ハンター大の川島さん死去

米国で日本語・日本文化教育に貢献

 ニューヨーク市立大学ハンターカレッジで日本語と日本文化の教師として長年勤務し、同大で米国人学生の日本語と日本文化の習得に尽力した川島敦子さん=写真=が4月10日、マサチューセッツ州 ウォルサム市の介護施設で老衰のため死去した。享年95歳。

 川島さんは1929年長野県長野市生まれ。名古屋米国領事館勤務後結婚し1977年来米。1985年コロンビア大学優等学士号取得、88年同大美術史修士号取得。95年博士課程単位取得。ハンターカレッジで1987年から2018年まで日本語教師として勤務し、同大に米国ニューヨーク市地区では初となる日本語・日本文化専攻の設立に貢献した。

 現在同大学では1300人余りの学生が、日本語や日本文化を学んでいる。日本政府から米国における日本研究の発展と知日派教育への功績が認められ、2013年在外公館長表彰、2018年旭日単光章を叙勲=写真下=。

 主な著書に『A Dictionary of Japanese Particles てにをは辞典』(1999年、講談社インターナショナル)、『Medical Communication in English ラクラク話せるメディカル英会話』(2002年、Dr. John J. Olichney, Sue A. Kawashima 共著、日東書院)、『少女の記録、あの頃1935〜1945・8・15&2001・9・11』 (2006年、講談社)などがある。葬儀は身内だけで行い、後日偲ぶ会を行う。

 同大学日本語・日本文化科ダイレクターのマーヤン・バルカンさんと日本語・日本文化科副科長の古川明代さんが連名で本紙に次のコメントを寄せた。

  「川島の自叙伝『少女の記録、あの頃』の中にセントラルパークの東側にあるハンター大学のことを『この落ち着きのあるエリアもこの仕事も私はこよなく愛している』とある。私たちも毎日その愛の恩恵を受けた。アメリカという異文化の中で家族のように接し、お互いに信頼し合い、このプログラムを大きくしてきた。私たちのプログラムではこの暖かく、深い絆を今後も継承していきたい。戦争も生き抜いたLiving Historyとして学生たちに平和の大切さを教えることを使命としていた」