編集後記
みなさん、こんにちは。アイヌ音楽の旗手、 OKI(加納沖氏)率いる「OKI DUB AINU BAND」のコンサートが4日、ジャパン・ソサエティーで開催されました。OKI氏は自らのルーツをたどり、アイヌ独特の楽器トンコリの奏法を掘り起こし可能性を追求しつつ、レゲエ、ダブ、 R&B、ジャズ、ワールドミュージックなど世界のルーツ音楽を織り交ぜた新しい音楽表現に挑戦し続けている音楽家です。今週号の3面で記事を掲載しています。
OKI氏は、鎌倉で生まれ、自分がアイヌと知らずに幼少期に離婚した日本人の母親に育てられたそうです。20歳を過ぎてから自らの出生を知ることに。アート研究中の文献の中で、ビッキー・砂川の名前を見つけ実の父親と確信、冬の阿寒を訪ねて実父と会います。「よくきたな」と言った父親と抱き合って涙を流した。でも自分がアイヌであるということを受けいれることに抵抗があったOKI氏は、何者でもない誰かになることを探すため1987年にニューヨークに移住したのでした。そして1993年、帰国中に訪れた旭川で樺太アイヌの弦楽器、トンコリに出会い、サハリンロックの演奏家になることを決意したそうです。
「アイヌの町にある酒場に初めて入った時にカウンターに座っていたアイヌの常連客たちが振り向いた時の目を忘れることはできない。それはまるでアメリカの西部劇の映画で、酒場に入って来たよそ者を排除する嫌悪の視線だった」と講演で話しました。彼は、北海道地方に縄文時代から住んでいたと言われるアイヌ民族のそのベールに包まれた生活様式や文化を現代の日本に音楽を通じて伝える文化の伝達者(correspondent of culture )と言えるでしょう。ジャパン・ソサエティーでのサハリンロックは、加納沖というごく普通の日本人青年が、ある日、自分のルーツの旅を経てたどり着いたアイヌ民族の魂と自らの魂「OKI」を共鳴させたステージでした。
北海道の釧路市で生まれた私も、幼稚園の頃、親の会社の社員旅行で阿寒湖に行って、民族衣装を着て観光客相手の記念写真を撮った記憶があり、その写真も古いアルバムに今もまだ貼られています。マリモようかんが、爪楊枝でプチンと弾けるのが不思議だったことと、アイヌの民芸品店で見た熊の木彫りがどれも鮭を咥えているのが印象的でした。男性たちが男性ガイドさんからバスの中で「~さん鹿撃ちに行きましょう」などと話していたのを覚えています。実際に行ったのかどうかは知りませんし、記憶にありません。大学生になって帰郷した折に母親のドライブで再び阿寒湖に行ったのが最後です。いまは昔ですが、口の青い刺青と幾何学模様の衣装がいいですよね。8月にまた大勢のアイヌの人々がジャパン・ソサエティーで文化イベントをするそうです。先住民族と言う意味ではアメリカインディアンの人たちに通じるものがあります。文化人類学的な面でもっと知らなかったことが学べそうで今から楽しみです。また、紙面でご報告します。それではみなさん良い週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)





