという聖人のお祭りの日だった。

 この聖人の像が街の通りを練り歩くのを見物した。

 このあたりは十九世紀半ばからイタリア人と中国人の移民が流れこんできて、リトル・イタリーとチャイナタウンができたという。

 今はチャイナタウンがリトル・イタリーまで進出してきている。

 カナル・ストリートに近いマルベリー・ストリートにあるラ・ベッラ・フェラーラというカフェでパスタとカプチーノの昼食をとったことがある。

 朝の八時ごろ西四十四丁目のホテルからタクシーを拾って行ったのだ。一人で行ったのだが、そのころにはダウンタウンもすでに安全な街になっていた。(2010年5月22日号掲載)

(写真)リトル・イタリー「ラ・ベッラ・フェラーラ」のウエイトレス(撮影・三浦良一)


常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。

東日本大震災被災地とNY結ぶ

シンガーソングライター

AKさん

 第10回トゥギャザー・フォー・3・11東日本大震災オンライン追悼式典が、3月6日にニューヨークで開催される。多大な被害と犠牲者を生んだ大震災から10年、変わらぬ思いでニューヨークから被災地に寄り添う日本人たち、ニューヨーカーたちがいる。呼びかけの中心となっているのが追悼式典を主催するフェローシップ・フォー・ジャパン、トゥギャザー・フォー・3・11の代表、AKこと柿原朱美さんだ。

 本業はシンガーソングライター、プロデューサー。UNIVERSAL MUSIC JAPANアーティスト。14枚のアルバム、200曲以上をこれまでリリースし、数々のヒット曲を生み出した。 2001年、9月10日からNYに在住し、全米デビューシングルが世界中で1位となる。昨年は2曲手がけ、咲妃みゆの「オンリーユー」が9月にオリコンでトップ10に入った。

 歌が被災地との絆を作った。東日本大震災の数日後、日本人女性の友人たちの集まりで街頭募金に立ったのがきっかけで100以上のボランティア団体が賛同してフェローシップ・フォー・ジャパンを立ち上げた。ニューヨーク日本総領事館、ジャパン・ソサエティーも協力する国家事業的イベントに拡大した。今年はコロナ禍という状況を踏まえて、オンライン追悼式ストリーミングで実施する。「離れていても心は繋がる、思いは寄せられる、祈ることはできる。コロナはいろんな自由を奪ったけれど、同時に新しいチャレンジと新しいことを生み出す力を皆さんに与えた」。東北に何度も行くうちに両親がいる故郷広島とは別に東北が第二の故郷になったという。

 少女の頃から歌手になるのが夢で、広島で小学校5年生の時に雑誌の作詞作曲の募集に応募して最優秀次席に選ばれ小椋佳から直筆の手紙が届いた。「あなたの詩には才能がある。これからも続けてください」とあった。歌手になる夢を叶えるには上京しかないと、両親を説得するためビオラで音楽大学進学を目指し日大芸術学部の音楽科に進んだ。3年の時に歌手プロデビュー。その時初めて親に「最初から歌手になるつもりだった」と白状した。父親は「わかっていたよ。自分の夢に進みなさい」と笑顔で言ってくれた。「曲作りは、パッションがある限り80になってもできる。情熱を失わない人生と向上心を忘れずに生きていきたい」と話した。追悼式典は3月6日(土)午後8時から9時まで(詳細:facebook.com/TOGETHERFOR311)。

(三浦良一記者、写真は本人提供)

クイックUSAアメリカの人事部(34)

何はなくともブランディング その2

 「ブランド」こそが、どんな時代の変化や多様化においてもブレない軸となってくれる大切なもの。それはマーケティング上のことだけでなく、商品設計、営業、人事、経営戦略などありとあらゆるビジネス活動の中で頼れる存在となります。なので、何はなくともブランディングが大切。

 商品やサービスそのものの変更や、販売方法の変更、取引先や顧客ターゲットの変更など。未来を想像し何が正解なのかを考える時も、しっかりとした「ブランド」があればそれを拠り所にした形でピボットさせることが容易になります。

 そして、ブランディングを行うメリットは?と言えば、こんなものがあります。

・価格競争をしなくてもよくなる

・顧客ロイヤリティが強い価値となる

・高単価な商品も売りやすくなる

・取引先との交渉が楽になる

・顧客のファン化により新規事業がしやすくなる

・優秀な人材を確保しやすくなる

・働くスタッフのモチベーションも上がる

 「ブランド」は一朝一夕で創られるものではありませんが、しっかりしたものを創ることができた場合は、今回のコロナ禍の様な大きな変化にも対応できる強さに繋がると言えますよね。    

では、どうやってブランドを創ればいいの?

 そのヒントとしていくつかの質問を投げかけてこのコラムを終わりにしたいと思います。

 あなたのビジネス(そのブランド)が一人の人間だとしたら、と仮定して答えてみてください。

(1)どんな外見ですか?

(2)どんな性格ですか?

(3)どんな話し方をしますか?

(4)何に幸せを感じますか?

(5)絶対にしたくないことはなんですか?

(6)実現したい夢はなんですか?

 ブランドイメージが固まったあとは、業界内でのポジショニングやベンチマーク、ターゲット消費者の定義やペルソナの設定などを行い、ブランディングを進めます。    

(板倉光孝   Zero-Hachi Rock  CEO)

www.919usa.com

クイックUSAアメリカの人事部(33)

何はなくともブランディング その1

 2021年、巷では地球が250年ぶりに迎えるパラダイムシフト「風の時代」の幕開けと言われています。今まで続いてきた「地の時代」からの大きな移り変わり。物質的な豊かさや生産性・安定などに象徴された時代から、知性や繋がり・自由や革新という流動的で捉えにくいものに価値が見出される時代へ変化するとのこと。

 大量生産・大量消費こそが経済を回し安定させるために目指すものと信じられ、生産性を最も重要視した産業革命以降から現代までが、「地の時代」だったんですね。

 そう言われてみれば、奇しくも2020年のコロナ禍によってその変化が浮き彫りになった気もします。リモートワークの普及により、固定されていた働く場所や働く時間はより自由になり、副業も含め働き方も多様化しました。

 そして、テクノロジーの発達により時代の変化スピードも年々加速していると考えると、固定されたものから流動的になっていく「地」から「風」というイメージもなるほどなぁと思ったりもします。

 日々大量の情報が飛び交う世界で、追いつけないほどの時代の変化に伴って企業側も提供する商品やサービスを変化させていく必要がありますよね。このコロナ禍においても、いかに早くデジタルシフト等に対応し変化できたかが業績に大きく影響したと言えます。今後もさらに予測しづらい未来が続きそう。そこで大切なのが「ブランド」。

 やっと本題、「何はなくともブランディング」というお話。    

まずブランドとは?

 私なりに一言で言うならば、「他と区別されたそのブランドが持つ独特の概念・本質」となります。短略的に言えば、ビジネス上の事業コンセプトと言ってもよいかと思いますが、それよりももう少しお客さんとの対話や関わり方、共感や長期的な関係構築なども含まれる感じ。その「独特の概念」は、お客さんと一緒に作り上げていくことで完成形に近づくようなイメージでしょうか。そう考えると、そのブランドを理想に近づけ完成形に導く行動をブランディングと呼べますよね。(つづく)

(板倉光孝   Zero-Hachi Rock  CEO)

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編集後記 2月6日号

編集後記

 みなさん、こんにちは。クオモ・ニューヨーク州知事は1月29日、現在の新型コロナウイルスの検査陽性率を維持した場合、今月14日から定員の25%で店内飲食の再開を許可すると発表しました。「客数がまったくのゼロよりも25%の方がましである。この陽性率を維持すればバレンタインデーにニューヨーク市内の店内飲食を再開する」と述べました。国政レベルでは2回目の給与補償プログラムPPP受付が始まり3月31日が締め切りです。従業員平均給与の2.5倍、レストラン・ホテルは3・5倍を返済免除のローンを受けられます。個人レベルでは昨年は国民1人1200ドルが現金支給され、今年はすでに600ドル、それの追加1400ドルの2000ドルがまもなく支給完了します。国民1人に3200ドル。夫婦合算申告なら6400ドルの現金支給です。これだけのことをしているからレストランも個人もなんとか文句も言わすに耐えていられます。日本はどうでしょう。緊急事態宣言下で、「銀座クラブ通い」をしていたことが発覚した公明党の遠山清彦衆院議員が1日、議員辞職、大塚高司、松本純、田野瀬太道の国会議員3氏が自民党離党。「銀座のバー」で支持者の話を聞いたこと、会合を開いたことが「銀座のバー通い」となり、遠山議員に至っては支持団体の婦人部から「国民が我慢して耐えている時に、女の人を横に座らせて楽しい思いをしていたなんて許せない」というような厳しい苦情があり「選挙を応援できない」といわれたそうです。「銀座のバー」だからだめなのか。アメリカならきっとニュースにもならないでしょうね。法律を犯していないんですから。「不要不急の外出はしないが、必要と判断して自己責任で行った会合の一体どこがいけないのか」と開き直るかもしれません。夜の会食が諸悪の元凶とするなら1店舗6万円ではなく、従業員の給与を米国のように補償した方が良いんでではないかとテレビを見ていて思いました。でも国のお財布を持っている元締めのドンは「あなたたちの子供たちに借金を背負わせていいんですかね」と言って現金支給は無し。どうでもいいことに神経すり減らしているより、出すべきものをきちんと出して、国民総意のもとでコロナ自粛した方がいいのではないかと遠いNYの外野席からオペラグラスを覗きながら思った次第。それではみなさん、よい週末を。(三浦良一、週刊NY生活発行人兼CEO)

【今週の紙面の主なニュース】(2021年2月6日号)

(1)大統領令を乱発に批判

(2)レストラン25%店内

(3)フィッシャーマンズ・セーター

(4)コロナ検査自販機登場

(5)日本映画20年のベスト

(6)フレッド・コレマツ記念日

(7)人気店ピンクのベーグル

(8)NYスキー場情報

(9)NY生活ウーマン

(10)地下鉄で通う編集長

大統領令を乱発

野党「議会通して」NYタイムズ紙も苦言

 バイデン大統領は1月20日に就任すると、その日のうちに世界保健機構(WHO)への復帰など17の大統領令や布告などに署名(前号既報)、その後も25日に連邦政府機関による米国製品の購入を増やす大統領令に、27日に気候変動対策関連の大統領令に、28日には医療保険制度「オバマケア」の拡充や人工妊娠中絶を支援する団体への援助を可能にするよう命じる文書に署名した。29日までに25もの大統領令などに署名し、これらに基づく権限行使は40以上に上る。トランプ前大統領の就任時よりも多いペースとなっている。

 1月27日付ニューヨーク・タイムズ紙は「ジョー、大統領令を緩めよ」と題した社説を掲載、大統領令に頼るのではなく、重要な政策変更については議会を通じ法律を制定してやるべきだとバイデン大統領を批判した。

 連邦下院は民主党が過半数を制しているが、上院は共和党と同数の50議席でハリス副大統領が議長になるため過半数となるに過ぎず、法案採決を阻止する議事妨害「フィリバスター」を避けるために必要な60議席には届いていない。ニューヨーク・タイムズは、「二極化し、わずかの差で分割された議会では、行政措置を採用するか、議題が人質に取られるかのどちらかの選択肢しかないのかもしれない」と理解を示しつつも、「大統領令は政府に指針を提供することを目的にしており、既存の法律や憲法によって与えられた裁量の範囲内で行使されるべきものだ。新しい法律を作るわけでない」と苦言。また野党共和党から「行き過ぎであり、国の結束を求めるという公約を裏切ったとの非難が出ている」と指摘するなど大統領令乱発に「調子に乗るな」と言わんばかり。

 バイデン大統領は、議会での法案成立を経ず実行できるため大統領令を多発しているとみられる。大統領令は大統領が変われば簡単に変更できる。また連邦議会で大統領令を覆す法案が成立したり、裁判所が認めない場合は無効となる。

レストラン店内25%バレンタインデーから

 クオモ・ニューヨーク州知事は1月29日、現在の新型コロナウイルスの検査陽性率を維持した場合、今月14日(日)から定員の25%で店内飲食の再開を許可すると発表した。

 クオモ知事は、1月5日の陽性率が7・1%で、現在は4・9%まで下がったことを「山を越えたという良い指標だ」とし、「客数がまったくのゼロよりも25%の方がましである。この陽性率を維持すればバレンタインデーにニューヨーク市内の店内飲食を再開する」と述べた。

 また同州知事は、同州内の結婚式についても、式場の収容率を50%または参加者を最高150人に制限し、地元の衛生局の承認があれば3月から執り行っていいことを伝えた。

 一方で、感染率や死亡率が再び上昇したなどの場合は「方針内容を変更する可能性はいつでもある」と警告を促した。 

 クオモ州知事は発表に先立つ27日、ホリデー期間で急増した感染者数が落ち着き、陽性率や入院患者数が減少し始めたとして、一部の地域を除き規制を解除すると発表し、この時点で、市内の店内飲食を再開する可能性を示唆していた。