第19回ストーニー・ブルック日本センター主催エッセイ入賞者を表彰

高校生大学生を対象に
ロングアイランド地区で

日本研究の中心に

 第19回ストーニー・ブルック日本センター主催、キヤノンUSA後援のエッセイ・コンペティションの表彰式が4月20日、ストーニー・ブルック大学校内のチャールス・ワン・センターにて行われた。

 尾島巌ストーニー・ブルック日本センター理事長によるストーニー・ブルック日本センターの紹介のあと、小林伊三夫キヤノンUSA社長、森和也ニューヨーク日本総領事館ジャパン・インフォメーション・センター長から受賞者への祝辞が贈られた。

 引き続き賞状、賞金、副賞のキヤノンのカメラなどが各受賞者に授与され、入賞者は各自の作品を朗読し、参加した家族、友人知人、関係者から盛大な祝福を受けた。式の後のレセプションでは入賞者を囲んで参加者は軽食を取りながら歓談しラッフルなどを楽しんだ。

 賞金賞品は、高校の部第一位最優秀賞は賞金3000ドル並びに日本国総領事特別賞、第二位は賞金1500ドル、第三位は賞金1000ドル、内田メモリアル賞は賞金1000ドルと夫々に副賞のキヤノン製品が手渡された。

 入賞者と入賞作品は次の通り。

【高校の部】

最優秀賞第一位、日本国総領事特別賞

Talia Beck (タリア・ベック)

“Reflections”

Hunter College High School(ハンター・カレッジ高校)

第二位

Anderson Maziero(アンダーソン・マジエロ)

“The Sound of Drums Behind a Stage”

Bethpage High School(ベスページ高校)

第三位

Arihunt Garg(アリハント・ガーグ)

“Embracing the Harmony of Silence”

The Brooklyn Latin School(ブルックリン・ラテン高校)

【大学の部】

最優秀賞

該当者無し

内田賞

Marisa Yamamoto(マリサ・ヤマモト)

“Sparks of Identity”

Syosset High School(サヨセット高校)

入賞作品はhttps://www.stonybrook.edu/commcms/japan/programs/essay-comp.phpに掲載。

(写真)

上段左から(敬称略)

佐藤恵里子(実行委員長)、尾島巌(ストーニーブルック日本センター理事長)、小林伊三夫(キヤノンUSA社長)、森和也(ニューヨーク日本総領事館ジャパン・インフォメーション・センター長)

下段左から(敬称略)

高校の部第三位:Arihunt Garg(アリハント・ガーグ)、第二位:Anderson Maziero(アンダーソン・マジエロ)、最優秀賞第一位、日本国総領事特別賞:Talia Beck (タリア・ベック)、内田賞:Marisa Yamamoto(マリサ・ヤマモト)

若手社員が交流

日系3団体が共催

134人参加で大盛況

 ニューヨーク日本商工会議所、日本クラブ、ニューヨーク日系人会(JAA)の日系3団体が合同で4月18日、初の「若手社員のための交流会」を日本クラブで開催し、日本企業に勤める若手駐在員を中心に約134人が参加した。 

 このイベントは、異業種他社の同世代の人との交流の場を設けることによって、各分野の人材が、それぞれの業務の中で培った知識やノウハウ、スキルや経験を共有し、仕事で抱えている問題への解決の糸口や、キャリアの一層の成長に役立てることを目標とした、ヤングプロフェッショナルのための交流会。

 まず初めにパネルディスカッションが行われた。ピアニストの角野隼斗(すみの・はやと)さんと日本テレビ記者の松岡志保さんにモデレーター司会進行役の遠藤祐希さんが質問した。現在国連担当記者を勤める松岡さんは2014年から日本テレビニューヨーク支局報道プロデューサー。ロシアがウクライナ侵攻を開始した際には1年間で3回ウクライナ国境に赴き現地取材した時の激務の様子を語った一方、副業としてモデルとしても活躍していること、オフブロードウエーミュージカルに2回出演するなど仕事とプライベート面を両立していることも披露し、本人は「仕事が忙しいほど、積極的に遊ばないとバランスが取れない。自分の思った生き方をして欲しい」とアドバイスした。

 角野さんは、2018年に東京大学大学院在学中にPINAピアノコンクールにグランプリ受賞者として音楽キャリアをスタートさせた異色のキャリアの持ち主。「音楽は感情的な表現と思われがちだが、作曲には数学的な経験も役立っている」などと話し、パネルディスカッションの後に、サプライズで演奏を披露して大喝采を受けた。

 このあと、「お互いの視点や経験を共有したい」「経営者やさまざまな業界の人たちと繋がりたい」「人脈を広げ、情報交換や意見交換を行いたい」「ビジネスコラボレーションの機会につなげたい」そんなさまざまな思いを抱いて集まった参加者たちは、日本クラブが用意した料理を楽しみながら大いに歓談し、盛況となった。参加者からは「なかなか他社の同年代の人と知り合うチャンスがなかったのでよかった」「いつもメールとZOOMで連絡していた取引先の担当者と今日初めて対面した」などリアルでの交流の大切さを実感したようだった。

恋の歌も地球の叫びも

八神純子6月にNYでライブ

 初の単独ニューヨーク公演を6月30日(日)午後5時30分からバードランド(西44丁目315番地)で開催する。ワシントンDCで一昨年、女性シンガーソングライターの殿堂入りを果たした。「そんな私が日本だけで歌っていてはいけないなという思いで、ニューヨーク公演が実現しました」。1986年から西海岸に住んできた八神。「この10年間ずっとニューヨーク公演を考えていたんです。『水色の雨』、『パープルタウン』といった私のオリジナル曲を楽しみに来てくださる日本人の方がほとんどだと思いますが、私のミッションとして歌っている今回のライブの原動力になっている曲は、地球の温暖化が沸騰化となり、終わらない戦争、人種差別、経済の問題、パンデミック、黙っていたら何も起きない。歌を作り声を上げれば何かが起きるかも知れないという気持ちから生まれた曲です。今までの私の音楽人生はこのアルバムを作るためにあったんだと強く感じています。そして、そればかりになってしまわないようにシンガーソングライターとしてはずっと恋の歌を歌えるような、作れるような、それが似合うような歌手でもいたいと思います。社会に向けた目と愛の心、その両方を歌っていけたらと思います。今回のライブは、客席と近いステージなので、皆さんと目をあわせて歌えると思います。ぜひいらしてください」。

 開場は午後4時30分。入場料はテーブル席35ドル46セント、バーカウンター24ドル91セント。チケット発売中。詳細はhttps://www.birdlandjazz.com/tm-event/junko-yagami-duo/を参照する。

(三浦良一記者、写真も)

NYの舞台芸術に魅せられた元ヅカガール

俳優・ダンサー

漣(さざなみ レイラさん

 宝塚歌劇団の男役、94期生、漣(さざなみ)レイラの芸名で星組に14年間在籍した。本名吉田奏恵さん。現在、ニューヨークに住み、傑出した外国人芸術家に与えられるOビザを無事に取得し、目下5月5日(日)にジャパン・ソサエティーで開催される子供の日フェスティバルで上演されるミュージカル桃太郎(MOMOTARO: In Search of a Hero)の芝居出演の稽古に専念しているところだ。宝塚歌劇団が110年前に最初に公演した舞台が「どんぶらこ」、桃太郎だったことにも奇遇の縁を感じて出演を引き受けた。演出はCJA芸術監督の河原その子(公演概要18面に)。現在そのリハーサルをしながらオーディションを受け続ける日々だ。

 宝塚で男役でずっとやってきた。ダイナミックなダンスで存在感を放ち、『THE SCARLET PIMPERNEL』でのクーポー役、『ロックオペラ・モーツァルト』でのフリードリン役、『デビュタント』でのバルタザール役など個性的な役もこなす星組の戦力として幅広く活躍。2021年12月『柳生忍法帖』『モアー・ダンディズム!』で宝塚歌劇団を卒業後22年4月にNYへ。改めてエンターテイメントの魅力に心を奪われ、劇場に関わる仕事がしたいと決意したと言う。現在はパフォーマーに向けたPerforming Arts Empowerment Coach として演者をサポートしながら、自らもダンスや歌のレッスンに通い、学びを深め挑戦を重ねている毎日だ。「オーディションは毎回、心地よい緊張感と周りの方々の自信に溢れた姿に刺激を受けながら受けています。まだまだ結果は落ちてばかりですが、着実に前に進んでいる感覚があります」と話す。「ニューヨークに来てパフォーマンスをする方々の心のあり方に触れて気づきを得る機会が多々あり、メンタルトレーニングも舞台に立つスキルのひとつとして取り入れられていることに興味を感じました。第一歩として日本でメンタルトレーナーの資格を取得しましたが、結果にとらわれず自分自身に挑戦し続けることが何より大切なんだって心から思います。ニューヨークには宝塚出身の先輩方もたくさんいて、本当に様々な面で助けていただいています」と宝塚歌劇団が最初の米国公演をしたラジオ・シティーミュージックホールの前で満面の笑顔を見せた。

 (三浦良一記者、写真も)

海老天の秘訣と蕎麦の美味さを生かす技

プロに聞く、生き生きEATS(イーツ)

元気と美味しいを求めて料理の達人が腕を振るう (52)

 ニューヨークのイーストビレッジにある蕎麦屋は、手打ち十割蕎麦を出す店として知られる蕎麦処の銘店。今回は蕎麦を使った料理2品と、職人が揚げるプロの海老天ぷらの揚げ方を、滞米18年のベテラン日本食料理人、姉妹店酒蔵の井上勝久シェフに教えていただいた。

蕎麦屋

229 E9th St.

New York,NY 10003

Tel:212-533-6966

年中無休 12:00-22:00

sobaya.square.site


◾︎海老天ぷら

【材料】 

無頭海老 2本

天ぷら粉A 150g

天ぷら粉B  50g

水 200g〜250g

大根 (適量)

生姜 (適量)

【作り方】

(1)天ぷら粉Aと、水を合わせる(卵のいらない市販の天ぷら粉を使用)

(2)無頭海老の下処理をする。第一関節を残し、殻をむき、揚げた際の破裂防止に尻尾の先を切り、角を外す。背側に切れ目を入れ背わたを取る。揚げた時に海老が曲がらないように腹側に切れ目を4、5本入れ、身を伸ばす。神経が切れるブツブツという音がする。真っ直ぐなひょろひょろな紐状の海老にする。

(3)大根と生姜の皮を剥き、おろし金でおろしておく。

(4)直径20センチくらいのフライパンに2〜3センチほどの油を入れ160度C〜180度C。

(5)海老を天ぷら粉Bにまんべんなく付け、(1)の衣に海老を潜らせ、尻尾を持って第一関節残しで潜らせ油へ入れる。

(6)油に入れた海老を真っ直ぐに整え、箸を4本ほど使って、天衣を海老にたらし「花」を咲かせる。できれば両面。(結婚式場のように大量に海老天を作る場合は、先に天かすを作ってその中に海老を落として花を咲かせて衣をつけるが、家庭では前述の方法がオススメ)

(7)油に入れた海老からの泡が、大きい泡から小さい泡になってきたら油から引き上げて揚げ台でしっかり油を切る。これで衣サクサク、中身ジューシーな海老天の出来上がり。


◾︎蕎麦いなり

【材料】 

蕎麦 茹で上がり200g

味付けいなり皮 4〜6枚

めんつゆ 8g

大葉 4〜6枚

卵 1個

【作り方】

(1)蕎麦は茹でて、水でしめておく。(冷凍・乾麺で可)

(2)卵を割りよく解いて裏ごしして、中火のフライパンで薄焼き卵焼きを3センチの細切りにする。

(3)カニカマを1センチに切り、マヨネーズで和えておく

(4)蕎麦にめんつゆを掛け混ぜる。

(5)(4)をいなり皮に詰めて口が上になるようにし、大葉、薄焼き玉子、カニカマ、天かす、ネギを盛り付ける。

 蕎麦といなり寿司の味を同時に楽しめる前菜などにはピッタリの料理だ。


◾︎焼き蕎麦がき

【材料】 

そば粉 75g

水A 200g

めんつゆ 25g

水B 100g

片栗粉 5g

ワサビ 適量

ネギ 適量

【作り方】

(1)鍋にそば粉と水Aを入れ、火にかけ木べらで混ぜ、粘りが出てきたら火から下ろし、予熱が取れたら適量に丸める。

(2)鍋にめんつゆを適量の水Bで割り、一度沸騰させ、水溶き片栗粉を入れ、麺つゆ飴にする。

(3)丸めた蕎麦がきを中火のフライパンで焼き目がつくまで焼く。

(4)焼き上げた蕎麦がきを器に盛り、めんつゆをかけてネギを盛りワサビを添える。

米社交会を魅了した日本人画家

デイヴィー美代子・編著

吉備人出版・刊

 ニューヨークで活躍した日本人芸術家と言うと、イサム・ノグチ、草間彌生、国吉康雄の名前はすぐに浮かぶだろう。しかし、その国吉と同じ時代の20世紀の初頭、岡山から海を越えアメリカ社会で成功をおさめた画家がいたことは、故郷の岡山でも、日本でもあまり知られていない。肖像画家・犬飼恭平だ。この作家の絵が偶然、ニューヨーク在住の日本人コレクターの目にとまり、魅了されたそのコレクターによって、いくつかの作品と自伝がみつかった。その犬飼の作品群と歴史を掘り起こしたのは、マンハッタンに住む美代子デイヴィーさん(89)と夫のジョン・デイヴィーさん(故人)だ。本書は、犬飼の作品と詳細な年譜、犬飼の自伝『異教徒の告白』を収録している。「肖像画では当時『マダムXの肖像』(メトロポリタン美術館所蔵)で知られる、ジョン・シンガー・サージェント(1925年没)が大活躍していましたが、彼の死後は、犬飼が当代切っての売れっ子肖像画家として活躍したんです」と美代子さんは、セントラルパークを見下ろす居間に飾られている犬飼の絵の前で語った。

 本書には、これまで日本でほとんど知られなかった犬飼恭平の作品や人生が明らかにされている。

 犬飼恭平は、1886(明治19)年岡山県都窪郡庄村山地(現在の倉敷市山地)に生まれた。12歳から13歳ころには画家になることを志し、1900(明治33)年14歳のとき従兄犬飼勘太郎とその家族について神戸港からハワイに渡った。17歳でマ ーク・ホプキンス美術学校に最年少で入学。1908年シカゴ美術学校に「霽上がる霧(Clearing Fog)」 出品。また同年シカゴの社交界で知られるルシーン・グデナ ウと婚約。 1942年、56歳のとき回想録「ある異 教徒の告白」の執筆を始め54年没。享年68。当時、海を渡った多くの青年たちがそうであったように犬飼の人生もまたドラマに満ちた生涯だった。

 美代子デイヴィー 美代子・海野さんは、静岡県静岡市出身。1967年来米以来マンハッタン在住。夫のジョン・デイヴィー氏(故人)と共にファンドマネジメント会社「DAVEY&UNNO Inc.」を33年間経営し、現在も資産運用と株のトレーダーを続けている。ジャポニズム作品のコレクターとしても知られ、 2011年に東京の三菱一号館美術館で「Collection Japonism collection 2011」を開催。その後同館の所蔵となる。 ティファニーランプコレクションと犬飼恭平作品コレクションの蒐集家。ダコタハウスのセントラルパークを真下に眺めるリビングの壁に大きな絵を掛けていた跡がいくつも残っていた。10月5日に日本やアジアの作家が並ぶブルックリン美術館200年記念展のために、自宅に所蔵する犬飼作品25点余りの中から大作5点を寄贈したのだと言う。同美術館が仰天歓喜したのは言うまでもない。同書は英語版も出されている。  

 (三浦良一記者、写真も)

編集後記 4月20日号

【編集後記】

みなさん、こんにちは。昨年10月24日の交通事故から入院・治療中の日本クラブ総料理長・安陵秀樹さんが、4月16日の早朝(15日の深夜)の日航機で帰国しました(本紙5面に記事と写真)。今後は日本でのリハビリテーションに励むことになります。安陵さんは事故以降46日間意識が戻らず、非常に厳しい状態から奇跡的とも言える回復を果たしました。現在は食事もほぼ問題ない状態になり、車椅子での移動の訓練や、手足、発声のトレーニングを続けています。今後は治療の環境や費用の点も考慮し、飛行機での移動が可能になったため、日本に拠点を移してリハビリを続ける事になったものです。事故以来、奥様の小織さんによる1日も休まない献身的な世話もあり、やっと帰国ができる運びとなりました。安陵総料理長は伏見工業高(テレビドラマ「スクール・ウォーズ」の元となったラグビー名門高)の出身で、当地の社会人ラグビー同好会ニューヨーク・オール・ジャパンの古参メンバー。支援発起人の同ラグビー同好会(菅沼俊哉会長)ら当地でのラグビー仲間とその家族たちの絶大な応援がありました。安陵氏と小織さんは「皆様の暖かい応援、ご寄付を頂戴し、本当にありがとうございます。来年の今頃には回復し、再びニューヨークを訪れて、お世話になった皆様にお礼を言う事ができるようにリハビリに励みます。本当にありがとうございます」と本紙にコメントを寄せてくださいました。安陵さんは17日伊丹空港に無事到着しました。コロナ禍でもNY日本総領事館、日本クラブやNY日本商工会議所が協力して実施したニューヨーク警察や医療従事者へのお弁当プロジェクトを陣頭指揮して莫大な数の弁当を作り続けた安陵さん。ラガーマンの不屈の闘志と根性と家族と仲間達の愛に支えられてまたニューヨークに元気に戻って来てください。NYの日系社会みんなでお待ちしてます。ガンバ安陵さん!!それでは、みなさんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2024年4月20日号)

(1)沼津の春 久保修ワールド2024 春

(2)コロンビア大生大爆笑 渡辺直美講演会

(3)日本クラブ安陵さん帰国 「リハビリに励む」

(4)ハンター大の川島さん死去 米国で日本語・日本文化教育に貢献

(5)ダラスで乳がんを語る 28日にBCネットワークがシンポ

(6)JFK空港のTWAホテルで食事などいかが?

(7)最悪なダンスのお相手 ニューヨークの魔法

(8)奇跡のピアニスト空音唱 23日カーネギー

(9)春に流れる笛の音のごとく人生を全うした天才

(10)日本で活躍する38人 BREAKTHROUGH

沼津の春

 この時期になると、日本各地を巡っては、桜を愛でる旅をしている。

 どの地の桜を見ても、全く飽きることがない。桜の種類や色が違ったり、周りの風景などによっても変わって見えたりする。

 満開の桜を見ると、自然と笑顔がこぼれてしまう。

 伊豆半島では、今年も早咲きの河津(かわづ)桜(ざくら)が開花。それに続いてソメイヨシノが開花。

 これからいろいろな場所で桜を楽しむことが出来そうだ。

 今回描いたのは、駿河湾の海越しに冠雪した富士山と桜が見られて絶景の場所!!

 天気の良い日は、スケッチしていても笑顔がこぼれてしまう。

(くぼ・しゅう/切り絵画家/東京都在住)

コロンビア大生大爆笑のNY講演会

渡辺直美さん

日米のコメディや体験大いに語る

 ドナルド・キーン日本文化センターは4月12日夕、コロンビア大学ミラー劇場で、日本のお笑いタレント、女優、モデル、そして包括的なファッションデザイナーの渡辺直美さんの講演会を開催した。2023〜24年度第15代目千宗室レクチャーで「NAOMI TAKES COLUMBIA」と題した講演は650人の満席だった。

ドナルド・キーン日本文化センター主催

「私みたいなラフな生き方も」

 講演は同日本文化センター所長でコロンビア大学東アジア言語・文化学部ハルオ・シラネ教授との対談形式で英語で行われ、幼少の頃、台湾語と日本語が混乱してディズニーのシンデレラをアニメで見た時にストーリーがよく理解できずにカボチャがどうして馬車に変わるのかもわからなかったなど、バイリンガル・バイカルチャルの間で育った子供時代を振り返りながら、人間関係とコミュニケーションを十代の時のアルバイト先で身につけたなどと話した。インタビュアーのシラネ教授から「コメディーは、その国の文化背景をよく理解しないと難しいのではないか、アメリカでコメディアンとして活動することの日米の違いは何か」と問われると「日本の漫才は2人で舞台に立つが、アメリカのスタンダップコメディは1人の漫談形式が主流。日本では頭を叩いたり、どついたりすることが多いがアメリカでは相手を叩いたりするのはご法度。自分はファッションやバイラルなパフォーマンスが好きだが、日本では漫才師としての芸を磨くことを求められるところが自由な雰囲気のアメリカと異なる」などと日米のお笑いスタイルの違いを話した。

 自分自身を限定しないアメリカのスタイルが自分にあっているとも述べ、また、アメリカは州によって観客の雰囲気も大きく異なり「まるで別の国に行ったようだ」とも話し、「でも面白いものは世界一緒だと思う」と英語とボディランゲージで答えた。

会場と一体のエンターテイナー

 大学の講堂で大学教授相手に英語でコメディについて1時間半話すというのは渡辺さんにとっても初体験のこと。「会場からどんな反応が来るのか自分でもドキドキしていた」と講演後に語ったが、「わーっと舞台に出て行った時に客席に子供がいたので、あ、今日は下ネタはまずい」と瞬間的に思ったという。会場の日本人留学生から「日本の祭りを大学でやる時に、盛り上げる方法をアドバイスして欲しい。盆踊りをやるにしても伝統的な日本スタイルだけでなくニューヨークらしい表現はないものか」との質問には「スケートボードに乗って盆踊りしたらテレビで放映されて一躍有名にるかも」などと答えた。 

 「ニューヨークに来て一番大変だったことは何か」との質問には「住宅にネズミやゴキブリが出てびっくりしたこと、日本は清潔。シャワーヘッドが固定されていて動かないのは不便」などと話した。シラネ教授が「ニューヨークのアパートは古いですからね」との常識的で真面目な反応が、渡辺のジョークと絶妙な間を生み出して会場の大爆笑を何度も誘った。「コンビを組んで2人でデビューしては」という声も出たほどの盛り上がりに「コンビ名考えて下さい」と返す場面も。また会場との質疑応答のやりとりで渡辺さんが英語の意味に戸惑う場面では、最前列正面で見ていた森美樹夫NY総領事が客席から何度も助け舟を出していた。

 「ドキドキの体験」

 講演後、渡辺さんは「ドキドキのすごい経験をさせてもらいました。日本のザ・お笑いとは全然違う。大学教授と1時間半話すというのは自分にとっても全く新しい経験でした。真剣にがっつり自分について語るのがどうなるのかなって自分でドキドキでした。私的にはこうやってラフに生きてくれてもいいんだなと思ってくれたらいいなと、それが少しでも伝わればいいなと。コロンビア大学で真剣な話をしながら面白い話ができて楽しかった。いろんな人と喋れてよかった。去年はニューヨークに全然いなくて英語生活から離れていたので英語がしっかり喋れなかった。今日は英語の先生も来ていて事前に何度も練習したんですけど、本番では全部吹っ飛んでしまって、アドリブで全部やってしまいました。もっといろんなところでライブをやってみたいです。お客さんとコミュニケーション取るのが現代のコメディーのニュースタイルじゃないですか、コロンビア大学のゴリゴリのニューヨーカーとバリバリに働いているみなさんの前で話すのはとっても緊張しましたが、緊張した時に教授の顔を見てほっこりリラックスできました」と感想を話していた。

 渡辺さんは、1987年に台湾で日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれた。茨城県石岡市立石岡中学校卒業。親の反対を押し切った上で吉本総合芸能学院に入学。愛情を込めて「日本のビヨンセ」として知られる渡辺さんは、バイラルなパフォーマンスと陽気なセレブの物真似で世界中の観客を魅了してきた。日本で最もフォローされているタレントであり、アジアで最も認知されているタレントの1人である渡辺さんは、ソーシャル メディア プラットフォーム全体で1000万人近い世界中のフォロワーを獲得している。ニューヨークへの移住と、新たに開始された全英語のポッドキャスト「Naomi Takes America」、そして最近の7つのポッドキャストから渡辺さんは旋風を巻き起こし、会場では最近2000人以上のファンを楽しませた7都市のシティツアー「Naomi Takes America -The Podcast LIVE-」などについても語った。

 (三浦良一記者、写真も)

日本クラブ安陵さん帰国

「リハビリに励みます」

交通事故から奇跡的な回復

 昨年10月24日の交通事故から入院・治療中の日本クラブ総料理長・安陵秀樹氏が、4月16日の早朝(15日の深夜)の日航機で帰国した。今後は日本でのリハビリテーションに励む。

 安陵さんは事故以降46日間意識が戻らず、非常に厳しい状態から奇跡的とも言える回復を果たした。現在は食事もほぼ問題ない状態になり、車椅子での移動の訓練や、手足、発声のトレーニングを続けている。 今後は治療の環境や費用の点も考慮し、飛行機での移動が可能になったため、日本に拠点を移してリハビリを続ける事になった。事故以来、奥様の小織さんによる1日も休まない献身的な世話もあり、やっと帰国ができる運びとなった。安陵氏と小織さんは「皆様の暖かい応援、ご寄付を頂戴し、本当にありがとうございます。来年の今頃には回復し、再びニューヨークを訪れて、お世話になった皆様にお礼を言う事ができるようにリハビリに励みます。本当にありがとうございます」とコメントを寄せた。

17日伊丹空港に無事到着。

ハンター大の川島さん死去

米国で日本語・日本文化教育に貢献

 ニューヨーク市立大学ハンターカレッジで日本語と日本文化の教師として長年勤務し、同大で米国人学生の日本語と日本文化の習得に尽力した川島敦子さん=写真=が4月10日、マサチューセッツ州 ウォルサム市の介護施設で老衰のため死去した。享年95歳。

 川島さんは1929年長野県長野市生まれ。名古屋米国領事館勤務後結婚し1977年来米。1985年コロンビア大学優等学士号取得、88年同大美術史修士号取得。95年博士課程単位取得。ハンターカレッジで1987年から2018年まで日本語教師として勤務し、同大に米国ニューヨーク市地区では初となる日本語・日本文化専攻の設立に貢献した。

 現在同大学では1300人余りの学生が、日本語や日本文化を学んでいる。日本政府から米国における日本研究の発展と知日派教育への功績が認められ、2013年在外公館長表彰、2018年旭日単光章を叙勲=写真下=。

 主な著書に『A Dictionary of Japanese Particles てにをは辞典』(1999年、講談社インターナショナル)、『Medical Communication in English ラクラク話せるメディカル英会話』(2002年、Dr. John J. Olichney, Sue A. Kawashima 共著、日東書院)、『少女の記録、あの頃1935〜1945・8・15&2001・9・11』 (2006年、講談社)などがある。葬儀は身内だけで行い、後日偲ぶ会を行う。

 同大学日本語・日本文化科ダイレクターのマーヤン・バルカンさんと日本語・日本文化科副科長の古川明代さんが連名で本紙に次のコメントを寄せた。

  「川島の自叙伝『少女の記録、あの頃』の中にセントラルパークの東側にあるハンター大学のことを『この落ち着きのあるエリアもこの仕事も私はこよなく愛している』とある。私たちも毎日その愛の恩恵を受けた。アメリカという異文化の中で家族のように接し、お互いに信頼し合い、このプログラムを大きくしてきた。私たちのプログラムではこの暖かく、深い絆を今後も継承していきたい。戦争も生き抜いたLiving Historyとして学生たちに平和の大切さを教えることを使命としていた」