日本で静かに広がる排外感情、深刻化が迫る現状は? 冷静彰彦

 2025年の参院選で参政党が躍進して以来、日本社会には一つの大きな変化が起きた。それは「排外を語る」ということへのタブー意識が消滅したということだ。世界各国との友好関係を大切にし、国内においては外国人を「おもてなし」の対象として、日本文化が「クール」だと評価されることを素直に喜ぶ日本人はこの時点でどこかへ消えてしまった。

 一つだけ、この変化の中で評価できることがあるとしたら、日本が貧しくなったことを認め、怒るという態度である。長らく見栄を張って見て見ぬふりをしてきた日本人が、ようやく日本経済の衰退を曲がりなりにも認めたということは正しい。けれども、その怒りや気づきが、同時に排外感情の封印を解き放つということになったのは、実に「だらしない」ことであり、落胆を禁じ得ない。

 排外感情が野放しになれば、やがて言動はエスカレートしてゆく。SNSやヤフコメで恥じることなく「垂れ流される」排外感情は、AIのおかげで瞬時に各国語に翻訳される時代でもある。その恥ずかしい言辞が世界に拡散してゆくにつれて、このままでは、やがて日本や日本文化への称賛は雲散霧消してしまうであろう。そうなれば観光業だけでなく、交通運輸関連なども含めて日本のGDPの多くを占めるインバウンド消費も消えてしまう。現状では、与野党問わず、世論の排外的な深層心理に迎合こそすれ危機感はまるで薄いのが現状であり、現状は極めて危機的だ。

 日本で排外感情が拡大していることが、国際社会に知れ渡った場合に、困るのは観光業だけではない。排外感情が拡大するということは、日本は移民を歓迎しないということを内外に宣言することになる。そうなれば、国全体の人口は少子化の加速と自然減により急角度での減少を続けることは確定的となる。内需を中心とした産業へは投資は集まらないであろうし、GDPそのものへの将来的な期待も不可能になってくる。そうした流れの先には、最終的には円安が一段と加速するに違いない。

 それにしても、個々の排外的な感想や心理を点検してみると、そのほとんどが誤解や無知から来ていることに驚かされる。例えば、よくある感想というのが、自分たちが汗水垂らして働いている平日に、大勢の外国人観光客が街を占領しているのは不愉快というものだ。欧米だろうがアジアであろうが、20代から30代になると日本文化とともに育った世代であり、日本文化への畏敬や礼賛は生粋のものとしてある。一方で、大卒の知的労働であれば米ドルで6桁の年収を得つつ、各人が計画的に有給休暇を取得しているだけだ。そのような相手の側の事情を理解しようともせず、まるで日本に異国人が来てカネの暴力を行使しているというのは、言いがかりも甚だしい。批判されるべきは、グローバルな賃金相場を確保できない日本経済や有給取得を計画的にできない労働慣行にあるのは明らかだ。

 例えば、「潤日(ルンリィー)」といって、若い中国人が中国の苛酷な競争や不自由さを忌避して、日本に夢を抱いて来日するという現象が話題になっている。これが、日本の自由や安全に「ただ乗り」しているとか、中国資本に日本が乗っ取られるとして排外感情のターゲットになっている。例えば、中国の若者が農業の後継者確保や、酒蔵の経営承継などに名乗りを上げて投資をしているのだが、そうした動きも警戒の対象になっている。けれども、農業にせよ酒蔵にせよ、日本人の若者や女性が資金を投資しようとしても、高齢男性中心の社会は「若造や女性のくせに偉そうに」などといって拒絶してきた歴史があるわけで、問題があるとしたら、その点を告発するのが先であろう。

 最大の問題は、「見た目」が日本人と異なる人、流暢な日本語を話さない人に対しては、仲間と認めないといった人種差別の言動が知らぬ間に浸透してきたことだ。この点に関しては、在米の日系人・日本人のコミュニティとして看過できない。例えば、複数のバックグラウンドを持つ日系2世3世の若者を、何の不安もなく日本への留学などに出せない時代がすぐそこまで迫っているのを感じる。今ならまだ間に合う。在外公館や国際企業をはじめ、本国の教育機関や官界、財界など総掛かりで、日本国内における排外的な言動に対して真剣に対抗してゆかねばならない。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)