クイックUSAアメリカの人事部(29)

企業が提供している祝日とその割合

 今年は例年とは異なる「良い」祝日を過ごした方も多かったのではないだろうか。安全で健康を心がけて何も無いことが「良い」ことと感じられる2020年のホリデーシーズンではないだろうか。

 また、今年は特に在宅勤務が導入された企業も多く、何かと祝日感に浸ることが難しかった1年であったのではないだろうか。

 2019年に22日の祝日・振替休日が提供されていた日本と比較すると、米国での祝日・振替休日の日数は10-12日ほど少ない10-12日間が平均とされている。そのうち6日間が90%以上の企業で提供されている祝日であり、残りは各企業によって異なる。

 また業種や企業の所在地によっても提供される祝日が異なるのは米国の特色ではないだろうか。

 今回は、多く提供される祝日と提供されている割合を取り上げたいと思う。

大多数の企業が祝日と制定する日:

New Year’s Day (1月1日)約90%の企業が提供
Memorial Day(5月の最終月曜日)約90%の企業が提供
Independence Day(7月4日)約92%の企業が提供
Labor Day(9月の第一月曜日)約91%の企業が提供
Thanksgiving Day(11月の第4木曜日)約97%の企業が提供
Christmas Day(12月25日)約97%の企業が提供

その他の祝日:

Marin Luther King, Jr’s Day (1月の第3月曜日)約32%の企業が提供
President’s Day(2月の第3月曜日)約24%の企業が提供
Good Friday(イースターの金曜日)約21%の企業が提供
Columbus Day(10月の第2月曜日)約14%の企業が提供
Veteran’s Day(11月11日)約19%の企業が提供
The Day After Thanksgiving (11月の第4金曜日)約43%の企業が提供
Christmas Eve(12月24日)約28%の企業が提供
New Year’s Eve(12月31日)約15%の企業が提供

 上記のような日が指定される祝日に加え、「Floating Holiday」という祝日を設けている企業も多数ある。Floating Holidayとは有給休暇のように、従業員が自身で休む日を決定して取得をすることが出来る祝日である。

 ただし有給休暇のように使用が可能という点から、カリフォルニア州ではFloating Holidayを消失をさせることが違法とみなされる場合もあり、提供方法等を考慮する必要がある。

(榊原将 HR Linqs, Inc. President)

www.919usa.com

海を渡った日本人、歴史を開封

見つかった1枚の写真
松方幸次郎の青春

 1988年にラトガース大は松方幸次郎就学100年記念行事を行ったが、その年の春に大学図書館資料室から当時の松方の学生時代の生活ぶりを偲ばせる一枚の写真が見つかっている。フットボールチームの一員として1889年卒業組のユニフォームに納まった弱冠20歳の幸次郎青年。その瞳には、日本の近代化と共に歩み出す彼の大志がしっかりと刻み込まれているように見える。

 今から150年以上も前になぜ、この大学にこぞって日本人留学生が集中したのか。その問いに答える学術的研究はなされていないが、明治以前から長崎にいた米国人宣教師で、英語教師もしていたオランダ修正派教会から派遣されていたフルベツキの手引きがあったからという推測ができる。1853年のペリー提督の来港以来、幕府の日本人海外渡航禁止令は有名無実となり、大志を抱いた若者が続々と西欧文化の取得に海を渡った。幕府自身も1862年ごろからオランダ、イギリス、フランス、ロシアに留学生を送り出している。新島譲は1864年に函館から単身渡米し、マサチューセッツ州アムハースト大に入学、その前年には長州藩が伊藤博文、井上馨らをイギリスに送り出し、薩摩は65年に森有礼ら15人を船出させている。

 そのような時代に来日した60人を超えるラトガース大卒業生の「お雇い外国人」教師や宣教師たちが日本の近代化に果たした役割は、欧米の他の大学に比して劣らぬものであったと言えよう。   (三浦良一記者)

帰国後、日本の礎に
NJ州ラトガース大学

日下部太郎永眠す

 ラトガース大学は、オランダ修正教会を母体とする学校を前身として1866年に創立された州立大学。ストレプトマイシンを発見したS・A・ワックスマンを輩出するなど、化学、農学、科学技術分野に突出した業績を持つニュージャージー州最大の総合大学だ。この大学がある町、ニューブランズウイックに近代日本の黎明(れいめい)期にあたる慶応3年から明治30年までの30年あまりの間に、300人近くもの日本人留学生が学んだことを知る者は多くない。

 当時この大学に学んだ日本人留学生の多くは、幕末の壮士、政治家、知識人とその子息たちで、帰国後、科学技術、政治、教育、ビジネスの分野で日本の近代化に大きな足跡を残している。また、同時期にラトガース大学卒業生で日本へ行った「お雇い外国人」教師や宣教師も60人に上る。日本人留学生を相次いで受け入れた最初の米大学。ラトガースの創世期をつづる歴史の1ページを開くと、そこに日米関係の原点が鮮明によみがえる。

 慶応3年(1867年)にラトガース大学に入学した日本人最初の官費留学生、日下部太郎=写真右=のパスポート番号は第4号。日本からの正式な海外渡航者の4人目、当時の奨学金として年間600ドルが支給された。当時の同大学の年間学費は45ドルから60ドルだった。

 越前福井藩士の日下部は、同大を3年間でしかも首席で終えたが、卒業の1か月前に結核のため、この地で死んだ。享年26歳の若さだった。しかし成績が優秀だったため、正式に卒業が認められ、米国最高の学称ファイ・ベータ・カッパの称号と金のカギを受けている。

 大学キャンパスから学生街を抜けた一角の共同墓地、ウイローブ墓地の片隅に、日下部ら日本人留学生の墓がある。並ぶ7本の墓石に、長谷川鍛郎(23)、小幡茶三郎(29)、阪谷達郎、川崎新二郎(21)、入江音次郎、松方蘇介(22)の名がいずれもかすかに読み取れる。松方蘇介は、後の1884年に渡米して同大に学び、帰国後初代川崎造船社長となる松方幸次郎の実兄でもある。


 日下部太郎と共に眠る日本人留学生たち(大学キャンパス近くの共同墓地で)

 同大図書館に保存されている1958年1月11日付の地元紙、ザ・デイリー・ホーム・ニューズが「明治初期の日本人留学生の墓が23年間も倒れたまま、荒地に放置されている」と報じるまで、在米邦人はこの墓の存在を知らなかった。この記事を読んだニューヨーク日系人会(JAA)の代表が、当時のポール市長にかけあい、修復工事を依頼、市長は、ヘルスケア大手のジョンソン&ジョンソンのジョージ・スミス社長に修復のための工事費、200ドルを懇願、墓石修復を行ったという。しかし1977年にこれらの墓石が再び将棋倒しのように倒れ、日下部の故郷、福井市の市長が来米して修復、現在に至っている。

 同大に学んだ日本人留学生には、1872年に特命全権大使として来米した岩倉具視の子息3人もおり、帰国後、宮内庁や外務省の要職に就いたほか、岩倉の通訳として来米し、帰国後も政府の要職を歴任した畠山茂成や、県知事や東京大学の前身、東京開成学校予備門長を歴任した服部一三、大蔵書記官となった吉田清成、川崎造船の初代社長で日本の実業界のリーダーとなり、膨大な美術収集・松方コレクションで知られる松方幸次郎らがいる。

 さらに明治維新の立役者の一人、勝海舟の子息、勝小鹿もここに学び、その小鹿の従者として渡米した富田鉄之助と高木三郎もともに同大に在籍、明治5年にできたニューヨーク領事館の副領事と領事を務めている。富田は留学生のまま副領事を4年間務め、帰国後の明治21年から1年間、二代目の日銀総裁に就いている。高木は、初代のニューヨーク総領事となり、離官後ニューヨークにそのまま留まる。製糸の輸入業を営み、日米貿易の先駆者として活躍した。

 日下部太郎らの墓と共に「1877年没、タカギ・サブロウ・スマ夫妻の幼女」と記された小さな墓は、この高木の亡くなった幼女の墓で、外地で娘を一人にせず、せめてともに志を同じくした同胞とともに眠らせようと、高木三郎夫妻がこの地に埋葬したのだと大学関係者が説明してくれた。

(写真)松方幸次郎の部活  1889年卒業組のフットボール・ユニフォームに身を包んだ弱冠20歳の松方幸次郎(前列右から2人目)。子供の頃、木から落ちて足が不自由だった松方が入部したのはフットボール部。「生きた英語を学ぶにはフットボールが一番と考えたのかもしれません」と写真を発見した図書館のミーチさんは話す。(大学図書館所蔵写真)

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NYに日本歴史博物館、19世紀以降の記録公開

評議会設立

 19世紀以来のニューヨークにおける日本コミュニティの発展を振り返り、歴史的価値のある資料を収集、保存し、世界に向けて発信すると共に、将来の世代に語り継いでいくための「ニューヨーク日本歴史評議会」が11日、ニューヨーク総領事の山野内勘二大使の呼びかけで設立された。まずデジタル・アーカイブを設立し、将来的には「ニューヨーク日本歴史博物館」を設立することを目的にしている。評議会の発起人として日系社会各界から選ばれた15人が同日、総領事館で設立文書に署名した。

 2020年は日本初の公式米国訪問団となった徳川幕府外国奉行新見豊前守率いる万延元年遣米使節が1860年6月にニューヨークを訪問してから160年となる記念すべき年だ。その使節団訪米が日本とニューヨーク、ひいては日米関係の嚆矢となった。ニューヨークには1872(明治5)年3月2日、日本政府が富田鉄之助を領事心得に任命し、在米公館第1号となるニューヨーク日本総領事館が設置されている。日系移民が多かった西海岸には全米日系人博物館(ロサンゼルス)があるが、東海岸には1か所にまとまった形で資料を保管、一般公開展示している場所がない。東海岸には津田塾大を創設した津田梅子やラトガース大学に留学して川崎造船初代社長となった松方幸次郎ら、米国から帰国後、日本の近代化の夜明けに大きく貢献した日本人、野口英世や日本クラブ、ジャパン・ソサエティー創設に寄与した化学者で実業家の高峰譲吉ら当地で業績を残した偉人も少なくない。

 数多くの日本人がニューヨークの地を踏み、数えきれない個人が公務、ビジネス、文化など多様な分野で活躍した。また、米国国籍を得て、日系米国人として生き、日米の架け橋となった多くの人々がいる。さらに多くの日本企業がニューヨークに古くから拠点を設立して世界との交易に従事し、経済関係を強化して日米関係の発展に寄与しているのもニューヨークの特徴だ。そして日米関係の深化に大きく貢献した多数の米国人がいる。一方で、そういったニューヨークで活躍して功績をあげ、後世に名を残した人物もいれば、歳月を経て現在では広く知られていない人や見果てぬ夢と共に去っていった日本人もいる。有名、無名を問わず、それぞれの人生があり歴史がある。

 新型コロナウイルスでパンデミックとなった2020年は、散逸してばらばらになっているニューヨークにおける近代日本人の足跡をまとめて後世に伝える「NY近郊日本人史開封元年」の年ともなりそうだ。

日米交流の原点探る
まずデジタルアーカイブ

 ニューヨークでこのほどニューヨーク日本総領事館の発案で設立されたニューヨーク歴史評議会の目的は、ニューヨーク周辺地域での日本コミュニティの歴史を取集、保存、公開及び発信し、将来の世代に語り継いでいくことを目的としている。

 組織事務局は日本クラブが務める。 事務局は各事業の実施に関わる作業を担当・調整する。事務局には事務局長を置く。ニューヨーク日本総領事館が事務局の活動を支援する。活動は非営利。

 事業内容は、(1)デジタル・アーカイブの設立と(2)発信、(3)将来的にNY日本歴史博物館を設立を目指すことの3本柱。

 デジタルアーカイブは1860年代以降現在までの日本コミュニティの活動を保存し、それを周知するためのプラットフォームとして専用のウェブサイトを新規に設置する。デジタルアーカイブには、年代、分野(政治、外交、経済、医療、文化、教育、学術、芸術、音楽、日本食など)、地域に分類され、検索機能を設け、インタビューなどによるオーラルヒストリーも含む。

 集約された情報を世界各地の一般市民に対してさまざまな機会を活用して積極的に発信する。

 将来的にニューヨークに「ニューヨーク日本歴史博物館」を設立し、一般市民に公開する。散逸された日本コミュニティーの歴史的物品を収集のうえ、分類、保存を行い、将来的な展示を目指す。

発起人は15人
日本クラブに事務局設置

 発起人は次の通り。山野内勘二大使(ニューヨーク総領事)、秋吉敏子さん(作曲家・ピアニスト)、キャロル・グラックさん(コロンビア大学教授)、ダニエル・イノウエさん(ニューヨーク大学客員教授)、前田正明さん(日本クラブ事務局長)、古本武司さん(退役軍人)、本間俊一さん(コロンビア大学教授、JAMSNET代表)、河野憲治さん(NHKアメリカ総局長)、村瀬悟さん(弁護士)、岡本徹さん(ニューヨーク育英学園学園長・理事長)、高岡英則さん(北米三菱商事会社社長)、ボン八木さん(ニューヨーク日本食レストラン協会会長)、スーザン大沼さん(ニューヨーク日系人会会長)、ジョシュア・ウォーカーさん(ジャパン・ソサエティー理事長)、柳澤ロバート貴裕さん(米国日本人医師会会長)。

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160年前に大歓迎

日本の侍70人が大パレード
ブロードウエー人で埋まる

 万延元年遣米使節団は、幕末の幕臣・外国奉行の新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき、40歳)=写真中央=を正使に、副使の同じく外国奉行の村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ、48歳)=同左=と小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ、32歳)=同右=を筆頭に約80人の侍が米国海軍の蒸気船ポーハタン号に乗り、1860年1月に品川沖を出発した。3月8日にサンフランシスコに到着し大歓迎を受けた。サンフランシスコに9日間滞在した後、船でパナマとキューバを経由してワシントンDCに向かった。ワシントンでは3月28日に第15代大統領のブキャナン大統領に公式に謁見している。一行はワシントンDCに3週間滞在し、6月16日にニューヨークに到着。NYでは街を上げての大歓迎を受けた。ブロードウエーでは正装した侍たちが練り歩く「侍パレード」が行われた。1860年6月19日付ニューヨーク・トリビューン紙には、ニューヨークに来た70人の侍のフルネームが掲載され、それぞれの役目と人物像が紹介されている。

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日本酒でうま味を体験

JFOODO

ポップアップレストラン

SEA FOOD!

 ジェトロの食品販路促進を目的に活動するJFOODOのポップアップレストランが、8日から13日までハドソンヤードで一般向けに開催された。SNSメッセージにて届くコードを使ってフードロッカーをアンロックして(味覚をアンロックする#UnlockYourPalateがキーワードのキャンペーン)、シーフード料理満載の弁当と日本酒のスモールボトルのペアリングを楽しむ企画。参加者は、自宅に弁当を持ち帰り、別途配達された日本酒とシーフードの旨味相乗効果(Unami Synergy)を楽しんだ。日本酒にはQRコード付きのタグがついていて、読みとるとバーチャル蔵ツアーの映像も楽しめた。国際的に知名度のある北欧レストラン、アクアビットのシェフのヨハン・スヴエンソン氏の手による海鮮フードは、日本酒を口に含む、料理にかける、などの食べ方でうまみ効果が格段に高まることを意識した内容。

 日本酒の対米進出で、レストランのテーブルで手軽にサーブできるスモールボトルの市場普及を狙っている。当日参加したのは南部美人、明石鯛、楯野川、菊水、月桂冠の日本の5つの蔵元。

(写真) 参加者は各自、自宅やオフィスに弁当を持ち帰って日本酒とのペアリングを楽しんだ。

邦銀大手3行が奨学金

NYとNJ補習授業校在籍園児児童生徒対象

昨年より3倍近い給付が可能に

 ニューヨーク日本人教育審議会(JEI)は、2021年度から従来の三井住友銀行に加え、新たに三菱UFJ銀行及びみずほ銀行から、ニューヨーク補習授業校(片山隆校長)とニュージャージー補習授業校(久我正次郎)の2校に通う園児児童生徒を対象とした奨学金制度の申し出を受けた。これにより21年度は従来の3倍近い20人程度への給付が可能となった。審議会は週内にも奨学生の募集を開始する。

 対象は両補習授業校在籍者で、日本語・日本文化等を学ぶ意欲のある園児児童生徒。昨年度受給の園児児童生徒も応募可。授業料の3分の1を支給する。審議会の新家良一会長(三菱UFJ銀行)は「コロナ禍で経済的困難を理由に退学や休学する家庭が増えている中、奨学金の増額は大変ありがたいこと。過去に受給し、グローバルな場で活躍している卒業生がたくさんいるが、さらに増えることを期待している」と話す。

 申込み必要書類=奨学金申込書、世帯全体の所得申告証明(Tax Return Form-1040 Page1~2 のコピー)、現地校成績表のコピー、作文(幼児部については簡単な文や絵、作品など)。

 補習授業校が指定する作文用紙を使用すること。作文の課題は自由。例えば「私にとっての補習校」、「私と日本語」など。絵や作品の場合は写真を送付。応募締め切りは1月19日(火)午後5時。Eメール必着。選考基準は、奨学金の経済的必要性、日本語/日本文化習得に関する意欲・補習授業校及び現地校における学業成績、作文、作品、児童生徒のボランティア活動等。書類送付先 JEIScholarship@jeiny.org。選考結果については、給付者のみ1月末日までに審議会事務局より直接連絡する。

 応募の問合せはEメールJEIScholarship@jeiny.org 審議会事務局まで。

店内飲食を禁止

レストラン業界に打撃

 クオモNY知事は11日、前日時点での陽性率が4・98%(21万2672件中1万595件)、入院者総数が5321人、死者数が87人となったと発表した。感染者ひとりあたりが何人に感染させるかを示す「実効再生産数」も1・3と増加し、NY市の入院者数の増加を受けて14日から市内レストランなどの店内飲食を禁止すると発表。屋外飲食とテイクアウト、デリバリーはこれまで通り許可される。米疾病対策センター(CDC)のガイダンスによると、店内飲食は「特に感染リスクが高い」とされている。再開時期については、14日以降の2週間で感染者数と入院者数をモニターしたうえで判断するとした。ジムや美容サロンについては、必要な措置をとることで引き続きオープンできる。

 店内飲食が再び禁止されたことを受け、ニューヨーク州レストラン協会のCEOメリッサ・フライシュット氏は「飲食店には選択の余地がなく、このホリデーシーズンに何千人もの従業員が解雇されるだろう」と述べ、今後もさらに倒産が増加すると警告した。

 また、クオモ知事は会見でクラスターのゾーンを次の通り再定義した。

・レッドゾーン:経済社会活動を制限したNY PAUSEの再開。今後21日以内に病院の収容率が90%以上となる地域

・オレンジゾーン:感染率が直近10日間で4%、かつ病院の収容率が80%以上となった地域

・イエローゾーン:感染率が直近10日間で3%、かつ病院の収容率がクラスターの中でもワースト10%となった地域詳細は州の公式サイトwww.governor.ny.gov/を参照。

(写真)NYは14日から店外だけの飲食になった(48丁目で)

ワクチン米国第1号

ファイザー社年内に2500万人分を供給

NYクイーンズの病院で

 米製薬大手ファイザーと独ビオンテックが共同開発した新型コロナウイルス のワクチンが14日朝、クイーンズにあるロングアイランド・ジューイッシュ医療センターで米国で初めて接種された。同ワクチンには米食品医薬品局(FDA)が11日に緊急使用許可を出した。接種を受けたのは集中治療室(ICU)のサンドラ・リンゼイ看護師(52)。接種の様子はニューヨークのクオモ州知事の記者会見時に同時中継された。

 リンゼイ看護師は「他のワクチンを接種するのと何の違いも感じませんでした」と述べ、「ワクチンが安全であるという国民の信頼を植え付けたい」と付け加えた。クオモ知事は「これが戦争を終わらせる武器であると私は信じている」、デブラシオNY市長は「素晴らしい瞬間だった」などと述べた。

 トランプ大統領は「初のワクチン接種。おめでとう米国、おめでとう世界!」とツイッターに投稿。民主党のジョー・バイデン大統領も「希望を持ち続けてください。明るい日が待ち受けています」とツイートした。

 ワクチン接種はニューヨーク州の医療機関「ノースウェル・ヘルス」の系列病院で行われている。NY市の保健委員であるデイブ・チョクシ博士は年末までに市内で合計約46万5000回分を接種できるだろうと述べている。

 米国は14日までに1600万人以上が感染、30万人以上が死亡しているという世界最多の感染国。マスク着用を拒否する人が多く、ホリデーシーズンで室内での集まりが増え11月は新型コロナ新規感染者数が10月の倍となる420万人に達した。

 コロナワクチン開発加速に向けた「ワープ・スピード作戦」の最高運営責任者のギュスターブ・ペルナ陸軍大将によると、19日までに全米636か所に290万回分のワクチンを届ける予定。ファイザーは年内に2500万人分を供給するとしており、スピード作戦のモンセフ・スラウイ首席顧問は年内に2000万人がワクチン接種ができるのではないかと述べている。米バイオ医薬品企業モデルナのワクチンは17日にFDAの諮問委員会が緊急使用を審査する。スピード作戦の供給・製造・配布を監督するポール・オストロウスキ氏は6月までに米国民全員がワクチンを接種できるとの見通しを語っている。

(写真)記者会見するクオモ知事

クリスマスイブの盗人 

ニューヨークのとけない魔法 ⑪
岡田光世

 クリスマスシーズンの夜は、おそらくニューヨークの街が最も美しいときだろう。12月に入ると、ロックフェラーセンターやリンカーンセンターの大きなツリーにライトが灯される。金色に輝く無数の小さな豆電球が、街路樹を飾る。五番街のショーウインドーに華やかな装飾が施される。そして、ニューヨーカーたちは大きなショッピングバックをいくつも提げ、ところどころで足を止めては、クリスマスの訪れを楽しむ。

 ニューヨークの陰の部分が目に映らなくなって、人々はなんとなくほっとし、この街はすばらしいと思い込めるときなのかもしれない。

 ある年のクリスマスイヴのことだ。真夜中に隣の部屋に泥棒が入った。当時94歳のおばあさんが、ひとりで住んでいた。とても礼儀正しい人だった。クリスマスイブに、それもひとり暮らしの老人をねらって泥棒に入るなんて、ひどい人間がいるものだ。

 年が明けてから、おばあさんは私を自分のアパートに招いて、その話をした。

 泥棒が入って来たとき、カトリック教徒の彼女は、リビングルームのソファにすわって、テレビでミサを見ていたという。真夜中に始まる教会のミサに、もう歩いていくことはできなくなってしまったからだ。そういえば、あの夜、隣の部屋から、大きな音で聖歌が聞こえてきた。

「まったく、なんてことでしょう。犯人はそこのキッチンの窓から入ってきたんです。あとで見たら、窓が上まで開いたままになっていたんですから。うちは通りに面しているでしょ。まさかだれも入ってこないと思って、いつも窓を少しだけ開けておいたんです。キッチンは電気を消しておいたから、きっと懐中電灯を持っていたのね。泥棒がいたなんて、私はちっとも気がつきませんでしたよ」

 いつもと違い、おばあさんの口調は穏やかではなかった。

「ちょうど家に大金があったんです。300ドルほど。でもそれはリビングルームにあったから、盗られなかったんですよ。小銭入れと鍵を持っていったわ」

「ちょうどそのころ、アパートの地下のランドリールームに何者かが侵入し、洗濯機や乾燥機の料金箱をこじ開けて、小銭を盗んでいった。おばあさんは建物の入口の鍵も盗まれたというから、その鍵を使ってランドリールームにも入り込んだのだろうか。まったく気味の悪い話である。

 おばあさんは続ける。

「それとね、ほかに何を盗っていったと思います? ちょうどここにあったパンを一斤。それと、そこの棚に置いてあったラム酒ですよ。12年前に亡くなった夫が買ってくれたものなの。栓も開けずに、ずっと取っておいたんですよ。

 それから、これはしばらくたってから、冷蔵庫を開けたときに気がついたのだけれど、冷凍庫のずっと奥のところがぽっかり空いていたんです。最初は何だかわからなかったわ。でも、よく考えてみたら、そこには箱入りのアイスクリームが置いてあったんですよ。信じられないでしょう」

 リビングルームのテレビの真ん前にすわって、ボリュームを上げておばあさんがミサを見ている。美しい聖歌を聞きながら、隣のキッチンで、泥棒が懐中電灯を片手に、パン一斤とラム酒を見つけ出す。そして冷凍庫の奥から大きなアイスクリームの箱をごそごそ取り出すと、それをみんな抱えて、入ってきた窓からこそこそと逃げてゆく││。

 犯人は、一斤のパンを家族と分かち合い、クリスマスを祝ったのだろうか。ラム酒をちびちび飲む親のわきで、好物のアイスクリームを子どもが大喜びで食べていたのだろうか。

 クリスマスだものね。

 そう言っているかのように、おばあさんの口調は、いつしか穏やかになっていた。

 このエッセイは、シリーズ第2弾『ニューヨークの魔法は続く』に収録されています。

https://books.bunshun.jp/list/search-g?q=岡田光世

求められる帰国生像

コロナ時代の帰国受験 最終回 田畑康 

 いよいよ本格的に受験期に突入しました。早稲田アカデミーニューヨーク校からも、受験生が「隔離期間」を計算して早めに帰国をし始めています。

 2週間の隔離期間も、受験生にとっては大事な追い込み期間です。早稲アカは国内の校舎でもオンライン授業を実施しているので、帰国後すぐに(時差ボケが治り次第)授業に参加をしている生徒が多いですが、時差をうまくクリアして、ニューヨークからの配信授業の受講を続けている生徒もいます。昨年まではなかった学習形態が生み出されたとも言えます。

 「コロナ時代の帰国入試」、最終回の本稿では「コロナ時代」だからこそ求められる「帰国生像」について考えてみます。

 2011年8月、米デューク大学の研究者キャシー・デビッドソン氏(現在はニューヨーク市立大学大学院センター教授)が、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」と語り、大きな話題となりました。人工知能やロボティクスの発達に連動した、今では想像もつかない職業が新しく現れる一方で、既存の職種が消えていくという現実が浮き彫りになったのです。

 最近、私が授業の中で「なくなる職業」について生徒に聞いてみたところ、「コンビニの店員」や「乗り物の運転手」などの職種が挙がり、かなり情報が浸透していることがうかがえました。しかし、将来は「外科医」や「弁護士」の仕事も人工知能やロボットに奪われるかもしれないという話をし、議論を深めました。

 今年は2020年。デビッドソン氏の語った「2011年度入学」の小学生は高校生です。現在中学受験や高校受験を目指しているお子様はほとんど同じ世代ということです。

 日本の政府、文部科学省は「2020年」を目標に、「知識偏重から人物重視」へと教育改革を進めてきました。世界で競争できる人材を育てるためにです。そして、その「人物」を見極める手段として、「面接試験」が大きなカギになってきています。なぜなら、面接で判定できる「コミュニケーション能力」こそが、人工知能にもロボットにも搭載できない能力だからです。

 帰国生入試で、いわゆる学力をはかるための「学科試験」以外に面接を重視する動きが顕著になってきているのは、明らかに学校からのメッセージです。

 人類の歴史には大きな転換点がありましたが、人工知能やロボティクスの発達の真っ只中にコロナの時代が交差したというのは、ただの偶然ではないでしょう。新しい時代の足音が聞こえます。

「合格祈願!」

田畑康(たばたやすし)

早稲田アカデミーニューヨーク校校長。海外生・帰国生指導歴15年。自らも帰国生(オーストラリア、マレーシア)であった経験を生かし、「合格のその先」を見据えた指導を心掛けている。