6人の監督作品JSで上映12月に

 ジャパン・ソサエティー(JS)映画部が、文化庁との共催、映像産業振興機構(VIPO)の協力のもと、12月3日(金)から12月23日(木)まで、ACA Cinema Projectシリーズ第2弾「フラッシュ・フォワード~デビュー作の風景~」をオンラインとJS劇場上映のハイブリッド形式で開催する。日本を代表する6人の監督、沖田修一、河瀨直美、阪本順治、塩田明彦、周防正行、西川美和のデビュー作と最新作を紹介する。劇場上映する映画は次の2本

▽12月11日(土) 午後7時『丹下左膳餘話 百萬両の壷』Tange Sazen and the Pot Worth a Million Ryo(4K修復・最長版)1935年/94分/ 監督・山中貞雄、主演・大河内傳次郎、喜代三、沢村国太郎(写真上。Tange Sazen)

 ▽12月17日(金)  午後7時『河内山宗俊』Priest of Darkness(4K修復版)  1936年/82分/ 監督・山中貞雄、主演・河原崎長十郎、中村翫右衛門、原節子価格は一般15ドル、JS会員10ドル。詳しくはfilm.japansociety.org

横尾忠則その創造と歩み

南雄介・藤井亜紀・監修
国書刊行会・刊

 横尾さんと初めて会ったのは、記憶が正しければ1981年くらいロサンゼルスの郡立美術館でリサ・ライオンをテーマにした個展をされた時だから、かれこれ40年近く前になる。その前年1980年夏に横尾さんはニューヨーク近代美術館(MoMA)でピカソの大回顧展を見たことをきっかけに活動領域をグラフィック・デザインから絵画へと移行した。それまで自分の中にあった横尾忠則というイメージと全く別の世界に戸惑いも覚えた記憶がある。横尾さんの「画家宣言」は、そのような横尾さんの心境の変化や画風の転向を伝えた当時の新聞か雑誌の記事の見出しから生まれた言葉で、横尾さん自身が「宣言」した訳ではない。

 すでに横尾さんは、昔の輸出用のマッチのラベルなどに由来する土俗的なモティーフや鮮やかでポップな色彩など、さまざまな出自を持つ要素を強引に引き寄せ、モダンデザインに対して反旗を翻した1960年代のグラフィック作品によって1967年にはMoMAに作品が収蔵されるなど、早くから国際的に高く評価された。それはデザインにおけるポストモダンの先駆として、既存のデザインや商業主義に対するアンチテーゼとして批評性を内在させていた。今なお、MoMAには常設展示のローテーションの中で偶然に当時のポスターを見かけることがある。「僕はここの永久会員だから、ただで入れるんだよね」とちょっと自慢げに言っていた表情が忘れられない。今なお、海外での横尾忠則の名声と影響力はこの60年代から70年代のグラフィック時代に築き上げたわずか10年に満たない黄金の60年代に生み出されたもので、その輝きは今もなお眩しいほどだ。 

 画家に転向してからの作品は「Y字路」や滝のインスタレーション、多元宇宙論と進化する。NYの有名なY字路である五番街23丁目にあるキャスト・アイアンビルや、タイムズスクエアなんかも当地を代表するY字路なのでいつか描いて欲しい。あと、もし今度NYに来ることがあったら、ジョルジョ・デ・キリコ(イタリアの画家・1888年 – 1978年)の原風景を体験していただきたい。横尾さんはいつだったかの日本経済新聞の文化面に、「キリコの緑色の空」に強い衝撃を受けたと書いていた。自転車の輪っかのリムを棒で押してコロコロと走っていく少女がでてきそうな光景が、ロングアイランドシティーの7番線地下鉄高架鉄道のガードにある。キリコが見たらきっとひっくり返って喜ぶに違いない。あれこれ書いたが、この本は、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮したもので、今年7月17日から10月17日まで愛知県美術館、東京都現代美術館、大分県立美術館の日本国内3会場で開催された「GENKYO 原郷から幻境へ、そして現況は?」の公式カタログになる。価格は2200円。   (三浦)

心の糸を美術品のように紡いで

元メトロポリタン美術館修復師

佐藤みどりさん

 妻であり母であり、そして職業人でもある佐藤みどりさんは、ずっと一流の中に身を置いてこられた方だ。アカデミックな家庭環境に育ったみどりさんは、やはりアートの世界に縁が深かったのか、ファブリックを専門とする修復師としてメトロポリタン美術館に長く勤めておられた。手にしたことがあるのは日本の小袖や裂(きれ)、中国古来の絹、イスラムのカーペットやヨーロッパ中世時代のタペストリーなど、誰もが感嘆する歴史的にも芸術的にも唯一無二の品ばかりである。

 「美術館では作品を安全に展示する事が最も重要な仕事です。修復も安全な展示をまず考えて決断をします」

 ファブリックの修復の仕事は大きく分けて基本的に三つある。修復、保存・管理、展示・公開。そして実際に修復で手を入れる前段階にも、時間をかけてあらゆる方面からの科学調査がなされる。顕微鏡で原料繊維の切断面検査、素材の細胞まで確認する。同時に作品年代・社会背景・歴史なども調べる。これらは表面には出ない、緻密な、しかも時間と努力のいる仕事だ。「クロイスターにある有名なタペストリー「Borgos」は35年かかりました。信じられないでしょう?」美術館に勤務し始めたみどりさんは、自らニューヨーク大学に通い美術品修復について学んだ。

 さらに修復師のみどりさんに任された仕事がある。外国の美術館に作品を運び貸出し、展示する任務だ。木枠を組んで安全に美術品を運ぶ用意から、分厚いコンディション・チェックのファイル、保険に関する書類等々かばん一杯に抱え、真冬でも風の吹き晒すカーゴの荷造り場に立ち詰めで積み荷を見守ったり、機内で安全でない場所に積まれたりしないように、何時間も監視する大変さは「ちょっと言葉にはできない、相当に重圧を感じ消耗もする孤独な独り旅」とみどりさんは言う。それでもサーカスのライオンの吠える声を聞きながらハンモックで眠ったり、フランスの粗末なカーゴの中で正式なテーブルセッティングで上質な食事が用意されたことはいい思い出として残る。

 近頃は、ジャパン・ソサエティの展覧会『BOROテキスタイル・継続性の美学』への協力、詩歌集『わんざぐれ〜折句・短歌・俳句・詩』を上梓されたばかりである。「折句」という藤原定家も遊んだ和歌の技法をさらりと披露され、若い頃の激しい感情や、長く押し止められた内面のほとばしりが結晶となり輝く。夫や子どもや孫たちへの愛情、痛いほどに非力である人間の悲哀、心情が詩歌に込められている。

 全てが芯のある女性の姿として憧憬を抱かずにはおれない。(フェイダーちえ)

知って得する!日本での相続の話 3

日本での賢い終活を

 今回は、将来日本での終活を考えている方に向けてのお話です。
 日本在住者が死亡した場合、全世界にある財産に日本の相続税がかかります。どこの国に置いても日本の高い相続税の対象になるなら、帰国後も高金利の米国に金融資産を残置したり、値上りが期待できる不動産を賃貸にして帰国される方もいます。 この場合、米国側のプロベート制度(裁判所管理下での手続)にご注意。財産所有者の居住地に関わらず、死亡時に米国にある財産はプロベートに入ります。その場合、多額の弁護士費用と一年以上の手続期間が発生します。一方日本での相続税申告期限は10か月ですから、無対策だと期限内に申告が間に合わず、無申告加算税などペナルティが生じます。今すぐ、リビングトラストなどプロベート対策を忘れずに。 また、日本では、国外財産を国に報告する義務があります。5千万円超の国外財産を有する日本在住者は、財産の種類、金額等を記載した「国外財産調書」を税務署へ提出しなくてはなりません。米国に財産を残して帰国する場合は日本側に財産を報告する義務があります。 11月17日(木)午後6時までオンラインセミナー『知って得する!! 日本の相続&贈与の話』開催中。 詳しくは紙面8ページの広告を参照。

大谷 亜紀/TOMA税理士法人 資産税部部長資産税専門税理士。国際相続も含め数多くの相続対策を支援。相談は [email protected] まで

編集後記

編集後記】
 みなさん、こんにちは。今回の日本の衆議院選挙で海外有権者が投票できない、投票が無効となったとみられる事例が相次ぎ報告されています。世界226の在外公館に投票所が設置されましたが、コロナ禍を理由に世界14か国の在外公館が投票を受け付けませんでした。現行制度で有権者が海外にいたまま投票できるのは公館投票と郵便投票飲み。「地方在住者は投票所まで遠くて交通費がかかる」「郵便投票は、手続きが煩雑で多大の努力と時間を要する」などの苦情はかねてからあったのですが、今回の衆院在外選挙で「不便にも我慢が限界」と海外の有権者が国政選挙へのインターネット投票の早期実現に向け署名活動に乗り出した。在外ネット投票を求める署名活動は、有志メンバーの子田稚子さん(米国在住)、田上明日香さん(イタリア在住)、ショイマン由美子さん(ドイツ在住)が発起人で、署名作成にあたり、海外有権者ネットワークNYの竹永浩之共同代表が助言・監修しました。集まった署名は近く総務大臣、外務大臣、デジタル大臣に要望書を添えて提出するそうです。インターネットを通じ海外有権者に呼びかけた署名運動に対し、目標1万人に対して11月9日現在で6098人が署名しています。(署名サイトのリンクへのアクセスはインターネットで「在外ネット投票署名活動」を検索)。今週号1面と8面に記事。
 署名では次のように要望しています。
 (1)2022年夏の参院選において、在外邦人を対象にネット投票の実証実験を行ってほしい。そこで得られた不備や欠陥等に基づいてシステムを改善し、本格導入を準備して欲しい。(2)2025年の参院選には在外ネット投票の確実な全体運用をお願いしたい。自分の大切な一票が無効になる。これは日本にいても海外にいても、絶対にあってはならないことだ。世界中のどこにいても選挙権が一人ひとり行使できるよう、誰でも簡単に確実に投票できるよう、在外ネット投票の早期先行導入をお願いしたい。
 現在、在外有権者約100万人のうち、在外選挙人登録されているのは約10万人のみ。今回の選挙で世界全体で1万9000人が在外投票しましたが、前回17年の衆院選より2000人ほど減り、在外有権者の投票率は約1~2%と極めて低い水準にあります。ネット投票が実現すれば、投票数が増えることが期待できます。投票の際の本人確認にマイナンバーを活用する案が出ています。現在、在外邦人はマイナンバーカードを持てないため「マイナンバーカードを紐づける在外ネット投票は実現不可能」といった懸念もありますが、2019年に公布された「デジタル手続法」で2024年までに在外邦人にもマイナンバーカードが付与されることが決定しているのでおいおいなんとかなりそうですが、あと3年も今の在外選挙が続くと考えると気が滅入ります。ただ、これだけは海外の日本人が声をあげていかないと変化は見込めません。私はここで皆さん、こうしましょう、ああしましょうとは言いませんが、海外の有権者の一人ひとりの問題として考える時期に来ているかもです。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2021年11月13日号)

(1)在外ネット投票 海外で署名活動開始

(2)芽葺きの里・美山 久保修ワールド「秋」

(3)棟方志功NY展 ジャパン・ソサエティーで

(4)SEX and THE CITY  モデルルーム民泊人気

(5)日米選挙結果 2020年の政局

(6)NY日商年次ガラ「新たな地平」求め

(7)ジャーナリスト 北岡和義さん死去

(8)BOOKS 書評 山村美智 『7秒間のハグ』

(9)NY生活ウーマン グラミー賞に輝く日夢見て シンガーソングライターAYAKA. 

(10)まさにネイル・アート 付け爪40万枚の巨大噴水

在外ネット投票早急に

海外有権者が署名活動開始

 今回の衆議院選挙で海外有権者が投票できない、投票が無効となったとみられる事例が相次いだ。世界226の在外公館に投票所が設置されたが、コロナ禍を理由に世界14か国の在外公館が投票を受け付けなかった。現行制度で有権者が海外にいたまま投票できるのは公館投票と郵便投票飲み。「地方在住者は投票所まで遠くて交通費がかかる」「郵便投票は、手続きが煩雑で多大の努力と時間を要する」などの苦情はかねてからあったが、今回の衆院在外選挙で「不便にも我慢が限界」と海外の有権者が国政選挙へのインターネット投票の早期実現に向け署名活動に乗り出した。

 在外ネット投票を求める署名活動は、有志メンバーの子田稚子さん(米国在住)、田上明日香さん(イタリア在住)、ショイマン由美子さん(ドイツ在住)が発起人で、署名作成にあたり、海外有権者ネットワークNYの竹永浩之共同代表が助言・監修した。集まった署名は近く総務大臣、外務大臣、デジタル大臣に要望書を添えて提出する。

 インターネットを通じ海外有権者に呼びかけた署名運動に対し、目標1万人に対して11月9日現在で6098人が署名している。(署名サイトのリンクへのアクセスはインターネットで「在外ネット投票署名活動」を検索)。

 署名では次のように要望している。

 (1)2022年夏の参院選において、在外邦人を対象にネット投票の実証実験を行ってほしい。そこで得られた不備や欠陥等に基づいてシステムを改善し、本格導入を準備して欲しい。(2)2025年の参院選には在外ネット投票の確実な全体運用をお願いしたい。自分の大切な一票が無効になる。これは日本にいても海外にいても、絶対にあってはならないことだ。世界中のどこにいても選挙権が一人ひとり行使できるよう、誰でも簡単に確実に投票できるよう、在外ネット投票の早期先行導入をお願いしたい。

 現在、在外有権者約100万人のうち、在外選挙人登録されているのは約10万人のみ。今回の選挙で世界全体で1万9000人が在外投票したが、前回17年の衆院選より2000人ほど減り、在外有権者の投票率は約1〜2%と極めて低い水準だ。ネット投票が実現すれば、投票数が増えることが期待できる。

 投票の際の本人確認にマイナンバーを活用する案がある。現在、在外邦人はマイナンバーカードを持てないため「マイナンバーカードを紐づける在外ネット投票は実現不可能」といった懸念もあるが、2019年に公布された「デジタル手続法」で2024年までに在外邦人にもマイナンバーカードが付与されることが決定している。

有権者の声
現行制度に限界

 在外選挙は現行制度では、海外在住者が一時帰国して日本の投票所で投票することもできるが、海外にいたまま投票するには、在外公館に出向いて投票するか郵便投票するかの2つの選択肢しかない。特に今回の選挙は解散から投開票までの期間が戦後最短の17日間で投票にかける日程が少なかった。在外選挙は公職選挙法で公示翌日から投開票の6日前までという規定があるため、今回は投票期間が長くても10月20日から25日までしかなかった。(1面に記事)。海外有権者ネットワークNYが把握している世界からの主な苦情は次の通り(抜粋)。 

▽飛行機代6万円かけて在外公館投票に1日かけていった。在外投票疲れて死にそう(アメリカ在住)”

▽投票日に間に合うように高額のDHLで選管に郵便投票を送ったが、市役所・選管側が英語表記(またはローマ字)のあて名が読めず受け取り拒否をした(イギリス在住)

▽オーストラリアから選管まで国際エクスプレスで投票用紙請求かけたが、3週間もかかったので郵便投票間に合わなかった(オーストラリア在住)

▽郵便投票何度も試して一度も間に合ったことがない。2017年から飛行機で一人あたり350ドルかけて在外公館に行っている。早くネット投票導入してほしい(ニュージーランド在住)”

茅葺きの里・美山(京都)

久保修ワールド2021
春夏秋冬 FEEL JAPAN NOW

 日本を旅していると城下町や街道筋の宿場町には面影を伝える町家や伝統建築物の町並みを垣間見ることが出来る。里山で目にする茅葺き古民家も数は少なくなっているが、岐阜県白川村・福島県下郷村大内宿など、地方にはまだ残っているところもある。

 スケッチを重ねていくうちに、同じように見えていた茅葺き古民家にも気候風土にあった屋根の形や大きさ・棟や軒の屋根を支える小屋組の構造など多種多様な住む工夫、知恵、匠の技などが随処にあることが分かった。

 僕が描いたこの作品は、茅葺き古民家がたくさんあることで知られる京都府美山町の初秋から晩秋。京都のほぼ中央に位置し、読んで字のごとく美しい山々に囲まれている。美山町は、現在でも茅葺き古民家に普通に人が住んで生活している。美山町では、茅替え職人さんが技術を伝承しており、数人の若い茅替え職人さんが増えたそうだ。職人が増えた事もあり、茅葺き屋根に戻す民家も出てきていると聞いた。

 やがてこの里にも雪が降る。まもなく冬支度が始まる。(くぼ・しゅう/切り絵画家/東京都在住)

棟方志功展覧会

所蔵作品100点余り

ジャパン・ソサエティーで12月10日から

  ジャパン・ソサエティー(JS)・ギャラリーは、棟方志功(1903〜1975)の100点に及ぶ作品を紹介する展覧会「棟方志功—板極道—」(むなかたしこう—ばんごくどう—)を12月10日 (金)から来年3月20日(日)まで開催する。米国最大の棟方コレクションであるJSの貴重な所蔵品をもとに構成された本展は、「世界のムナカタ」と名をとどろかせた木板画だけでなく、書道、墨絵、水彩画、リトグラフや陶芸など幅広い作品を紹介するとともに、20世紀を代表する想像力豊かな芸術家である棟方の魅力に今一度焦点が当てられる。(写真:Shikō Munakata, Mukō-machi: Crossing Point of Highways, from the Tōkaidō Series, 1964 (detail). Photograph by Nicholas Knight.)

NY滞在中、作品創作にかかる前に書道でウォーミングアップする棟方。(Shikō Munakata doing his morning warmup exercise: Calligraphy, NYC.© Béla Kalman. Courtesy of Museum of Fine Arts, Boston)
JSでシロタ・ベアテ・ゴードンさんの解説で講演する棟方。(Courtesy of the Family of Beate Sirota Gordon)

 展覧会のデザインは建築事務所MAOが担当。棟方は1903年青森県生まれ。白黒板画や、自由でスケッチのような作風で知られる木板画の世界的巨匠。スイスのルガノ第2回国際版画展(1952年)や第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ(1956年)、名誉勲章(1963年)、文化勲章(1970年)を受賞。入場料は一般12ドル、シニア・学生10ドル。チケット購入は ボックスオフィス電話212・715・1258まで。開館時間は木曜日〜日曜日の正午〜午後6時。www.japansociety.org

SEX AND THE CITY舞台をモデルにした部屋

民泊サービスで人気沸騰

 ニューヨークを代表するドラマのひとつ、セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)をモデルに民泊サービスのエアービーエヌビー(Airbnb)がドラマ主人公のキャリーの部屋を完璧に再現して貸し出した。11月12日と13日の2日間、放送開始からの23年間に因み一泊23ドルで貸し出す。なお宿泊料はすべてハーレム・スタジオ美術館に寄付される。残念ながら既に予約受付は終了したが、宿泊者にはキャリーを演じたサラ・ジェシカ・パーカー本人からバーチャルでの挨拶、ドラマオープニングで着用されたチュチュなどの彼女のお気に入りの服たちや靴が詰め込まれたクローゼットの鑑賞とドレスアップも可能。

 アイコンカクテル「コスモポリタン」を飲みながら、パソコンに向かって物思いにふけったり、2000年代のコードレス電話で友人とおしゃべりを楽しむことができる。1998年にNYの30代のリアルな恋愛事情コラムを原作としてスタートした同ドラマ、50代になってより複雑になった人生や友情の現実の舵取りが描かれる続編の最新作「And Just Like That…」はHBO Maxから12月に配信予定だ。  (佐久間)

日米の選挙結果を受けて、2022年の政局を考える

 日本では10月31日の投開票で総選挙が終わり、アメリカでも、11月2日に一部の地方選が行われた。これで両国とも政局が安定したかというと、残念ながらそうは行かない。日本の場合は、岸田政権への信任がされたかに見えるが、総理としては来年2022年夏の参院選に勝たねば政権基盤は固まらない。一方で、アメリカのバイデン政権の場合は2022年11月の中間選挙まで1年を切る中で、政局運営は益々厳しくなっている。

 まず、そのアメリカだが、多くのメディアはバージニア州知事選における民主党の敗北を大きく取り上げている。LGBTQの権利や人種問題などでリベラルな政策を強めすぎる教育政策への反発、あるいは共和党のトランプと距離を置いた選挙戦が成功したというような解説とともに、民主党退潮かという危機感を煽るものが多い。だが、同時にニュージャージー州の知事選でも苦戦していることを考えると、民主党の抱える問題は別と思われる。

 ニュージャージーでは、コロナ対策にリーダーシップを発揮した現職のマーフィー氏が事前の世論調査では圧勝という予想がされていた。だが、フタを開けてみると、トランプ的な言動を繰り返してきた共和党のチャタレリ候補が猛追。現職としては意外な辛勝となった。私は投票日当日に、左右両派にスイングすることで有名な町を通る機会があったが、チャタレリ候補のファーストネームである「JACK」という看板が林立しており驚かされた。しかし、ここはニュージャージーである。ストレートなトランプ派の数は多くはないわけで、民主党州政への反発はイデオロギー的なものとは思えない。つまり、一連のコロナ禍における「不自由」への反発と考えるべきだろう。この町の場合、確かに地元に根ざした巨大スーパーでは、マスク着用率は終始低く「コロナ禍へのストレス」が感じられたからだ。ということは、バージニアで起きたことも、イデオロギーというよりもコロナ疲れという深層心理と見た方が良さそうだ。

 問題は、このコロナ疲れというのが、中道から右の世論には相当に根深いということだ。マスクを強制された恨み、職を失ったというよりもレストラン、バー、ジムを閉鎖させられた恨みというのは根深く、そして簡単には水に流せるものではない。これにワクチン接種を強制されることへの本能的な反発がある。アメリカ保守の抱える、独特の自己決定権信仰は、簡単に修正できるものではなく、ロックダウンもワクチンも、「2度と経験したくないという怨念」として残りそうだ。

 ここにバイデン政権の最大の困難がある。アメリカのワクチン接種率は、いつの間にか日本に抜かれ、今では全人口に占める「接種完了者」では14%も離されている。その差が、何乗にもなって感染率の大きな差となっている。だが、これ以上「接種義務化」を進めることには政治的なリスクが伴う。それでも、バイデン氏は官民の職域における義務化を進める構えだが、その先には、予定通り実施できるかという問題と、その結果として日本のような感染の抑え込みができるかという問題が問われることになる。だからこそ、審議に難航したとはいえ巨額のインフラ予算を通して景気の維持に努めるなど、とにかく前へ進むしかない。これからの1年、バイデン政権の道のりは非常に厳しいと言えよう。

 一方で、自公政権が信任を受けた形となった日本の政局は遙かに安定しているように見える。だが、日本には別の困難がある。1つはアジアの軍拡競争の問題だ。総裁選と総選挙を通じて日本では「敵基地攻撃能力」についての論戦が盛んとなった。日本人は「いつもの保守アピール」という「内向きの話」と思っていたようだが、実は近隣国の世論を刺激しており、放置しておくと東アジアにおける軍拡競争が加速する危険がある。一方で、円安がズルズルと危険水域に入ってきた中では、計算として軍拡競争へ回すキャッシュフローは限られる。つまり「円安+緊張拡大」を求心力としてきた安倍路線が成立しなくなっているのだ。では、岸田氏に「円高+緊張緩和」へと国策を転じるだけの決意があるかというと疑問が残るわけで、日本が直面する潜在的な危機はアメリカの比ではない。

 とりあえず選挙の季節は終わったが、日米ともに政局が「一寸先は闇」であることに変わりはない。

(れいぜい・あきひこ/作家/プリンストン在住)

ジャーナリスト 北岡和義さん死去

 本紙連載東京だよりや新年寄稿でお馴染みのジャーナリスト、北岡和義さんが10月19日午後6時30分、肝臓がんのため東京都内の病院で死去していたことがこのほど明らかになった。享年79歳だった。岐阜県出身。葬儀は家族で行った。生前の本人の希望で弔問などは辞退している。喪主は妻邦子さん。

 読売新聞記者や北海道選出の横路孝弘・衆議員の議員秘書を経て1979年に渡米。ロサンゼルスの邦字経済新聞社USジャパンビジネスニュース社編集長の後、邦人向け放送局JATVを設立。2006年帰国、日大国際関係学部特任教授を務めた。著書に1981年のロス疑惑の謎に迫った『13人目の目撃者」、在外投票運動を記録した責任編集『海外から一票を!』などがある。2007年ロサンゼルス在外公館長表彰を受けている。

惜別–評伝

三浦和義事件と北岡さんのことなど

 「ロス疑惑」と呼ばれた事件が1981年にロサンゼルス市であった。「三浦和義事件」とも呼ばれた。日本中が、一億総探偵団になってテレビに釘付けになった出来事だった。簡単に書くと1981年、ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、当初ライフル銃で撃たれて死亡した三浦一美さんの夫で被害者と見られていた三浦和義が「保険金殺人の犯人」ではないかと日本国内のマスメディアによって嫌疑がかけられ、過熱した報道合戦となり、結果として劇場型犯罪となった。殺人事件に対する科学的な考察よりも、その男性にまつわる疑惑について盛んに報じられた。三浦は、2003年に日本で行われた裁判で無期懲役から一転して無罪が確定した。しかし、その後の2008年に米国領土内において、共謀罪でアメリカ警察当局に逮捕され、ロサンゼルスに移送後ロサンゼルス市警の留置施設にて、シャツを用い首をつって自殺した。この事件の発端を在京特派員たちを尻目にぶっちぎりでスクープしていたのが、先月亡くなった元読売新聞記者で、当時、USジャパンビジネスニュースという地元経済新聞の編集長をしていた北岡和義さんだった(5面に記事)。北岡さんの著者『13人目の目撃者』(恒友出版)からその一場面を引用し、紹介する。

■場所■1981年9月、ロサンゼルスのUSジャパンビジネスニュース編集部

     ◇

 事件から十日くらいたったある昼休み、食事をしていて自然と三浦夫妻の話題が出た。例の事件は怪しいですよと誰かが言ったらしい。編集部で最年少の記者、三浦良一(25)が、その話を聞いて妙な事を言い出した。

「あの三浦から殺人を頼まれたっていう男がロスにいますよ」

「なにい?」

 私の手がハタと止まり、三浦を正面から見すえたため、彼は急にしどろもどろになって、「いえ、そういう話を聞いた男がいるんです。ボク会いました。ちょっと軽薄な野郎なんですがね。でも本当ですよ。『お前、人、殺せるか』って三浦が聞いたようです」

 弁解口調で彼はしゃべった。話を聞いたのは、3、4日前だという。

「そんな大事なこと、どうしていままで黙っていたんだ」

 私は思わず声を強めた。前々から気にしていた事件である。三浦記者がリトルトーキョーの喫茶店で聞いてきた話を聞き流すことはできない。詳しく話すように促すと、彼はこう説明した。

「ウエラーコートの二階の喫茶店でコーヒーを飲んで、隣に座った男と話していたんです。その男、ヤマハの関係の仕事をしてるというもんですから、ボクはレコードの企画の話をしたんです。できたら彼に原稿、書いてもらおうか、と思って。まあ、ちょっとチャランポランなとこ、ありましたけど」

 レコードの企画というのは彼が文化面の片隅に始めた話題のレコードを紹介、解説するコーナーのことを指していた。それがきっかけで世間話をしていると突然、その男が言い出したという。

「あんた新聞社の人なら知ってるやろ。あの三浦の事件、実は殺しをあいつに頼まれた奴がいる」

 そこで三浦良一は彼の名前と電話番号を聞いた。だが、あまりに話が唐突すぎるし、内容が尋常でないので、三浦は半信半疑で、その話を聞き流していた。

 私はすぐ、その男と連絡をとるように命じ、私自身が会うと言った。幸いすぐ本人がつかまり、私は三浦記者とニューオータニのロビーでその男に会った。

 彼の話は本当だった。ただ「殺しをやれるか」と聞かれたのは彼ではない。福原光治という寿司レストランの板前で彼の友人だという。

「オレに似てる」といって北岡さんが亡くなる直前までFBのサムネイルに使っていた似顔絵(1982年に描いたもの)

 社に戻って、私は友人の新聞記者に電話した。

「最近、面白い話ない?」

そんなふうに探りを入れてみると、

「三浦事件だろ」

とずばり返事が返ってきた。さすが社会部出身、カンが鋭い。

「社会部記者は生きていたね」

 私は軽くからかった。彼は私のつかんだネタについて質問した。そこで簡単に夕方に聞いた殺人依頼された男がいるという情報を話した。

「大きい(ネタ)じゃあない」

彼は電話の向こうでうなった。事実とすればもちろんトップものだ。

「オレいまからそっち行くよ」

 夜8時を過ぎていたが、彼は私の社に飛んできた。

     ◇

 そして、翌年3月、一人の週刊誌記者がロサンゼルスにやってきた。羽田と名乗る記者は、週刊文春の記者だった。すでに事件に疑惑を持って取材に来ていた。殺人依頼の話を彼に話すとメモを取って帰っていった。その2か月後の5月。「疑惑の銃弾」というシリーズが週刊文春で始まり、日本中がロス疑惑の渦に巻き込まれていった。

     ◇

 事件から何年たったのか覚えていないある日、北岡さんが「でも変だよな、北岡和義と三浦良一、二人合わせて三浦和義だもんな。でもなんでオレが三浦くんの下なんだ?ワハハハッ」。事件を抜いた記者の笑顔と笑い声が今も耳に残る。(三浦良一記者、イラストも)