【編集後記】
みなさん、こんにちは。大統領選挙が3日全米で行われ、各州に割り当てられた「選挙人」獲得を争い、全米538人の過半数270人以上を得た候補が当選するなかで、米東部時間5日午後4時30分現在の選挙人獲得数(NYタイムズ紙調べ)は、トランプ氏が214人、バイデン氏は253人と開票大接戦の終盤でバイデン氏が王手をかけています。一部報道ではバイデン氏264との数字も出ていますが、まだ確定ではありません。ペンシルベニア(選挙人20人)が「民主」で決まればバイデン当確となります。ただ今日中に勝者を決めるのは難しいようです。郵便投票の到着遅れや数の多さなどで混乱しており、トランプ陣営が裁判所に開票停止を求めて訴えを起こしているので保留になってしまっている票も出て来ているようです。また今現在、明日の午後まで開票結果を発表しないと言ってる州もあるので、早くて明日の午後か。バイデン氏も会見で「すべての票がカウントされるまで、辛抱強く待ちましょう」と言ってました。トランプ氏は昨日4日未明、勝敗未定の段階で「大きな勝利だ!」とツイッターに投稿し、午前2時過ぎに支援者を前にした演説で「我々はこの選挙に勝とうとしており、率直に言えば勝った」と事実上の勝利宣言をし、4日以降の集計の中止を求めるという前代未聞の展開となっています。そして今しがた、トランプ大統領が記者会見し、各州の開票現場で、公式立会人が遮断されて集計作業が行われたところがあり明らかな不正が行われたと批難して法的手段でこの選挙の違法性を明らかにすると述べました。一方的な会見で、記者団の質問には答えませんでした。「火事は最初の5分、選挙は最後の5分で決まる」と言ったのは渡辺ミッチーですが、この選挙、最後の5分が見えません。民主主義の一番進んだはずの先進国アメリカの選挙は、暴君がちゃぶをひっくり返すような発展途上国さながらのドタバタ選挙ドラマに一見、見えますが、事態の真相が明らかになるにつれ、一筋縄では行かない選挙の内幕が明らかになるのかもしれません。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)
開票大波乱
トランプ大統領勝利宣言
バイデン票逆転なら混乱必至
大統領選挙が3日全米で行われ、各州に割り当てられた「選挙人」獲得を争い、全米538人の過半数270人以上を得た候補が当選するなかで、米東部時間5日午後2時現在の選挙人獲得数は、トランプ氏が214人、バイデン氏は253人と大接戦を繰り広げている。トランプ氏は4日未明、勝敗未定の段階で「大きな勝利だ!」とツイッターに投稿し、午前2時過ぎに支援者を前にした演説で「我々はこの選挙に勝とうとしており、率直に言えば勝った」と事実上の勝利宣言をし、4日以降の集計の中止を求めるという前代未聞の展開となった。
勝敗を決めるのはラストベルト(さびた工業地帯)にある東部ペンシルベニア、中西部ミシガン、同ウィスコンシンの3州(選挙人は計46人)で、16年大統領選では白人労働者層の支持を集めたトランプ氏がいずれも制している。郵便投票の開票結果が出るのは最も遅い州で6日までかかり、民主党支持者の多くが新型コロナウイルスの感染拡大を敬遠して郵便投票に転じていることから、郵便投票はバイデン候補に有利に働くものと見られる。トランプ政権の4年を総括する選挙に有権者の関心は高く、投票率が70%に達するとの見方も出ている。
ニューヨーク市では、五番街やマジソン街、ブロードウエーなど目抜き通りの大半の店舗が1階のショーウインドーを板張りにして臨時休業にした。選挙結果に不満を持つ有権者が暴徒化し、略奪に走る可能性に備えたもので、マンハッタンのミッドタウン45丁目にあるニューヨーク日系人会(JAA)は、ニューヨーク市警察(NYPD)からの警告に基づき、入居ビルオーナーが2日、同日午後4時でビルを閉鎖することをテナントに伝え、6日(金)までビルが閉鎖となった。日系人会の活動は電話212・840・6942での対応のみとなる。
大統領選挙、鍵握る選挙人
世論調査の落とし穴
ヒラリーの悪夢最後まで拭えず
米国の大統領選挙は、州の人口ごとに「選挙人」が割り当てられている。選挙人の総数は538人なのでこの過半数である270人以上を獲得したほうが当選となる仕組みだ。大統領候補には緑の党やリバタリアン党の候補などもいるが、有権者のほとんどが共和党候補か民主党候補のどちからに投票する。そして、ほとんどの州が、最も多く得票した候補がその州の選挙人全員を獲得する勝者総取り制となっている。得票率で選挙人を配分する州は、メイン州とネブラスカ州の2州のみだ。
ほとんどの州が、共和党か民主党か伝統的に支持する政党が決まっている。選挙人が55人ともっとも多いカルフォルニア州や、29人を有すニューヨーク州は民主党が圧倒的に強く共和党候補になることはまずない。
一方、選挙人38人を有すテキサス州や、中西部のアラバマ、アイダホ、カンザス、ミシシッピやネブラスカ、またアラスカなどは毎回のように共和党候補で決まる。党のシンボルカラーから共和党が強い州をレッドステート、民主党が強い州をブルーステートとも呼ぶ。そこで、毎回注目されるのが共和党になったり民主党になったりと揺れ動くため「スイングステート(激戦州)」と呼ばれる州で、フロリダ、ジョージア、ノースカロライナ、オハイオ、アリゾナなどがそれに当てはまる。スイングステートを制することが勝利の鍵となる。
今回は、スイングステートのなかでも選挙人の多いフロリダ州(選挙人29人)が最大の鍵となると思われる。また、本来民主党が強いが2016年の選挙でトランプ候補が制したペンシルベニア州(同20人)も全体を大きく左右する。
本来レッドステートであるテキサス州(38人)はリアル・クリア・ポリテックスなどの世論調査によるとバイデン氏の支持率がやや優勢であり、仮にトランプ候補がテキサス州を落とすようなことがあれば敗退濃厚である。
各種世論調査では全米の多くの州でバイデン候補が優勢である。しかし2016年の選挙では世論調査に基づいた予想は外れトランプ候補が勝利した。この時は、オハイオ、ウィスコンシン、ペンシルベニア、ミシガン州のいわゆるラストベルト(錆びついた工業地帯)とフロリダ州が勝敗の焦点となった。
誇り高きトランパー
一夜明けた4日朝、勝敗の行方はウィスコンシン、ミシガン、ジョージア、ペンシルベニアあたりがカギを握ります。投票前は全米で8%ポイントのリードでバイデン大勝という見方もありましたが。いやいや前代未聞の激戦になりました。
理由の1つは1億人を超えた期日前投票、郵便投票で「民主党に有利」という報道のアナウンス効果でしょう。これでトランプ支持者が刺激され、結果トランプへの投票も大量に増えた。勢いこの票が上院共和党への票にも流れ、上院の民出党多数派もすんなりとは行きません。
「大勝」とは別のシナリオは、投票日の票はトランプ有利の「赤い波」として出るだろうから、それがその後に追い上げる郵便バイデン票によって「赤い蜃気楼」に変わらぬうちにトランプが一方的に勝利宣言をするというものでした。そして郵便投票は(これまでの主張通り)「不正だ」「無効だ」として裁判に持ち込む。そこには最終的にエイミー・コニー・バレットを加えた最高裁が待ち構えている、というものです。
4日未明のトランプの勝利宣言(めいたもの)は、「不正」の言葉もそのままにまさにその通りの物言いでした。それから夜が明けて、バイデンはこれも予想通りに逆転を射程に入れてきましたが、さてこれは果たして届いたかどうか。
今回、いろいろな人に話を聞いて思ったのは、トランプ支持者がもう隠れていないということでした。4年という「実績」の中で、彼らは誇り高きトランプ支持者になったようです。コロナで23万人の死者を出した失政に関しても「コロナ前まではうまく行っていた」「コロナさえなければ満点だった」「コロナは彼のせいじゃない」とかえって結束を強める論理になりました。
白人至上主義や陰謀論に関しては、その種のカルト的支持者は置くにしてもトランプは「人格的にはとんでもないジャーク」という評価は一致しています。しかし長年の共和党支持者には減税やアメリカ第一主義、エルサレムのイスラエル首都宣言や保守派最高裁判事の任命などがその意に添うのです。
ただ、彼はそれらの政策を、反対勢力への憎悪をエネルギーに推し進めてきた感がある。それがアメリカの分断を煽ってきたのです。
『ハーブ&ドロシー』などで知られる映画監督の佐々木芽生さんと話をする機会がありました。アメリカの片田舎に暮らしたことのある彼女は「社会に見捨てられ、仕事もなく娯楽もなく情報格差で時代についてもゆけない」トランプ支持の低学歴低所得白人労働者たちの怒りを説明してくれました。
それを聞きながら、一方でBLM運動の土台である黒人たちの苦境を思い出していました。ああいま分断の核にいるこの2つの種類の人たちは、実は同じ怒りの中にいるのではないか? 前者は自分たちのアイデンティティを奪われたと感じ、後者はそれをあらかじめ与えられてこなかったと憤慨している……だとすれば彼らは、戦う相手を間違えているのではないか、と。
今回、たとえバイデンが大統領になろうとトランプ支持者は誇り高く存在し続けるでしょう。その分断は一筋縄では行きません。
ただ唯一の希望は、ジョージ・フロイド事件を境に今年のBLMを支えるようになった新しい主体、ジェネレーションZ(Z世代)と呼ばれるいま18〜23歳ほどの若者たちが、人種やジェンダーや思想信条の境界を越えて連帯できる兆しを示してくれたことです。私たちはそのアメリカと付き合うしかありません。
(武藤芳治/ジャーナリスト)
下町の人情酒場
常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 1
「ニューヨーク物語」(NHK・BS)をときどき見ている。先日は建設現場で働く女性たちを取り上げていた。彼女たちが力のいる難しい作業を懸命にこなす姿が立派で、胸をうたれた。「女性が経営する古本屋の番組を以前に見たことがある。その古本屋に見おぼえがあった。東59丁目のアーゴシー・ブックスであろうか。
女性の古本屋といえば、東43丁目にあったフランセス・ステロフのゴサム・ブック・マートが有名だ。私がここを訪ねたとき、彼女はまだ健在だった。たしか眼鏡をかけた、ほっそりしたひとだったように記憶している。その後、彼女は亡くなり、店も1、2ブロック北か南に移ったと聞いている。
アーゴシー・ブックスではジェイムズ・サーバーの『ロスとの歳月』を買った。『ニューヨーカー』を創刊したハロルド・ロスの思い出を語ったハードカバーである。20代の終わりごろ、この本をペーパーバックで読んで、この週刊誌を購読するようになった。『ニューヨーカー』のおかげで、私はニューヨークや作家たちを知ることができた。
いまでもよく辞書を引いて読んでいるが、辞書を引くのは苦にならない。いいかげんにおぼえてもよさそうなものだが、同じ単語をなんども引いている。
『ニューヨーカー』は創刊号から昨年までの号がDVDになって、それが発売され、私もそれを所持しているが、そのDVDの利用のしかたがいまだにわからない。
親切な人にそのDVDから、私が読みたかったものをプリントしてもらった。そのひとつが1945年8月4日号に載ったジョゼフ・ミッチェルの『ミスター・フラッドのパーティ』である。
ミッチェルの読物の面白さを知ったのは、ずいぶん昔のことだ。1970年代の終わりごろ、彼の『マクソーリーズの素敵な酒場』という短編を翻訳した。当時の私はダウンタウンもグリニッチ・ヴィレッジもただ歩いてみたというだけで、マクソーリーズについてはもちろん知らなかった。
つぎにニューヨークへ行く機会があれば、ぜひこのサルーンを訪ねてみたかった。ニューヨーク最古の酒場といわれながら、店ははやっていなかったのだが、ミッチェルの文章によって、にわかにニューヨーカーが集まってきた。
ミッチェルはダウンタウンの名もない人たちに惹かれて、本人は酒を飲まないのだが、酒場に出入りして、バーテンダーや客の話に耳を傾けた。彼には、『聞き上手』という著書があって、ミッチェル自身聞き上手だったようだ。
1908年、ノース・カロライナ州の農村に生まれたミッチェルは、1929年、ニューヨークにやってきた。21歳で新聞記者になり、いくつかの新聞社に勤めたあと、『ニューヨーカー』に作品を発表しはじめた。
寡作の人である。96年に亡くなったが、生前に全作品が700ページほどの一冊にまとまっている。夫人のテレーズは写真家で、80年に死去した。ミッチェルの作品を私は『マクソーリーズ』のほかにもうひとつ翻訳している。『オールド・ミスター・フラッド』という、パール・ストリートの古いホテルにひとり暮らしをする93歳のご隠居を描いたもので、『マクソーリーズ』といっしょに本にしてもらったが、初刷で終わって評判にもならなかった。『ミスター・フラッド』の原書はニューヨークの古本屋で手に入れた。1948年発行の初版である。久しく絶版になっていて、05年に復刻版がペーパーバックで出て、その紹介文によると、この本はニューヨーク公立図書館でも「紛失」して、幻の本だったという。稀こう本中の稀こう本だったようだ。
フルトン魚市場のすぐそばに住むフラッド老は115歳まで生きると決めている、すこぶる元気なスコッチ・アイリッシュだ。ミッチェルはフルトン魚河岸を訪れるたびにかならずフラッド老に会って、話を聞いた。
フラッド氏は魚介類が好物で、とりわけカキが大好きで、誰にでもシーフードを推奨した。1930年から50年代にかけて、ニューヨーカーのなかではそういう魚好きは珍しかっただろう。冬の時期だったが、私は早朝の魚河岸を見物するつもりで出かけたところ、もう商売が終わったあとで、市場はごみひとつなく、きれいに片づいていた。私は三番街まで歩いて、コーヒーショップでトーストにベーコンエッグ、ボルシチ、コーヒーの朝食をとった。そのあたりはウクライナ人の町らしかった。
ある日は下町を歩きまわって疲れはて、マクソーリーズでひと休みした。色の濃いのと薄いのと二種類のエールが小ジョッキョに出てきて、味はたいして変わらなかった。
最近、翻訳の出たピート・ハミルの『マンハッタンを歩く』(雨沢泰訳、集英社)は生粋のニューヨーカーである著者がダウンタウンを歩いて、その歴史をまじえた楽しい本で、マクソーリーズには「特別な魅力を感じたことはなかった」と書いている。
しかし、ハミル氏は店を訪れて、この酒場の光景を描いた画家のジョン・スローンとミッチェルという「尊敬する二人のアーティストにいっそう親近感を持った」とも書いている。でもハミル氏は、エールの味は好きになれなかった。
そのエールを飲みながら、私は連れといっしょにハンバーガーを食べた。これは8年前の晩秋のころである。
そのとき宿泊したのが、タイムズ・スクエアのすぐ北にできたばかりのカサブランカというプチホテルだった。コンシェルジェが話好きで、彼はコソヴォから逃げてきたとのことだった。ハンガリー内戦の余韻がニューヨークにも伝わっているように感じられた。
復刻版の『オールド・ミスター・フラッド』にはソフトをかぶり眼鏡をかけたレインコート姿のミッチェルが魚河岸を背景にして写っている。大きなズックの袋を肩にかけて、粋なスタイルだ。(2007年10月6日号掲載)
(写真)McSorley’s Old Ale House (写真・村松覚)
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。アメリカの現代文学やニュージャーナリズムの作品を翻訳して日本に紹介する翻訳家、エッセイスト、作家。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NMY生活」に2007年から210年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録された。
ジャズトライアングル65-77、大使公邸で演奏
ライブで配信し、音楽家支援
新型コロナウイルスの感染拡大により、演奏の機会を失った音楽家を支援するためのコンサートが10月30日夕、ニューヨーク総領事の山野内勘二大使公邸で対面とオンラインのハイブリッド方式で行われた。
演奏したのはニューヨークで活躍する3人の日本人音楽グループ、ジャズトライアングル65-77。フルート・深澤晴奈、ナイロン弦ギター・小田村愁、コントラバス・山本章弘の楽器編成で、ジャズの即興性と室内楽的な繊細なアンサンブルとを融合させた「チェンバー・ジャズ」を披露した。
当日は、ソーシャル・ディスタンスを守るため、観客として日米文化関係者9人が招待され、3人が織りなす綿密なアンサンブルとハーモニー、アコースティックサウンドを楽しんだ。演奏は総領事館から動画ライブ配信された。
ギターの小田村愁は「演奏は客席とのキャッチボールなので、実際に目の前で聞いていてくれる人がいることが、こんなに嬉しいものだということを改めて実感した」と久々に人前で演奏した喜びを語った。
主催した山野内大使は「サタデーナイト・ライブではないが、毎月第3金曜日夕は、フライデーコンサート・フロム・ザ・アンバサダーズ・レジデンスと題して、色々な音楽家を招いてライブ配信したい」と意気込みを語った。配信のための機材も新たに整備するという。2階には、先日、日本クラブが主催したWEB公募美術展入選の中から大使賞に選ばれた作品7点もアートギャラリーさながらに飾られ、来場客の目を来年2月まで楽しませている。コロナ収束が見えないなかで、美術、音楽などのアート支援を通じた日本文化発信活動が公邸を舞台に繰り広げられている。
(写真)大使公邸で演奏するジャズトライアングルの3人(10月30日夕)
女の出番
歴史のうねりの中で活躍するNY日本人女性作家16人展
ニューヨークで活躍する俊英の日本人女性作家16人の主にパンデミック中に制作された作品と「声」を紹介するグループ展「歴史のうねりの中で」展(原題「Aesthetics in the Political」)がホワイトボックス ・ハーレム・アート・センター(東121丁目213番地、電話212・714・2347)で14日(土)から開催される。
参加作家は岩澤あさ子、岩村美南子、上川紋、枝光由嘉里、河田多美子、篠原乃り子、清水ちえ、杉浦邦恵、鳥光桃代、中村賀与子、宮本和子、宮森敬子、安田佐智種、依田順子、戸田陽子、浜口京子。
本展を通じて、歴史的なうねりの中で美術がどのような役割を果たしているのか、癒しや魂の薬として人々の心に不可欠なものであることを、それが特に女性のアート表現に顕著であることを示す。展示デザインは、ホワイトボックスを創始し現役のディレクター、ファン・プンテス自身が担当し、定評あるサイトスペシフィックな展示空間を創作。キュレーターは、2018年春にホワイトボックスの20周年記念展エクソドス・シリーズ最初の日本展を担当し、ニューヨークで活動してきた日本人アーティスト55人を特集した佐藤恭子が務めている。12月6日(日)まで。 http://whiteboxny.org
(作品)Noriko Shinohara
Cutie’s Love at the Time of Corona: Cutie Teleports Herself to the Trevi Fountain in Rome as Anita Ekberg in La Dolce Vita, 2020
48x36in.
Oil, Oil-stick on canvas
核兵器禁止条約発効へ
草の根運動で50か国批准

国連の核兵器禁止条約が10月24日、発効に必要な50か国の批准に達した。核兵器の開発、保有、使用などを全面的に禁止する条約で、国際法の下で核兵器を最終的に違法とするものとなる。条約発効は2021年1月22日。
草の根レベルで同条約の批准・発効を求めて長年活動を続けてきたフィルムメーカーの竹内道さんは、「核兵器を人間の命、果ては環境をも破壊する非人道的な凶器と位置付けた国際キャンペーンの成果。広島で被爆したサーロー節子さんは、核兵器を無くすために死ぬまで活動を続けると涙声で語った。私が5年を費やして制作したThe Vow From Hiroshimaではサーローさんの生き方を通して核軍縮運動そして責任に目覚めていくヒバク2世についても描いた」、ピースボートUSダイレクターのエミリー・マグローンさんは「長年、被爆者と緊密に協力し世界の人々と証言を共有してきたが、同条約の採択と発効に至る過程で世界中の人々と協力できたことを誇りに思っている」と喜びを語っている。
しかしながら、国連安全保障理事会の常任理事国で核保有国の米露英仏中5か国は同条約に一致して反対する姿勢で、日本も批准していない。ピースボートは2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営団体の一つとして役割を果たしてきた。その声明文の中で「日本を含むすべての国がこの条約に署名し批准すること、そしてそのために世界中の市民、議員、政府が努力することを求める」と声をあげている。(小味かおる)
(写真)NYに寄港したピースボート(2017年)(Photo: Peace Boat)
アートの町、ウッドストックで秋の名残を楽しむ

ホワイトプレーンズから北へ車で約1時間半、アルスター郡北部に位置するウッドストックはアーティストの町として知られている。19世紀後半に「ハドソンリバー派」の画家たちが集まるようになって以来、さまざまな芸術家や文化人に愛され、1903年にはウッドストック近郊に米国で最も古いアート&クラフトコロニーの1つである「バードクリフ・アートコロニー」が作られた。アート&クラフト運動は産業革命後、工業化が一気に進み、画一化された大量生産が一般化するのに対する形で生まれたもので、「バードクリフ・アートコロニー」はジェーン・バード・マッコールやラルフ・ラドクリフ・ホワイトヘッドら数人のアーティストが絵画、彫刻、金属細工、創作家具や音楽などさまざまなアートが共存するユートピアを目指して始めたコロニーで、120年近くを経た今日も存続、300エーカーの土地に35の建物が建っている。敷地内にはアート&クラフトの作品を売る店や展示会場があり、音楽や朗読のパフォーマンスも行われている。

ウッドストックと聞いて1969年に開催された伝説のロックコンサート「ウッドストック・フェスティバル」を思い出す人も多いと思うが、実は「ウッドストック」の開催地はウッドストックではない(?)。主催者の若者達はもともとウッドストック近郊で開催するつもりだったが、町に断られたため代替え地を探しまわり、およそ100キロ西の町ベセルにある酪農農場を借りて開催した。そのため正確には「ベセル・フェスティバル」なのだが、コンサートの開催目的はウッドストックにレコーディングスタジオを作るための資金集めだったことと、前述の通り、ウッドストックはアートの町として知られていたため、「ウッドストック・フェスティバル」として開催された。現在、ベセルの会場跡地はイベントやコンサート、アートプログラムを開催するベセル・ウッズ・センター・フォー・アーツとなっている。ところで、漫画「ピーナッツ」に出てくるスヌーピーの親友の黄色い鳥は1967年登場当時は名無しで、ルーシーに「ヌケサク鳥」と呼ばれていたが、1970年にウッドストックという名前がついた。これは前年の「ウッドストック・フェスティバル」にちなんでつけられたもの。
ウッドストックの町そのものは3階建以上の建物がない小さな田舎町で、メインストリートにはアート&クラフトやインド、チベット系グッズ、ヒッピー風ファッションの店とカフェが並ぶ。週末に開催しているフリーマーケットを冷やかして、ランチを食べて、店を一軒一軒覗いて回って午後4時頃。そのまま日帰りしても良いが、せっかくキャッツキルまで来たのだからB&Bやホテルに1泊してのんびりするも良し。町のあちこちで見かける大小さまざまなピースマークを数えながら、ふと目を上げると秋色に色づいた山々が見えた。初夏の萌えるような緑や冬の雪景色を想像し、なぜウッドストックがアーティストに愛され続けているのか分かったような気がした。
■ウッドストック観光局 https://townwoodstock.digitaltowpath.org:10111/content/Tourism
■フリーマーケット(11月まで開催)www.mowerssaturdayfleamarket.com
■Bethel Woods Center for the Arts https://www.bethelwoodscenter.org/
■Woodstock Byrdcliffe Guild https://www.woodstockguild.org/
□シティから行く場合、メトロノース鉄道ハドソンラインでPoughkeepsieまで行き、
レンタカーを借りればシティの交通渋滞を避けられる。
歌声、時空超え秋のNYに響く
バーチャルでNY公演した歌手
八神 純子さん
日本クラブは10月23日夜、秋のスペシャルイベントと銘打ち「八神純子バーチャルディナーショー」を開催した。当日は八神の大ヒット曲「みずいろの雨」を始め、「Mr.ブルー 〜私の地球〜」など5曲を披露し、日米の時差を超えて東京の朝スタジオからライブで1時間生出演した。
ショーでは、歌を挟んで歌手デビュー当時のエピソードや渡米、アメリカ生活、結婚、子育て、2011年の東日本大震災を受けて同年5月に自身で企画し、被災地となった岩手県の陸前高田市や宮城県の南三陸町での支援活動「トランス・パシフィック・キャンペーン」への思いなどを語った。公演後は、参加者からの質問にも丁寧に答えて、バーチャルとは思えないほどのリアル感あるやりとりが双方向でなされた。参加者は、八神の美しい歌声、そして日本クラブ・シェフの特製弁当を家庭で、オフィスで、思い思いの場所で食べながら秋の夜のディナーショーを楽しんだ。
八神は1978年「思い出は美しすぎて」でプロ歌手としてデビュー。「みずいろの雨」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー 〜私の地球〜」「パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜」などの数々のヒット曲を持つ。デビュー3曲目の楽曲だった「みずいろの雨」が当時の歌謡番組「ザ・ベストテン」のスポットライトのコーナーで紹介され、それがきっかけでベストテン入りしてメジャー・ヒットにつながったエピソードや、人気歌手として活躍する中で、心の中では自分の歌声に何かが欠けていると自問するようになり、「バーバラ・ストラザンドやダイアナ・ロスにあって自分にないものは何か、これはアメリカに一回行かなきゃだめだ」と一念奮起して渡米した経緯などを披露した。
その後、冬と夏に帰国して国内でリサイタルはしていたが、2001年9月、米同時多発テロがあり、アメリカを離れるのが怖くなり、子育ての時期とも重なりその後、10年間現役歌手生活を休んだ。しかし「歌わない自分は、私らしくない。どんどん間口が狭くなっていく」。そんな思いに駆られていた2011年3月11日、東日本大震災が起こった。5月には「トランス・パシフィック・キャンペーン」を自身で企画し、被災地支援活動を後継続して行い、2013年3月11日、東北支援チャリティーシングルCD「翼/かれ木に花を咲かせましょう」、また同年にアルバム「Here I am 〜Head to Toe〜」、2016年アルバム「There you are」を発表している。
被災地で初めは、自分の一番の大ヒット曲「みずいろの雨」を歌うことにためらいがあって歌わなかった。歌詞の中に「崩れてしまえ」「流されてしまえ」というフレーズがあったからだ。会場で津波に遭った被災者が言った。「どうしてみずいろの雨を歌わないんですか。みんなファンだけどCDを流されてしまってもう聞けないんですよ」。その言葉を聞いた瞬間、「みずいろの雨」は、八神の中で懐メロではなく「今を生きる歌」として蘇った。そんな思いも語ったNYライブ。八神の歌声がニューヨークの秋の夜空に大きく、そして力強く響いた。新型コロナウイルスの感染拡大に耐えるニューヨークの参加者、当日70人とその家族の胸に、熱い思いが染み入るように伝わった感動のライブコンサートだった。
(三浦良一記者、写真は本人提供)
私立中学・高校が探る「オンライン入試の可能性」
コロナ時代の帰国受験 第3回 田畑康
今年、受験生や家族、また私ども学習塾関係者がとてもやきもきしたのは、私立中学・高校が「入試要項」を発表する時期が例年よりもとても遅かったことです。
例年だと多くの学校が6月までには説明会とともに発表する入試要項が、軒並み7〜8月までずれ込んでいました。いうまでもなく、コロナ禍のなかでどのような入試を実施するのか、各学校が悩まれていたことは想像に難くありません。そして、発表された入試要項の多くには「新型コロナウイルスの感染状況によって内容に変更がある場合は…」というような文言が書かれています。
一般入試では、数千人規模の受験生を集める人気校などは試験会場がコロナのクラスターにもなりかねないわけで、安全対策はいくら立てても安心できないだろうことがうかがえます。とはいっても、発表された要項の「一般入試」の項目を見る限りでは、試験会場の増設や時差登校などをはじめ、可能な限りの安全対策を施したうえで、例年とほぼ変わらないような入試の実施を予定している印象です。
そのようななかで8月、一般入試の一部に「在宅オンライン入試」を取り入れると説明会で発表した都内の私立学校が複数ありました。家族が感染者や濃厚接触者になったりした場合などを想定し、校舎に来られない受験生を配慮した取り組みで、大変注目を浴びました。
しかし翌9月、東京私立中学高校協会は、公平性の担保が難しいことなどを理由にオンライン入試の自粛方針を発表しました。安易な受験生獲得競争を防ぐ目的もあるとのことでした。(神奈川県・埼玉県・千葉県の私学協会は「各校判断」と発表していて、実際にオンライン入試を実施する学校があります)
帰国生入試に話を戻します。前回の記事では、今年度の帰国受験生にとっては帰国後の「2週間の自主隔離期間」が受験スケジュールの立て方に大きな影響を与えるという状況をお伝えしました。しかし、海外生にとって悩ましいそのような状況を救済するがごとく、「帰国生入試に関しては『オンライン入試の自粛』の対象ではない」という発表も東京私立中学高校協会によってなされています。
受験のために帰国した後の「2週間の隔離期間」のみならず、海外にいながらでも受験ができるチャンスが広がったわけです。
私が指導している早稲田アカデミーニューヨーク校にも在宅入試を受験する生徒がいます。コロナ禍が「新しい入試」のフェーズを生んだとも言えましょう。来年度以降も「オンライン入試」がキーワードになりそうです。
田畑康(たばたやすし)
早稲田アカデミーニューヨーク校校長。海外生・帰国生指導歴15年。自らも帰国生(オーストラリア、マレーシア)であった経験を生かし、「合格のその先」を見据えた指導を心掛けている。
コロナ禍での日米往復は待った無し
出発前にこれだけは知っておきたい
国際便搭乗時の注意事項
新型コロナウイルス収束のメドが依然として立たない中でも、公私さまざまな理由で日米間を行き来しなくてはならない人たちがいる。これから帰国入試シーズンを迎える受験生、日程を延期した転勤や留学、家族の緊急事態などで待ったなしの人たちだ。パンデミックによる移動制限が始まって半年以上になる現在、日本に帰国する場合、また日本から来米する知人、家族を出迎える場合の空港での様子、準備、注意点について、日系旅行代理店のIACEトラベルのニューヨーク本社に解説してもらった。
JFK国際空港現在の様子紹介
IACEトラベルが動画制作
IACEトラベルでは、JFK国際空港へ向かう交通手段、出発搭乗手続きカウンター、出発ロビー、売店、フードコーナー、到着ロビー、空港からの交通手段などを動画にまとめた。日本語の字幕があり、初めての人でも分かりやすいよう解説していてこれから同空港へ行く人には役立ちそうだ。同動画は9月28日に撮影され、10月23日にYOUTUBE(https://www.youtube.com/watch?v=8HAX1dSTSxY&t=8s&ab_channel=IACETRAVEL)で公開している。
《チケット手配時》
日本到着後の14日間は不要不急の外出避ける
日本のパスポート保持者(日本人)は、現在日本に行き来が可能だ。また、以前に日本の国籍を持っていて、現在米国のパスポート所持者は、特別な事情とみなされる場合にテンポラリーVISA(一時的な査証)が発給される。詳細は外務省在外公館に問い合わせを。現在、日本に到着後、水際対策措置が実施されているため、帰国日翌日から起算して14日間は自宅や自分で確保した宿泊施設などで不要不急の外出を避け、待機することが要請されるとともに、保健所などによる健康確認の対象となる。公共交通機関は使用はできない。日本到着後、そのまま飛行機で乗り継いで他県まで飛んでいくこともできない。到着後のハイヤー手配(タクシー不可)やご家族やご友人の方のお迎え、ホテルやご自宅など待機用の宿泊場所の確保をしてから帰国するよう政府より求められている。
《アメリカ出発時》
常備薬は機内に持ち込み 日本到着後には抗原検査
空港には2時間半ほど前を目安に到着を。確認事項でいつもよりチェックインに時間がかかっている。また、機内持ち込みに常備薬などよく使う必要なものは入れておくことを勧める。日本到着後も抗原検査で拘束され、預けた荷物は暫く受け取れないためだ。マスク必須。ハンドサニタイザーは100ミリリットル以内の小さいもの。出発前に検疫所からのWEB質問票を日本到着までに入力。https://arqs-qa.followup.mhlw.go.jp/#/ 機内でも同じく質問票配られ記入が可能。日本到着後は抗原検査が全搭乗者対象となる。検査に必要な唾液量を出すのに成人男性でも4、5回に分けて容器に唾液を出さないとならないようだ。小さな子供で唾液を出すのが難しい場合は、鼻から綿棒のようなものを入れられる検査に代わる。検査結果で陰性が出れば入国でき、荷物を取って到着ロビーに出るまでは平均1時間から3時間かかる人が多いため、出迎えの人がいる場合はその旨ご案内しておくこと。
自主隔離用にホテルを取る場合は、15平米でも家具の配置によりスーツケース1個を完全に広げられないような部屋も多いので、14日間の待機場所として考える場合は、18平米以上の少し広めのお部屋、近くにコンビニがあるような場所を勧める。到着時ホテルに1泊して翌日、レンタカーや知人の迎えでご自宅まで行く人もいる。
《日本出発時》
NY州は国外からの旅行者に14日間自主待機を要請
米疾病対策センター(CDC)より、国外からの旅行者に対して自主待機の要請の明記はなくなり、その代わり州の規定に沿うようにとなっている。ニューヨークJFK着の国際便で入国する場合は、14日間の自主待機の要請、ヘルスフォームの記入が義務付けされている。https://coronavirus.health.ny.gov/covid-19-travel-advisory
WEBで搭乗前に申告。ANAは機内でもフォームの配布もあり。到着後、州職員も立っており記入するよう促される。また、現在入国時の検疫チェックが厳しくなっているようなので、日本から既製品のレトルト、カップラーメン、お菓子などを持ち込む人は要注意。JFK空港では、飛行機利用者以外ターミナルに立ち入りできなくなっている。出迎えの人はターミナルの外で待機することになるので要注意。
(IACEトラベル 北東部コーポレート課長 藤井麻美)








