(1)老後は帰国して日本で暮らす
(2)生き生きEATS
(3)成田陽子のTHE SCREEN ジョージ・クルーニ
(4)配偶者に手厚い米国の年金
(5)コロナ後の世界を考える 冷泉彰彦
(6)バイデン・ハリスに期待 北岡和義
(7)直接給付が成立 一律600ドル支給
(8)今こそ美術館に行こう 千住博
(9)コロナと文明の衝突 横尾忠則
(10)もぐり酒場の客 常盤新平
(1)老後は帰国して日本で暮らす
(2)生き生きEATS
(3)成田陽子のTHE SCREEN ジョージ・クルーニ
(4)配偶者に手厚い米国の年金
(5)コロナ後の世界を考える 冷泉彰彦
(6)バイデン・ハリスに期待 北岡和義
(7)直接給付が成立 一律600ドル支給
(8)今こそ美術館に行こう 千住博
(9)コロナと文明の衝突 横尾忠則
(10)もぐり酒場の客 常盤新平
長い年月を米国で生きて、仕事の仕上げも見えてきて、将来は日本に帰国して老後を過ごしたいと考えている日本人が少なからずいる。米国は、医療費や保険代を個人で負担するにはあまりにも高額なことも背景にあるようだ。幸い、米国で長年働いて米国政府に収めた社会保障年金、ソーシャル・セキュリティーの蓄えは、定額で死亡するまで受け取れ、日本に帰国、在住していても支給されるため、米国からの帰国者は経済的に生活力を維持しやすい。一方で、米国では、医療保険、健康保健代が非常に高額なため、年金のメリットを十分に活かせないという悩みを抱えている。
ニューヨーク日系人会(JAA)がこのほどまとめた『在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査〜訪問介護の在り方を探る〜」では、日本で老後を過ごすことを選択肢として残している者が、アンケートに答えた者の51・4%と半数以上に上った。
帰国して自分の故郷に戻って暮らすのもよし、今まで住んだことのない日本の地方都市で生活を始めるのもよし。問題は住む場所と将来の介護ケアの安心材料をどこまで米国にいながら入手できるかだろう。
帰国後も元気なうちは高齢者向けレジデンスの食事付サービスや施設の充実したところで暮らしたいと考えている人が多いようだ。海外にいても、インターネットでなんでも調べることができる時代だが、自己流で調べても限界がある。本紙新年号では、そんな人達に向けた日本での老後について、各分野の専門家にアドバイスしてもらった。
在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査(訪問介護の在り方を探る)と題した調査結果がこのほどまとまり、ニューヨーク日系人会(JAA、西45丁目49番地11階)で1冊の小冊子を作成した。桃山学院大学(大阪府和泉市)の金本伊津子研究室が、JAAの邦人・日系人高齢者問題協議会と協力して統計調査した。
2006年にJAAが実施した高齢者問題に対する意識調査と 12年後の2018年の調査によって、共時的比較分析が可能となり、高齢化の進み具合や社会情勢の変化による意識の変化などについても踏み込んでいる。
同調査では、老いの問題は、他人任せになりがちで、おざなりになったり、後回しにされたりしがちな問題として位置付け、特に海外で老いを迎える日本人、日系人は、老いのモデルが欠如していることから、自主的な関わりが特に必要な状況にあるとしている。
同研究は(1)ニューヨーク近郊に在住する日本人、日系人の高齢化の現状を把握すること(2)高齢者がどのようなサービスを求めているのかその優先順位を明らかにすることを目的に2018年9月上旬から10月7日までで2057人にアンケートを配布し611人から回収した(回収率29・7%)。回答者の居住地はマンハッタンが32・6%、クイーンズが15・7%、ウエストチェスター8・4%、ロングアイランド3・1%、ニュージャージー州20・7%。女性が69・3%、男性27・2%。平均年齢は66・4歳。最小が40歳、最高齢が100歳。70代の回答が25・7%と最も多い。米国でのステイタスは、永住者が59・2%と最も多く、ついで米国市民が36・2%だった。
「もし将来日本に永住帰国する場合、いつごろの帰国を考えていますか」という問いに対して「考えていない」と回答した者が42%で、これは米国で老後を過ごすと決めている37・5%とほぼ同数であると考えられる。具体的に日本への帰国を検討している者は「1年以内」が2・1%、5年以内が7・7%、「10年以内」が8・7%、「15年以内」が4・8%、「20年以内」が2・6%、「20年以上」が1・5%の計27%おり、「考えているが時期は未定」(24・4%)と合わせて考えると日本で老後を過ごすことを選択肢として残している者が51・4%と半数以上に上ることが分かった。
日本帰国の理由は「日本の方が安心した老後が送れるから(言葉、食事、ケアの質など)」と回答した者が40・2%で最も多く、米国より日本での老後に安心感を持つ者が多い。「日本に家族(子供)・親戚がいるから」(11・3%)、「日本に親がいるから(介護を含む)」(6・2%)と親族が日本にいる場合であることも日本への永住帰国の要因となっている。
JAAの野田美知代事務局長は「日本に帰るかどうかの年齢的な目安は、エネルギーのまだある80歳くらい。特に身寄りのないひとり暮らしの高齢者が自宅で転んだりして入院した場合、リハビリセンター、ナーシングホームと辿るコースができていて自宅に戻れないことが多い。米国に残るなら社会福祉のメディケイドを利用でき、医療費を安く抑えられるが、手続き移行中の2、3か月中に多額の費用負担が生じる。元気なうちに情報を集めて早めに自分の老後と向き合って欲しい」と話している。
アメリカも日本も同じように2020年は、コロナ禍に振り回されました。個人的なことですが、2月以来、アトリエに閉じこもった生活で、お蔭(?)で絵の制作時間がたっぷり取れました。コロナのために依頼仕事はうんと減ったことが、絵に集中することができたのです。僕は元々、外出することはなかったので、緊急事態宣言が発生されても、生活には何の変化も起こりませんでした。
アートにとっては、このような危機的状況はかえって面白い仕事をさせてくれます。コロナと関係なく、僕は常に、自分の中に、危機感を抱くようにしていましたが、僕に関していえば、コロナによって自然体でいることができました。そして創作の現場では、コロナのネガティブ・パワーを創造のポジティブ・パワーに切り替えることができました。コロナとの共生共存が、逆に作品を豊かにしてくれたと思います。
とはいうものの見えないコロナの終末は個人的にも社会的にも、深刻な不安に襲われます。日本も、また東京も、毎日感染者が拡大する一方です。命が大事か、経済を優先するのかの議論が政治の大きなテーマになって国民を不安に陥れています。日本もやっと3月頃からワクチンが採用されるようですが、そのワクチンの効用はまだ不明です。世界がコロナによって、あらゆる問題が共有されていますが、一方で対立も激化する可能性もありそうです。
世界の大方の人々は「今なぜ、われわれが、この問題に直面しなくてはならないのか?」という疑問を抱いています。日本には自業自得、因果応報という仏教の考えがあります。何事も物事は偶然に起こることはない、必ずそこには起こるべき原因があるというのです。この仏教の理法をコロナに当てはめて考えて見ると、何が問題なのかが見えてくるように思いませんか。火のないところに煙は立たぬというように、必ず問題の原因はあるのです。しかし、現在は、その原因の問題など考える余裕はありません。出てきた結果に振り回されているだけです。ワクチンができたのは、一末の光かも知れませんが、人類全員がワクチンを打つということになるんでしょうか。今のところが、このことが、唯一の解決法なのでしょうか。
コロナは果たして自然現象でしょうか。文明が発達した結果が、コロナだったとは、まだ誰も言っていません。そのコロナを退治するのが文明だという発想だと思います。今後も文明による想像もつかない危機的状況に直面するかもしれません。でも、それを回避させるのは文明だという発想がどこかにあるように思います。地球がまるごと汚染されても文明が解決するという発想なのでしょうか。原因の追求よりも、結果の解決を優先しようとする今日の人類の智恵が正しいのかどうなのか僕にはわかりません、人類の終末時計の刻む音が聞こえなくなっていることに誰も恐怖を抱いていないんでしょうかね。(よこお・ただのり/美術家/東京都在住/12月21日本紙向け書き下ろし)
横尾さんは最近 WITH CORONAというシリーズで、マスクをつけた作品を発表している。横尾さんのツイッターで発信しており、すでに500点ぐらいアップされている。本紙デジタル版で横尾さんの下記のツイッターアドレスをクリックすると見ることができる。
今号ではお正月にぴったりのお料理をNY料理界の第一線で活躍する山田勲さんに紹介して頂きます。丁寧に炊いた根野菜と、炒めた鶏もも肉とこんにゃくの具材に、豆乳と酒粕、白味噌を合わせた粕汁を注いで仕上げる「鶏肉と根野菜のクリーミー粕汁」。少し手間はかかりますが「豆乳と白味噌のクリーミーさで従来の粕汁が苦手な方も美味しく頂けます。酒粕にはビタミンやミネラルが豊富ですし、根野菜で身体をあたためて免疫力もアップ!寒い冬にぴったりの一品です。」と山田さんおすすめの料理にいざ挑戦!
京都嵐山吉兆にて修行。福岡にて懐石花栄を開業。32歳の時にニューヨークへ移住、ブラッシュストローク総料理長に就任。現在、持ち帰り専門店「Bentos」を手がける中、春にオープン予定の懐石レストランプロジェクトを遂行中。
材料 (5人前)
粕汁=鶏出汁(市販のものでも可) 500ml、豆乳(ノンシュガー、ノンフレイバー) 300ml、西京白味噌90g、酒粕80g
具材1=大根 300g、人参 150g、ごぼう 80g、さといも 5個、鰹だし(または鶏出汁) 600ml、薄口醤油 大さじ1、みりん 大さじ2、塩 大さじ1/2
具材2=鶏もも肉1/2枚(180g)、こんにゃく 1/2枚程度、長葱の白い部分 40g、サラダ油 適量、塩胡椒少々
仕上げ=茗荷適量、長葱の青い部分 20g、柚子(またはレモン) 適量、七味唐辛子適量
作り方
①根野菜の準備 大根は皮を剥き輪切りに、里芋は皮を剥き水につける。人参は皮を薄く剥き乱切り、ごぼうはたわしでよく洗い乱切りにして水につける。
②下茹で 大根、里芋は竹串がスッと入るまで炊く。人参は少し歯応えが残るくらいが良い。ごぼうは繊維が強いので他の材料よりも多少長めに茹でる。
③鰹だし(または鶏出汁)にみりんを入れ、根野菜を炊く。湧いてきたら中火弱にして、10〜15分炊く。薄口醤油、塩を入れ、5分ほど炊いたのち、一旦火を止めて常温まで冷ます。煮物は冷めていく過程で味がしみるので、しっかりとした味をつけたい場合は一晩冷蔵庫で寝かせたほうが良い。
④こんにゃくはアク抜きをした後、塩をまぶして15〜20分程度おき、1〜2分茹でてザルに上げる。茹でたこんにゃくをスプーンでちぎるか、包丁で一口に切り分ける。
⑤長葱の白い部分を小口切りに、鶏肉は筋や余分な皮を取り除き、一口大に切る。
⑥こんにゃく、長葱、鶏肉をフライパンで炒め塩胡椒で下味をつける。
⑦鍋に分量の鶏出汁、豆乳、酒粕、西京白味噌を入れ、中火であたためながら溶かす。酒粕が溶けてきたら火を強めて沸かす。(酒粕のアルコール臭が苦手な方はよく沸かしてください)
⑧お椀に具材を盛り付け、粕汁をそそぎ、茗荷、柚子(なければ、内側の白皮を除いたレモンの皮)、青葱、七味を点盛りにして出来上がり。
監督、制作、主演を兼ねたジョージ・クルーニーの新作「ザ・ミッドナイト・スカイ」で彼が演じるのはガンを病む年老いた科学者。北極のブリザードの中、眉もひげも凍りついて、よろめきながら、ひたすらに目的に向かって使命を果たすと言うヒロイックな役なのだが、ワタクシは彼にこう質問しました。
「こういう役はブライアン・コックスに任せて、我らがジョージにはハンサムで性的魅力を発揮するような役を手がけて欲しいのですが」
クルーニーは苦笑を浮かべて答えてくれた。「現在の地球に救いの手を差し伸べる格好のストーリーだと思ったし、こういう役こそ、演じがいがあるというものだ。自分でやればギャラも少なくて良いし」
ハリウッドの美男美女スターは得てして老け役、醜くなっての汚れ役をしたがる。そして演技賞を獲得する率が高い。
しかしコロナ危機の今、せめて画面の上だけでも憧れのスターが非現実的な美形を演じて、夢のような世界に引きずり込んで欲しい、と願うのはワタクシだけではないでしょう。
ブライアン・コックスはTVシリーズ「サクセッション」で主役を張るスコットランド出身、74歳の典型的親分役俳優。
おまけにクルーニーはこの役を演じるために過激な減量をしてほとんど死に損なったのである。
「別荘があるイタリアで周りがパスタだ、ワインだと騒いでいるなかで僕一人、躍起になって豆のスープなどのダイエットをしていたのだが撮影直前になって痛みで倒れてしまった。緊急病院に入院して膵炎と診断されてね。2日間ほど入院し、その4日後に撮影に入ったんだ。幸いなことに軽症だったが痛みは続いていた。役作りでは弱り果てた老人だから効果があったものの、監督業には相当のエネルギーが要るからしばらくは苦しい日が続いたね。焦っての減量は非常に危険だと思い知らされた。自分の歳を考慮しての健康管理が必要だとね。(今年の5月6日に59歳)
この映画を作ろうと思ったのは今こそ、科学に耳を傾けろ、やれ人種だ、偏見だ、などと言うことより、人類と自然が破滅に向かっている事実に焦点を合わせ、自分たちの使命を改めて考えよう、後悔を乗り越えての償還(あがない)のドラマを描きたかったからだ。
それにしても過酷なアイスランドのロケだった。見渡す限り氷のみ、氷が溶ける時の色が青いのを初めて知った。ま、僕らはそこでテント暮らしをしているわけでなく、暖かいホテルに戻って夜を過ごすわけだからあまり文句も言えないが、氷山が溶けていくのを目の当たりにして地球の危機を思い知らされたりもしたね。
3月からロサンゼルスで家族4人、引きこもり生活中だ。妻のアマルの家族はレバノンの爆撃でかなり被害を受けたのだが彼らにはサバイバルの積み重ねがあるから、見事なほどに耐えている。僕自身も両親に会ってないし、アマルも飛んで行きたい気持ちを必死で抑えているようだ。まあ、もう少しの辛抱だからお互いに焦らずに安全第一で頑張りましょう」
ズームの向こうでクルーニーは晴れやかな笑顔を見せてくれた。
(ツーショットは昨年ロンドンで撮影したもの)
(なりた・ようこ/ジャーナリスト/ロサンゼルス在住)
日本帰国後、米国年金の登録住所及び日本の銀行口座への振込先変更手続きを行います。①住所変更は、FormSSA-21② 振込先を変更する場合は FormSSA-1199-JAでいずれも「連邦年金課」 に郵送します。郵送先:〒107-8420 東京都港区赤坂 1-10-5 在日米国大使館連邦年金課。
または「連邦年金課」にメール・電話で手続きがケースにより可能。必要な情報:住所、SSN、振込先銀行口座情報(銀行名、銀行コード、支店番号、口座 番号、口座の種類(普通、当座)。なお、日本帰国に伴い Medicare を脱退希望の場合は「連邦年金課」に申し入れれば対応してくれます。問い合わせ先:米国大使館領事部「連邦年金課」(電話03・3224・5000、火曜と木曜の午前9時から正午まで、 Eメール FBU.Tokyo@ssa.gov)日本語可能。
日本と米国の年金制度を比べると、当然ながら類似点もありますし相違点もあります。その中で米国年金の場合、一番驚かれ喜ばれることは年金受給者の配偶者の方にも年金が支給され、しかも年金額が受給者の半分ももらえるということです。
年金受給者のAさんは現在の標準退職年齢(NRA Normal Retirement Age)である66歳から年金月額1000ドルの年金を受け取り始めました。その時点でAさんの奥さまは年齢が63歳。標準退職年齢までそれから3年待って66歳から受け取りを開始すれば500ドルの年金が終生受け取れることになります。ですからAさんのご家族としては1500ドルの年金がその後毎月受け取れることになります。奥さまの年金受給手続きは年金の加入者であるAさんの手続き後、基本的に個別にする必要がありますのでご注意ください。
離婚した元配偶者の年金を受給する条件は、①受給者との10年以上の婚姻関係②62歳以上で受給開始時に独身であることです。受給後再婚したらその結婚が終了(死別、離別、取り消し)しない限り年金を受け取ることが出来ません。 また離婚した元配偶者が遺族年金を受給するためには、①受給者との10年以上の婚姻関係、②60歳以上で受給開始時に独身であることです。
新型コロナウイルスについては、世界的な流行(パンデミック)状態のまま、2021年の年明けを迎えた。今年は、この流行終息へ向けて国際社会や各国がさまざまな試行錯誤を行う年となろう。接種がスタートしたワクチンが希望であるのは間違いないが、各国で効果的な「免疫の壁」を作り上げるためには接種率の確保が前提になる。
英国における変異種の出現も報じられる中、全体的な情勢は厳しく決して楽観はできない。けれども、この2021年の年初にあたって、コロナ後の世界を見据えておくことは必要だ。それは2020年代の世界をどう構想するかということに他ならない。
コロナ後の世界を考えるには、2つの異なった方向性を考える必要がある。一つは、人々がより個別の集団に「閉じこもる」動きである。残念ながら、現在の社会がそうなっているように、国は国境を閉じ、州や県は同じように他の週や県との往来を制限する、そんな方向性である。
もちろん、感染が収束すれば、世界規模で大なり小なり旅行ブームや出張・留学の大規模な再開はされるであろう。だが、多くの国が、州や県が、そして学校、企業、あるいは家庭というものは「万が一」に備えたいという思いから「何らかの準備」をするであろう。
例えば、国境管理を厳しくしたままの国というのは残るであろうし、一部の多国籍企業は財力に任せて自分たちだけが延命するために「人材の囲い込み」などを行うかもしれない。また、米国の一部では、パンデミックの終息後にもアジア系への偏見や差別が残る可能性は否定できない。
その一方で全く正反対の方向性もある。終息の後に各国の政府や世論が冷静になってみれば、もっと国際協力がされていたら大規模なパンデミックは防止できた、そのような反省が生まれるかもしれない。そして、実際にそのような反省が生まれるのであれば、将来へ向けてはより国際的な協調が必要であるし、そうしようという動きが出てくるであろう。
例えば流行に対する初動について、今回の失敗例を教訓とすればさまざまな対策は可能であり、その多くは国際的な足並みを揃えることで効果を発揮するに違いない。またワクチンの成功によって感染終息が実現したとなれば、ワクチンの開発や製造、接種に関してより国際的な協力体制を作ろうという動きになるかもしれない。
夏の東京オリンピック・パラリンピックの開催については、全く楽観を許さない。だが、仮に開催できるとしたら、人類が国際的に交流し協調することが、より人類全体に安全と安心感をもたらす、大会の成功がそうしたメッセージの発信になればと心から願うものである。
この2つの動きに加えて、管理社会か透明性のある社会かという問題も大きい。パンデミックの初動において、例えば中国という国は徹底した管理統制により、一部の例外を除いて流行を湖北省内に抑え込んだ。これによって早期の完全終息を実現し、社会経済活動の全面再開を行っている。だがその一方で、14億人が全く無免疫の状態で放置されることともなった。切り札はワクチンだが、さすがにこれは管理統制によって接種できるものではない。副反応や効果について透明性を確保しなくては、接種率は上がって行かないであろう。
そう考えると、世界規模の感染症に対しては管理統制社会の方が、自由と民主主義を掲げる社会より優れているなどという論理は通用しないことがわかる。その一方で、米国の場合は感染対策に失敗を続けた結果、本格的な流行が10か月間続くなかで死者が30万人を超えるという悲惨な結果となった。これも米国が自由過ぎたから、野放図であったからということではない。感染症と衛生管理に関するリテラシー、つまり国民の側のサバイバルスキルの問題という理解が必要であろう。
一言で言えば、今回のパンデミックは人類に対して文明論的な再検討を突きつけてきた。2021年、この難しい課題に対してどう取り組むかが問われている。
れいぜい・あきひこ=作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年よりニュージャージー州在住。
民主党中道派の重鎮、議員歴36年のベテランがジャーマンシエパード二匹とともにホワイトハウス入りすることでジョー・バイデンの政治が始動する。米国史上初の女性副大統領となったカマラ・ハリスに期待が集まる。
ドナルド・トランプの自己本位政治が終わった。バイデン政権にどんな困難が待ち受けているかは誰も知らない。ただ強権フェイク政治が終わりを告げるだけでも2021年は光がさすとぼくは考えている。
ロサンゼルスに住んでいた時もアメリカの人種平等、民主主義への熱い思いがあった。
4年前、ドナルド・トランプの登場でいい加減で無責任なアメリカが大手を振った。超保守と言われるトランプ支持者の極端な支援は異常とも言えた。何のためか大統領選挙の投票を巡って小銃を持ち出し真っ黒の服に顔を隠す戦闘服の男たち。今にも発砲しそうな雰囲気で気味が悪かった。
1964年深南部・ミシシッピー州で現実に起こった公民権運動家ら3人の殺害事件を想い出す。アラン・パーカー監督の映画「ミシシッピー・バーニング」。白人優位主義KKKの黒人家庭への放火、爆破による襲撃。黒人への凄まじい暴力が半世紀前の深南部アメリカの真実だった。
異例づくめの2020年米国大統領選挙。投票は終わっても勝敗は不明、という信じられない奇妙な結果で推移している。2020年12月、トランプは自身の敗北を認めていない。
トランプの発言によればバイデンが勝った州は不正が行われたという。裁判所に提訴、その州の票のカウントを止めさせようとした。現職の大統領が投票結果を認めない、といういちゃもんで混乱させた。トランプ大統領本人がアメリカ民主主義を腐食させていることだけは確かだ。
果たしてアメリカは回復できる知恵と良心があるのか。新型コロナウイルスの蔓延とともになんとも理解し難い年明けとなった。
議員歴が長かったジョー・バイデンは2021年1月20日、第46代米国大統領に就任する。史上最高の高齢大統領で、副大統領に女性、カマラ・ハリスを指名した。これまた史上初の女性副大統領の誕生である。
ハリスは1964年10月20日カリフォルニア州オークランド生まれ。インド系移民の母、ジャマイカ出身の父、という血脈で、夫は裕福な白人の弁護士で本人はカリフォルニア州司法長官という経歴である。
ワシントンDCのハワード大学卒。2016年11月8日カリフォルニア州選出上院議員。
トランプ政権と極端に違う正副大統領が20日の就任式を経てホワイトハウス入りする。
ぼくの関心はこの二人の民主党政治家によりトランプでガタガタになったアメリカの政治を修復、修正できるかどうか。
当面、対立が先鋭化した中国との関係をどうするのか。中国共産党の一党支配が強化され、アメリカが香港や台湾に接近すれば中国の反発は一層強まる。
日本との関係は日米安保体制下、変わりようがない。中国、韓国、北朝鮮など北東アジアへの政策に変化はあるのか。外交のベテラン、バイデンの政策が注目される。
そしてカマラ・ハリス。早くもバイデンの後継が噂されている。とすれば米国史上初の女性大統領が誕生する。2021年、アメリカが面白くなってきそう。
2020年はコロナで明けコロナで暮れた。しかも年末になってコロナ感染はますます拡大傾向にある。どの国も乗り物やレストランに規制をかけている。まさにパンデミックだ。これがいつ沈静化へ向かうのか、だれも分からない。
政府も東京都もオリンピックを敢行するつもりらしい。このコロナ蔓延の時期にそれが可能かどうか。
21世紀とはこうした予期しない天災に見舞われ、各国がどう対処するのか。
アメリカはコロナ退治に関し完璧に失敗している。どうやらアメリカの世紀はすでに終わっているのではないか。
新しい時代はどこがリーダーになるのだろうか。中国はどうする?
実に興味深い。
(きたおか・かずよし=読売新聞記者を経て日本大学教授、ジャーナリスト)
米連邦議会上下両院は21日、9000億ドル(約93兆円)規模の新型コロナウイルス追加経済対策法案と2021会計年度の連邦政府予算案の採決を行い、下院で359対53、上院で92対6の賛成多数で可決した。トランプ大統領は内容に不満を述べていたが、27日夜に署名し成立した。
追加経済対策法案は3兆ドル(約320兆円)規模の追加支援を求める民主党と支出を抑えたい共和党との交渉は膠着状態となっていたが、現在の経済対策が年末に切れるのを前に可決を急いだ。26日に1200万人分の失業給付が切れ、また28日には政府予算案の期限切れによる政府機関一部閉鎖が迫っていた。
今回の経済対策では国民の大半が対象となる1人あたり600ドル(約6万2千円)の直接給付や週300ドル(約3万1千円)の失業保険上乗せ延長が決まった。3000億ドル規模の企業支援、中小企業向けの特別融資「ペイチェック・プロテクション・プログラム(PPP)」などのほか、250億ドル規模の家賃支援なども盛り込まれた。
しかし、3月の経済対策は大人1人に1200ドル(約12万4000円)支給や週600ドル(約6万2000円)の失業給付金上乗せなど総額2兆4000億ドル(約250兆円)あった。これに比べ今回は規模が縮小した。トランプ大統領は22日、ツイッターで「期待したものと大きく違う」として署名しない意向を示し、「無駄で不要なもの」は削り、現金支給を2000ドル(約21万円)に増額するよう求めた。民主党のペロシ下院議長もこれを歓迎したが、時間切れでトランプ大統領は署名に踏み切った。
直接給付を受けられるのは、今年もしくは昨年のどちらかにオンラインで個人所得税申告を米内国歳入庁(IRS)に申告した者。申告者の銀行口座に一律に近く振り込まれる。夫婦合算申告している場合は2人分の給付を受ける。
私がニューヨークで生活を始めたのは1990年代だった。その頃はインターネットは全く普及していなかった。ホームページもなかったしユーチューブもない。そんな環境のなか、日本で海外の美術雑誌を待っていると、2か月遅れて洋書店に入る。これが世界の最新か、と頭に刻み込んでいる時には、すでに新しい動きや見たこともない新人が出ている。だから、新しい芸術を学びたい者は情報の中心地に自ら来るしかなかった。
一昔前なら、それはパリだったろう。その当時は旅客機がないのだから一層大変だった。黒田清輝がパリで最新の「印象派」という美術運動に感化され、日本に船で大急ぎ帰って、藤田嗣治に教え、藤田がまたまた大急ぎで船でパリに渡った時、印象派は終わっていた。藤田が、黒田から指定された印象派向きの色彩豊かな絵の具の入った箱を床に叩き捨てて、そこからが自分の画業の始まりだった、といったのは有名な話だ。
舞台はパリからニューヨークに移った。
しかしコロナ禍で急速に変化が訪れた。ニューヨークのような都市は密の究極、と人々は知ることになる。
そして都市なるものの本質、すなわち情報のやりとりは、急速にネットの中に移行する運命となる。
だがAIやデジタルは計算速度を増した情報処理以外の何ものでもない。そしてパソコン画面に映し出される視覚とスピーカーからの聴覚だけでは人は生きていけない。人間の五感に対応できないからだ。従って、これから人はますます触覚的な体験価値を軸に文化を展開することになると思う。
御存知の方も多いだろうが、ニューヨークには数多の美術館がある。東京都の2つの区くらいの区域に、メトロポリタン美術館を筆頭に、考えられないくらい優れたコレクションの美術館がひしめき合っている。これが私がニューヨークから離れられない最大の理由でもある。例えばフェルメールがニューヨークに何作あるだろうか。世界に30作弱しか現存しないといわれるなか、ニューヨークの美術館には8作が展示されている。日本に数作集まるだけで長蛇の列となるのはご存知のとおり。これはフェルメールだけの話ではない。
3Dプリンターで表せない質感、アルゴリズムではじき出せない意外性、即興性、試行錯誤の痕跡、これらが人間のつくり出した芸術の本質だ。疫病や戦争などの不安感のなかで自らの命と同等の価値を認め、人々が必死に守り継いできたそれらの絵画、彫刻、工芸がこの地の美術館には数多く存在しているのだ。
優れた芸術作品は、それぞれの時代背景のなか、世の中には何が足りなくて何が歪んでいたのかを指摘し、それを描いてきた。人類史上最悪といわれる疫病の後に科学の必然を告げたのがレオナルド・ダ・ビンチだったし、健康感の大切さを説いたのがミケランジェロだった。そして第一次大戦の暗い時代に、モネは日常に降り注ぐあふれる光を描き、ルノアールは暖かさに満ちた無垢の人々を描いた。
先人たちが伝えてきた美術品の数々は、コロナ禍に苦しむ今日、私たちはどこから来たか、私たちは何者か、そして私たちはどこに行くのか、という人生の命題を教えてくれているに違いない。もし許せる状況にあれば、十分に注意を払って、年末年始にニューヨークの美術館を訪ねてみるのはどうだろう。
2020年はどんな一年でしたでしょうか。日本行きを予定していた方、バケーションを楽しみにしていた方など、想定外の状況に戸惑った方も多いのではないでしょうか。しばらく旅行は諦めようかな…そんな方に、1988年創業の旅行会社アムネットが2021年の最新おすすめ旅行情報をお届けします。ウィズコロナの新たな旅行スタイルで、旅のニューノーマルを始めてみませんか?
日本人にファンも多いハワイ。ニューヨークからは直行便で片道約11時間20分、アロハ(愛)に包まれたハワイの個性豊かな6つの島々には、有名な名所から穴場まで観光スポットが満載です。年末年始に芸能人が訪れることで有名ですが、実は5月中旬〜7月中旬の乾季が気候も過ごしやすく、安く渡航できる場合もありベストシーズンです。
現在ハワイへ渡航する場合、出発前にハワイ州の「Safe Travels Program」への登録・申請が義務付けられています。到着時に空港でQRコードの提示を求められますので、事前にご準備ください。ハワイ到着後の14日間自己隔離の免除には、以下の条件に沿ったハワイ州保健局が指定する陰性証明書を到着時に提示する必要があります。※指定外の陰性証明書の場合は免除対象外
・出発前72時間以内に検査を受診
・ハワイ州保健局認定の医療機関で、アメリカ食品医薬局(FDA)承認のPCR検査を含む核酸増幅検査(NAAT)を行い、指定の陰性証明書を発行
一生に一度は見てみたいオーロラ、アメリカ国内でも鑑賞することができるのをご存知ですか?特にアラスカ州の中心に位置するフェアバンクスはオーロラで有名な町で、観測に適した場所になります。
アラスカでのおすすめの過ごし方は2つ。まず、オーロラ観測が一番の目的の方には「郊外滞在型」。光が少ない郊外のロッジに滞在して、日中はのんびり、夜中はオーロラの出現を待つというプランです。フェアバンクス郊外には温泉リゾート「チナ温泉」もあり、雪上車や犬ぞりなどのアクティビティーに参加することもできます。もう一つはオーロラの他に市内観光も楽しみたい方には「市内滞在型」。日中は市内をエンジョイ、夜は郊外でオーロラを観測する贅沢なプランです。
現在アラスカは米国内では感染者数が最も少ない州の一つで、州外からアラスカへの旅行は一定の規制の下に許可されています。以下の条件を満たせばアラスカ到着後に14日間の自己隔離もありません。(到着までに検査結果を受け取れなかった場合、結果がEメールで届くまでは自己隔離)
・アラスカへ出発前にオンラインのドキュメントに記入して送付
・出発前72時間以内に行われたPCR検査の陰性証明書(通常はEメール)を提示
海外旅行に行くには難しい状況が続く中、カリブ海リゾート「カンクン」の人気は衰えることを知りません。人気のオールインクルーシブプランなら、食事やアルコール、アクティビティーなどの費用がコミコミで、お財布いらずで過ごすこともできます。
カリブ海旅行が初めて場合、ホテルは「ホテルゾーン内」でお選びください。家族向けホテルからハネムーン旅行やカップルに人気のラグジュアリーな大人専用ホテルまで、ニーズに合ったホテルを選ぶことができます。ハイクラスな旅を楽しみたい方には、世界中から多くのゴルファーも訪れる「リビエラ・マヤ」。透明度抜群の泉「グランセノーテ」やマヤの都市「トゥルム」、テーマパークなど観光名所が多数あり、滞在中の移動時間を抑えることもできます。
ビーチやホテル以外にも、カンクンの魅力と言えば世界遺産巡りや本場メキシコ料理。代表的な「チチェン・イツァ遺跡」はカンクンから車で約2時間半、日帰りで観光することもできます。3月には年に2回しかない「ククルカンの降臨」も見ることできます。
ニューヨークからは直行便で片道約4時間。渡航の際は機内で問診票への記入、カンクン空港での検温のみで、PCR検査はなく簡単に入国することができます。また、ホテルのほとんどは営業を再開しており、衛生面の徹底も図られていて安心です。
近郊旅行から海外旅行まで、これからの旅行の楽しみ方はあなた次第。2021年は旅のニューノーマルを体験してみませんか? アムネットは安全に楽しく旅行ができる未来を目指し、旅行者の皆さまと旅に携わる皆さまを応援し続けます。2021年も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
※記事作成時の情報となりますので、最新情報は各公式機関にてご確認ください。※現在地域により移動制限等が発表されておりますので、各州の最新情報や現地大使館・総領事館からの安全情報をご確認ください。
旅行会社 アムネット バケーション/テーマパークデスクamnet-usa.com
「ニューヨークには何年住まれましたか」と訊かれるたびに、もう赤面はしなくなったが、気恥ずかしくなる。ニューヨークに住んだことはなく、この都市についての知識はみな新聞や雑誌から拾ってきた。
何ごとも読めばわかると信じていた時期が長く続いた。活字が好きだったからであるが、旅をするようになって、ものごとは自分の目で確かめなければならないと悟った。
ただ、活字のおかげで、私が生まれる前の1920年代を知ることができた。その一つがグリニッチ・ヴィレッジにあったモリアーティという酒場である。
禁酒法が酒類の販売や飲酒を取り締まっていた20年代にはスピークイージーといわれる「もぐり酒場」が市内のいたるところで営業していた。
酒を禁じることにそもそも無理があった。1910年代からとくに禁酒運動が盛んになってきて、第一次大戦後の1919年に憲法によって禁酒法という悪法というか、ザル法というか、世にも不思議な法律が施行された。
ヴィレッジにはフランスの家庭料理を安く食べさせるもぐり酒場が何軒もあって、その一軒、マドモアゼルプティパという酒場は、2階が下宿屋になっていた。変わった店で、客は二つのタイプに分かれていた。
一つはこの界隈に住むアイルランド系で、近所のアパートメント・ハウスのドアマンや三番街の百貨店の守衛や分署の警部補など。ヴィレッジにはアイルランド移民が多く住んでいた。もう一つのタイプはダン・モリアーティの言う、ジェントルマンの紳士がなまったジントルミンだ。ウォール街の重役やニューヨーク・ヨットクラブの理事、それにエール、プリンストン両大学の金持ちの学生たちだった。
同じ酒でも値段が違っていた。アイルランド人は一杯五十セント。ジントルミンは一ドル五十セント。もぐり酒場だから頑丈な鉄製の扉には覗き穴があって、やってきた客が常連かどうかをこの穴から確かめた。
階段をおりた地下室がアーク灯輝く酒場だった。カウンターには十二の腰掛があり、テーブルが三つか四つある。そこにすわるのは酔っ払った客以外にはほとんどいなかった。
店はモリアーティの三兄弟がやっていた。イーストサイドに住むアイルランドの二世で、民主党びいき。常連もアイルランド系で占められていたから、店もいわばアイリッシュ・パブだった。
三兄弟の長男のダンは口ひげを生やして、陽気で気前がいい。二男は陰気でとっつきにくく、末弟のジムはボクサーくずれのうぬぼれ屋。禁酒法が廃止になると(1933年)、独立してマディソン・アベニューに自分の店を持ったが、精神病院で死んだ。
当時のバーテンダーを務めるオールド・ジョーという老人がいて、毎朝店を開けていた。彼は週刊誌「ニューヨーカー」を創刊したハロルド・ロスについて語っている。
「あのロスって人はゆうべここに来て、ひとことも口をきかないで、バーボンを十杯も飲んだ。文学関係の人はなぜああなのかね。人づきあいが悪い。とにかく新しい入れ歯を試してみるとよかったんだよ。私は自分の入れ歯を貸してやろうとしたんだが、あの人は断った」
モリアーティの閉店は午前二時、そのころになると、帰りたくない客は声をそろえて「ハウス・ウルフ、ハウス・ウルフ」と叫ぶ。帰る前に店のおごりで一杯飲ましてくれという合図だ。ハウス・ウルフは当時最も人気のあったゴードンのジンのラベルに関係があるという。恐ろしい牙をむいた狼の画がこのジンのラベルだった。
客の一人にジャック・トーマスという作家がいた。20年代のはじめに『ドライ・マティーニ』という小説を書いて、これがベストセラーになった。
高級ホテルのバーを舞台にした長編で、のちに映画化されて、作者は名声と富を得たが、富のほうは酒と女につかいはたしてしまった。モリアーティの酒場もヴィレッジの歴史のささやかな名物の一つだ。
(写真)かつてディラン・トーマスなどの作家が訪れた1880年創業の老舗バー、ホワイトホース・タバーン(11丁目ハドソン街、撮影・島津貴幸)
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。