日本と欧米の「20倍」という差を考える

あめりか時評閑話休題 冷泉彰彦

 2020年の春、コロナ禍の第一波が世界を襲っていた際に、日本の「人口あたり感染者数」は欧米に比較して20分の1以下とされていた。その際に多くの日本人は、その差を説明する要因があるとして、それを「ファクターX」と名付けて探し続けたのである。BCG説、風邪コロナ免疫説、衛生習慣などさまざまな説が唱えられた。

 約9か月を経た現在、数度の感染の波を経て欧米でも、そして日本でも感染者は信じられないほど増えた。その現時点での陽性者を比較してみると、アメリカは約2700万に対して日本は40万、死亡者においては、アメリカは46万に対して日本は6500となっている。アメリカの人口が日本の人口の約3倍であることを考えると、やはり20倍近い差がある。

 ちなみに、昨年春に議論された「ファクターX」については依然として決定的な説明は得られていない。私は結局のところ「感染症とその対策に関するリテラシー」つまり基礎知識の浸透度が大きな要因だと思っている。例えば日本で押谷仁博士や西浦博博士が発見した「3密を避けよ」という理論は、マイクロ飛沫による感染について統計的な分析をして導いたもので、日本では良く知られている。だが、アメリカの場合は、そうした知識の浸透の度合いは信じられないほど低い。

 一方で、仮にその説明が正しいとして、それには裏表があるのも事実だ。日本人の感染症リテラシーが「心配だから真面目に調べる」という習性から来ているのであれば、同じその習性が「遺伝子工学によって製造されたワクチンは敬遠したい」という態度として、反対に作用する危険もある。菅政権がワクチンの承認について、先進国中最も遅らせているのは、この日本人の習性が行き過ぎないように細心の注意を払った結果であろう。

 それにしても20倍というのは大きな差である。仮に文化的背景から来る行動様式の違い、リテラシーの違いが大きな原因だとしたら、日本と欧米にはこの「20倍」というインパクトを生むだけの大きな差があるということだ。かつての日本には、同じように文化的背景をプラスの方向に作用させて、大きな成功を収めた時代があった。1970年代には石油ショックによるエネルギー高騰と、排気ガス規制という自動車産業における逆風に対して、日本の各メーカーは独創的な技術で危機をチャンスに変えて圧倒的な成功を実現した。80年代にはこれにエレクトロニクスのハードウェアの成功も重なって行った。

 けれども以降は文化的背景がマイナスに働く時期となった。コンピュータの技術者は「潰しの利かない専門職」として管理職候補からもグループ本社の正社員のポジションからも外された。その結果が現在の絶望的な遅れになった。私立文系という数学を軽視した教育システムと、不労所得を嫌う頑迷さは金融工学とは無縁の人材を生み続けた。英語教育や異文化理解については論外である。いわば日本という文化的特質が競争力の足を引っ張る時代が続いたのだ。少子化はその結果である。少子化が経済の長期低迷の原因という説明もあるが、因果関係が逆である。

 しかしながら、日本は衰退したとは言え、やはり日本である。経済衰退と自身喪失の結果として個性を失ったのであれば、救いようはない。だが、少なくとも今回のコロナ禍において、社会的に行動の自由を保証しながら人口比での犠牲を欧米の20分の1に抑え込んでいるというのは、やはり動かし難い事実だ。経済は痛んだし、その結果、政治への見当違いの敵意が迷走している。だが、少なくとも欧米では守れなかった人命を日本はその社会的、文化的個性によって守り切っている。

 今、日本にはバブル後の「失われた30年」による経済の焼け野原が広がり、コロナ禍がそれに追い討ちをかけた。だが、1945年の日本が人材力だけを頼りに再生を果たしたように、2021年の日本にも復活の可能性はあるのではないか。コロナ後の経済と社会を考えるというのは、そういうことではないか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)