新鮮な日本野菜を販売

鈴木ファームが27日ジャパンビレッジ夏祭りで

トキタ種苗とコラボレーション企画

 アメリカ東海岸で唯一の日本野菜農業を30年以上経営する鈴木ファームが27日(土)、ジャパンビレッジ(934 3rd Avenue, Brooklyn)で行われる第2回夏祭りに出店する。農場から直送した、取れたてでフレッシュな日本野菜の出張販売を行う。旬の夏野菜のトマト、なす、ピーマン、きゅうり、長ネギ、ゴーヤ、カボチャ、ししとうなど、どれも日本ではなじみがあるがアメリカではなかなか手に入らない野菜を豊富に取り揃えて販売する。価格は3ドルから。

 なお、今回の出張販売は日本野菜の種を育種する「トキタ種苗株式会社」とのコラボレーション企画により実現したもの。トキタ種苗は、日本のおいしい野菜を世界中に広める総合プロジェクト「Oishii Nippon Project」の活動を行っており、米国内での日本野菜の普及推進に努めている。トキタの種の野菜は鈴木ファームでも栽培されており、今回の出店で購入が可能。新鮮野菜の他、アメリカでも育てやすく品種改良されたトキタの種の販売も行う。問い合わせはEメール[email protected]まで。夏祭りの詳細はウェブサイトwww.japanvillage.comを参照。

日米の学生が茶道体験

第74回日米学生会議NYで

裏千家の鈴木講師が解説

 1934年に発足した日本初の国際的な学生交流団体である日米学生会議(Japan-America Student Conference:JASC)に加盟する学生のうち、日米合わせて約60人の代表団が第74回目日米学生会議プロジェクトの活動の一環でニューヨークを訪れた。6日には裏千家茶の湯センターの協力により日本の伝統文化である「茶道」についての勉強会を行い、日本の伝統文化の世界普及と国際化について学び、日米間の文化の相違について意見を交わし、両国の学生間の相互理解を深めた。

 当日はまず、NY市立大学ハンターカレッジの講堂を会場に、裏千家今日庵業躰であり裏千家NY出張所責任講師の鈴木宗慶氏を講師に迎え、茶道発祥の歴史と精神についての講話を行った。鈴木講師は、茶道が時代と共に変化と進化を繰り返し、裏千家の第15代家元、千玄室大宗匠の「一盌(いちわん)からピースフルネスを」の理念で海外に布教してきたこと、また、茶道がもたらす「静」のパワーと精神バランスが世界に「平和」をもたらすこと、そして、茶道が人や国の関係構築にどう貢献してきたかなどを分かりやすく解説した。続いて、同センター講師のフィリップ・ハファティ宗建氏とペイ・ツエン・タオ宗佩氏を交えパネルディスカッションを行い、学生からは積極的に質問が投げかけられるなど活発な論議となった。その後、裏千家茶の湯センターに場所を移し、同センターの講師による茶道体験を行い、茶道道具やお点前の所作の意味や重要性を学んだ。

 日本から参加した大阪大学工学研究科環境・エネルギー工学専攻・修士1年の山本悠太さんは「初めて茶道に触れた参加学生も多く、若者がいかに伝統を継承できるか考えさせられた。バックグラウンドに関係なく、国を超えてその場の空間と時間を楽しめることに価値があると感じた」と話し、日本の伝統文化の国際交流の重要性を実感した。また、鈴木講師は「本格的に茶道を学ぼうという学生たちの熱意が伝わってきました。『道』を極めるという日本独特の奥義に関する質問が出るなど、日本文化の神髄を深く学びそれを日米間で交流しようとする姿勢が強く感じられました」とコメントし、有意義な国際交流の勉強会となった。

リバーサイドの新校舎、NY日本人学校で始業式

 夏休み中にリバーサイド校舎への移転を終えたNY日本人学校は8日、2学期始業式を行い、きれいに整った校舎に11人の新入生を迎えた。「WELCOME BACK TO GJS」の文字が校内に掲示され、友達や先生と久しぶりに再会した子供たちの楽しげな声が校舎に響いていた。

 体育館で行われた始業式では、岡田校長が「皆さんはリバーサイド校舎の1期生。初等部中等部、みんなで協力してGJSの新しい歴史を創っていきましょう」と話し、児童生徒も真剣なまなざしで聞いていた。次に、2学期に頑張りたいことについて発表が行われ、初等部代表者は「英語とテニスを頑張りたい」=写真左上=、中等部代表者は「自分から率先して係などの活動をしたい」=写真左下=と発表した。

 2学期は多くのイベントがあり、4か月半に及ぶ長い学期。仲間で協力し、自分たちで自分たちの学校を創っていく実りの学期が始まった。

全米そろばん大会、NY小島君が優勝

 カリフォルニア州サンノゼで8月7日、全米そろばんコンテストが3年ぶりに対面方式で行われ、ナショナルレベルの生徒87人が全米から参加した。

 当日は小学生3部、中学・高校と5部門に分かれそれぞれの腕を競った。

 高校の部で、ニューヨーク代表の小島アンドリュー君(9段、佐藤そろばん教室)=写真=が優勝した。読み上げ算の部とフラッシュ暗算の部で共に優勝、ペーパーの部で2位だった。

 同教室のオープンは1977年、日本での指導を入れると50年になる。現在はスカースデール教室の対面クラスとオンラインによるクラスを行なっている。5名程度の少人数クラスですべて個別指導。それぞれの子供の能力を最大限に引き出すことを目標としている。同教室を運営する佐藤タカ子さんは「そろばんは一つ一つ理解し練習を積み重ねていくことしか上達の方法がなく、忍耐も必要なのですが計算力、あんざん力だけでなくそれに伴う集中力が養われ、なによりも子供達の自信となっていくことがいちばんのメリットです。それを裏付けるように親子2代で来てくれる生徒も増え、ご父兄が子供の頃に習っていてやはりそろばんをという生徒さんも多いです」と話す。

 同教室の卒業生には、日本での超一流大会クリスマスカップの英語読み上げ算部門の読み手もいる。当地での1級合格者105人、段位合格者77人。問い合わせは電話914・472・1181、詳細はウェブサイト www.TheSorobanSchool.com

ファッションは前向きなエネルギーを放つ

ファッション工科大学 社会科学部経済学准教授

キャッツ 洋子さん

 ファッション工科大学(FIT)は、1944年に設立されたアート、デザイン、ファッション、テクノロジーの分野の学科を擁するニューヨーク州立大学だ。ファッション経済学は、キャッツさんが10年前に同大に提案してクラスとなった新講座。しかし半年ごとの雇用契約更新は、無記名の学生からのアンケートに重きがあり、査定では毎回コメント欄を全部読み上げられる。「教授の英語が全くなっていないから、経済学が理解できなかった」と毎学期言われ続けた。

 「反省を次へのチャンスに切り替えて」、前回より少し踏ん張り、常に一歩踏み込んで「110%のクオリティを目指して」進み続けたことで次第に評価が上がった。「新しいコンセプトを受け入れてくれるニューヨークは、挑戦のしがいがあります」と穏やかな笑顔を見せる。

 だが自分のクラスを持って1年経った時に乳がんの宣告を受けた。36歳だった。健康には人一倍気をつけて生きてきたのになぜ、と裏切られた気持ちで落ち込んだ。抗がん剤治療もきつかった。それでも「自分が作ったクラスは自分で教えたい」と腫瘍内科の医師に相談。辛い治療だけど副作用に対する薬も増えたので、できないはずはないと頑張った。「ファッションの大学で、自分は一体どうやって教えればいいのか。女性のシンボルである髪や胸をなくす治療をしながら、どうしたら自分らしくいられるのか」葛藤した。最初に購入したオレンジウィッグを友人に見せたところ、ブログにファッションを記録していったら? と勧められて始めたブログや抗がん剤治療室の待合室で「あなたのターバン姿すてき、どうやってやるの?」から派生した帽子作りもファンが多い。ファッションが患者の心に寄り添うもので、装う美は、自分だけではなく周囲の人にもポジティブなエネルギーを放つことを実感した。今年、定年がない永久にFITで働ける地位を得た。完治のないステージ4になってから3週間に1度の点滴治療は一生続く。癌患者のかっこいいアート写真の展示会を開くこと、ファッションと経済の分野を多方面から見るようなカリキュラムを作ること、いつかメトロポリタン美術館のガラに招待されること、などまだまだ見果てぬ夢はいっぱいある。「そのためにも生きて行かなきゃですね」。家庭では妻であり母でもある。(三浦良一記者、写真は本人提供)

編集後記 2022年 8月13日号

【編集後記】
 みなさん、こんにちは。私は毎週日曜日は、朝から自宅にこもって缶詰状態で深夜までのまる1日で、その週の新聞のレイアウトと見出し付けをしています。16ページの時はまあ余裕ですが、20ページの時はそれなりに腹をくくって真面目に取り組むわけです。で、今週日曜の朝、いつものようにコンピュータを立ち上げ、メールチェックからと思ったのですが、ネットが繋がらない。しかも携帯電話のアンテナのバーが1本だけで、時間が経つと「NO SERVISE」の表示が出て携帯電話が使えないことが分かりました。携帯電話のホットスポット機能を使ってネットに接続しているので、仕事がまったくできません。焦って会社から持ってきた書類や道具をカバンに入れて、ハリソンの駅に走って電車に飛び乗りマンハッタンへ。不思議なことにマンハッタンに近づいたら、電話はリカバー、全て普通に使えます。日曜日なのでAT&Tはお休み。グランドセントラル駅のマックストアの修理店ジェネティクスに駆け込んで携帯電話のアップデートだけしてもらい、不具合の理由がわからないまま締め切りの今日まで、3日間、自宅ではネットと電話が使えない状態が今も続いています。久々に会社だけで仕事して紙面を作りましたが、家に帰っても寝るだけしかできないので、まあむしろ健全かなと。死ぬ訳じゃないし、いつかなんとかなるだろうと思ってネットで検索したら、やっぱり、ウエストチェスター全域でAT&Tの通信障害が2日前から発生しているとのことです。説明によるとニューヨーク州ホワイトプレーンズの過去24時間におけるAT&Tの問題として、苦情をグラフに示して、White Plainsとその近辺のユーザーから過去24時間に寄せられたAT&Tに関する報告数を示しています。赤い線で表される基準値よりも報告数が多い場合に(実際に多い)障害発生と判断しているとのこと。42%  がインターネット、37%が電話の障害。本日、10日現在まだ影響を受けているのは以下の町です。原因はここ数日の熱波による通信基地のオーバーヒートのようです。The most recent outage reports and issues originated from Larchmont, Harrison, The Bronx, Purchase, Stamford, Mamaroneck, Manhattan, Pleasantville, White Plains, Scarsdale, Bronxville, Tenafly and Greenwich. 私の住んでいるハリソンもしっかり入ってますねー。朝、携帯が繋がらないと言って、プラットホームで呆然と空を見上げていたアメリカ人通勤客が何人もいましたね。いったいいつになったら直るのでしょうか。今の時代、ネットと電話がつながらないと、陸の孤島です。ラインもできません。こんな状態で作った今週号ですが、逆に緊張感があったせいか、紙面は割と盛りだくさんです。来週の今日には問題が解決していますように。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2022年8月13日号)

(1)被爆者は語る NY各所で追悼・平和集会 

(2)ウルトラマンNY参上 樋口監督と西野さん挨拶

(3)今度はクリムト展 没入型アートNYで

(4)岸田総理はニューヨーカー あめりか時評 

(5)被爆証言地図を紹介 東大NYオフィスで

(6)新生レストラン日本を背負って 木下直樹さん

(7)続。命のビザ英語版 北出明さん出版

(8)軽度発達障害に理解を ミス10代で来米の鈴木さん

(9)ハーレムのガーデンアート  高氏奈津樹さん演出

(10)第2回ジャパンビレッジ夏祭り 27日に盆踊りや御神輿

ウルトラマンNY参上

NYアジア映画祭で樋口監督と西野氏来米

来米した樋口監督(左)と西野さん(7月23日、リンカーンセンターで、写真・三浦良一)

「困った時の神頼み」
日本人的な観念で生まれたヒーロー

 NYアジアン映画祭で「シン・ウルトラマン」(東宝)が上映され、樋口真嗣監督、プロデューサーの西野智也さんが来米した。

 樋口監督は「オリジナルのウルトラマンが放送された60年代、子供の目から見た未来があった。当時はビデオがなく、記憶力だけを頼りにクラスメートの前で話すのが楽しかった」と創作の原点に触れた。今回の作品を作るに当たっては、脚本を作る前に、ウルトラマンの初代のスーツアクターだった古谷敏さんの体型を3Dでコピーするところから始めたという。作品自体もジオラマを作っての特撮は3シーンだけで、あとは全てCG撮影だという。ウルトラマンは、ゴジラと違い、60年代にリアルタイムで米国でテレビ放映されていないことから知名度は米国では低い。「日本人は困った時の神頼みで、ウルトラマンのように誰かがどこからか助けに来てくれるという他力本願的な願望がある。それがアメリカで受け入れられるか心配」と上映前語っていたが舞台挨拶で会場から満場の拍手を受け「感動した」と笑顔で応えた。ウルトラマンの映画を作りたいと東宝に入社したという西野さんは「アメリカで劇場公開できるかどうかは皆さんのSNSでの応援にかかってます。よろしくお願いします」とウルトラマンを売り込んだ。

被爆者は語る

NY市内各所で追悼・平和集会

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれているニューヨークで5日、広島原爆の日に合わせ、犠牲者を追悼する催しが市内各所であった。昼には、ニューヨーク日本総領事館が入居するビルの前のパーク街で市民集会が開かれた。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長が自らの被爆体験を語った。スピーチの内容は次の通り。

 皆様こんにちは、私は佐久間邦彦と申します。私は生後9か月の時、広島で被爆しました。私が被爆したのは爆心地から西方3キロメートルの己斐町でした。私の家は平家の木造家屋でした。裏側は山で私は爆心と反対側の縁側で寝ていました。母は洗濯をしていました。突然閃光が走り、近くに焼夷弾が落ちたのではないかと思って周囲を見たそうです。別に何も変わった様子もなく、あれ、でもと思って私を背負って避難する途中黒い雨に遭遇しました。避難所は負傷した人達がいました。しばらくして自宅に帰ると、家の壁は崩れ落ち、窓ガラスが壊れ散乱、屋根瓦も一部飛び散っていましたが、その後何とか住むことができました。ここまでは母から聞いた話です。私の家族は爆心地から離れていたところにいたのでなんとか生き残ることができたのです。当時広島市には35万人前後の人たちがいたと言われてますが、その年の末までには14万人前後の人たちが亡くなっています。たった1発の原爆のエネルギーは爆風、熱線、放射線となり広島市中心部は壊滅しました。生き残った人々もさまざまな形での原爆後遺症で苦しみ、その影響は今も続いています。各兵器は悪魔の兵器であり、絶対悪であり、非人道的なものであり、2度と使用されてはなりません。

「プーチン発言に驚き」
被団協の佐久間さん

 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長の被爆体験は次の通り。

     ◇

 私に記憶があるのは5歳か6歳の頃からです。当時よく扁桃腺が腫れ熱を出し、祖母に連れられ病院に行きました。私は栄養失調の中で育ちました。

 私は遠距離被爆なので原爆の影響は受けていないと思っていました。ところが11歳と12歳の時、2か月くらい続けて体調不良で学校を休みました。肝臓と腎臓を患い、ともに体がだるく、食欲がなくて子供ながらに死ぬのではないかと思いました。その後体調に不安を感じながらも中学、高校を終えて上京しましたが、被爆後20年あまり経ても被爆者に対する差別や偏見があることを感じ広島へ帰りました。

 私は現在、被爆者相談所で被爆に関する相談を受けています。その時必ず被爆当時のことを聞きます。相談者が数ある中で聞いていると私もそのような過酷で悲惨なところにいたのかと思うと、核兵器はなくさなければと考えるようになり、核兵器廃絶をめざす運動に参加するようになりました。

 ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用を示唆しました。本当に驚きました。5核保有国へ核軍縮をせまり、NPT再検討会議が一歩でも核兵器廃絶をめざす会議になればと思います。(スピーチは日本語で行われ通訳が英訳した)

核廃絶を訴える

NY日本総領事館前で日米市民

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれているニューヨークで5日、広島原爆の日に合わせ、犠牲者を追悼する催しが市内各所であった。昼には、ニューヨーク日本総領事館が入居するビルの前のパーク街で市民集会が開かれ、核廃絶と被爆者への追悼、原爆を日本に投下したことに対する米国市民からの謝罪が発表された=写真上=。集会では、楽器を演奏したり「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ」などと声を上げたりしながら、核廃絶を訴えた。

 日本総領事館前で集会をした理由について参加者は「日本が世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、米国の核の傘に守られ、NPTを批准していないことへの抗議の意味もある」と述べた。映画監督で平和活動家のアンソニー・ドノバンさんは「日本に大量殺戮兵器の原爆を落としたことを一アメリカ市民としてお詫びする」と謝罪の言葉を口にした。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長が自らの被爆体験を語った。

核兵器のない未来を

原爆投下時刻に鐘
第29回インターフェイス 平和の集いで追悼

スピーチする田上長崎市長(写真・三浦良一)

 宗派を超えて世界平和活動を行うNY平和ファウンデーション(中垣顕実会長)は5日午後6時から国連チャーチセンターで平和式典「第29回インターフェイス平和の集い=広島・長崎原爆犠牲者追悼(77周年)並びに平和祈念」を行なった。

 式典を通して、原爆、戦争の過去を振り返る中、再び同じ悲劇を起こさないよう、内外の平和を祈念し、すべての命を大切にする「核兵器のない」平和な社会の構築のメッセージを発信した。

 当日は、式典に長崎市の田上富久市長と日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の木戸季市事務局長(82)広島平和文化センターの小泉崇理事長ら約40人が参列。広島市長のメッセージをNY広島会会長の古本武司さんが代読した。このあと長崎の被爆者の木戸さんが自身の被爆体験を証言し、「核兵器は人々が生きた証をすべて奪ってしまった。人間らしく生きて死ぬことを実現するためには核兵器の廃絶しかない」と核兵器の非人道性を訴えた。

 パーフォーマンスは、オープニングを三線とボーカルのリノ・アイセ、ひろしま平和文化大使・原田真二、ソプラノ・服部愛生、歌舞伎役者・中村橋吾が「国連平和の鐘」をテーマにした演技、ダンサー・杉山奈穂子が華麗な舞いを披露した。最後に来場者たちはバーチャル広島原爆資料館ツアーを西前拓氏の解説で体験した。原爆投下時刻にあたる現地時間の午後7時15分を迎えると、田上市長と、小泉理事長、木戸事務局長が順番に鐘を鳴らし、原爆の犠牲者を追悼した。

今度はクリムト、没入型展覧会

NY市庁舎前で9月14日から

 オーストリアの画家グスタフ・クリムトの展覧会「ゴールド・イン・モーション」が、9月14日(水)から開催される。会場の壁に絵画作品を投影したデジタルアートで、ニューヨーク市内で昨年ゴッホ展を行ったジャンフランコ・イアヌッツィ氏が手がけるもの。クリムトの有名な絵画作品がオリジナルサウンドとともに、高さ約9メートルの壁に投影される予定で「ウィーンの画家の黄金色、官能的、革命的な芸術を巡るテーマ別の旅」が体験できるという。また、クリムトの後継者であるフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏による作品のデジタル上映や、絵画の実寸大展示もある。

 会場はダウンタウンにあるNY市庁舎の前にオープンする「Hall des Lumieres」(チャンバース通り49番地)で、1912年に建てられたエミグラント・インダストリアル・セービング銀行のビルを改装し、没入型アート展のための巨大施設となる。入場料は一般30ドル、65歳以上が28ドル、5〜16歳が15ドル。詳細は公式サイトhttps://www.halldeslumieres.com/を参照する。

(写真)公式インスタグラムから

岸田総理には「ニューヨーカー宣言」を期待

 8月1日に、岸田総理はニューヨークの国連本部で行われたNPT(核拡散防止条約)再検討会議で演説を行った。懸案となっている核禁条約へのオブザーバー参加の可能性について言及しなかったのは不満が残るが、被爆国として核廃絶を主張する立場を明確にしたことの意義は大きい。更に総理には、9月27日の安倍元総理の国葬の直前には、国連総会に出席のために再度ニューヨークに戻る予定がある。仮に、何らかの理由で国連総会への出席が不可能になった場合も、今後もニューヨーク出張は何度でもあるだろう。

 その際にお願いしたいことがある。それは岸田総理に「自分はニューヨーカーだ」と宣言していただくことである。理由は単純で、総理自身が小学校低学年の3年間、当時の通産官僚であった父親に帯同して、クイーンズ区の2つの学校に通ったという「縁」があるからだ。小学校の1年生から3年生の3年間を過ごしたというのは、ニューヨークの側から発想するならば、正に立派な「ニューヨーカー」ということになる。

 具体的には3つ提案がある。

 1つは、コロナ禍の後遺症に苦しむニューヨークへの連帯と支援ということだ。例えば、ニューヨークの飲食店など地域経済は、コロナ禍による休業などで苦しい経験をしており、今もまだ回復途上にある。また街の全体が現在でも治安や衛生状態の悪化に悩んでいる。こうした痛みに理解を示し、とりわけ「ポスト・コロナ」に向けて日本からの観光客来米への流れを作ることに支援をお願いしたい。

 2つ目は、ウォール街との関係を再構築することだ。バブル期には多くの金融機関がニューヨークに拠点を設けていたが、金融の本質を理解することなくほとんどが撤退した。日本が真剣に金融立国を志向するのであれば、改めて多くの若く優秀な人材を派遣して、今度こそ本物の国際金融、金融工学を学ばせるべきだ。最低でも1年半ぐらい、ウォール街の投資銀行や証券会社の最前線を経験すれば、「リスクの取れないというリスク」に縛られている日本の金融を改革する方向性を見出す人材は出て来ると思う。少なくとも、起業家の卵をシリコンバレーに送るより、日本のGDPにははるかにプラスになるだろう。

 3つ目は、他でもない岸田総理の「原点」であるクイーンズ区を「再訪」するということだ。半世紀以上前に岸田少年が通学したという2つの小学校を訪れ、改めてクイーンズ区の多様性を評価するとともに、コロナ禍の痛みを共有するというのは、それだけで日米関係に意義があると思う。特にクイーンズのアジア系住民を親日にするということは、今後のアジア外交を考えると重要だ。

 また、フラッシングはAOCことアレクサンドリア・オカシオコルテス議員の選挙区「NY14区」に属する。AOCは、若者に絶大な人気を誇る民主党左派のリーダーであり、国政における存在感は増すばかりだ。岸田総理のクイーンズ訪問を契機にAOCとの良好な関係を作りアピールすることは、いわば政治的先行投資として大いに国益に叶う。

 ちなみに、クイーンズの小学生であった時期に、岸田氏は「白人の女の子に手を繋ぐのを拒まれた」という経験があるという。報道によれば「すぐに自分が差別されていることに気づいた」そうで、「やや大仰に言えば、このことが、私が政治家を志した原点とも言えます」という発言もしている。1961年から63年の時点であれば、アジア系はまだ珍しく、対日感情も旧敵国という意識が残る時代であった。従ってこのことは驚くには当たらないが、日本の総理大臣がそのような「負のエピソード」を放置しているというのは国の威信に関わる。総領事館は手を尽くして、その「少女」を探し出し、岸田氏との和解のセレモニーを演出していただきたい。もしかしたら彼女の方も「差別行為への罪の意識」を原点として、その後は多様性への貢献という道を選んでいるかもしれない。そうなれば、いかにもニューヨークらしい美談にもなる。そもそも岸田氏はそういうことの出来る政治家であると思う。手間のかかる作業になるかもしれないが検討していただければと思う次第だ。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

被爆証言地図を作成

東大NYオフィスで企画展

大学院生らが来米

 東京大学大学院の渡邉英徳教授(情報デザイン、デジタルアーカイブ)の研究室が中心となって6日と7日、マンハッタンの同大学ニューヨークオフィスで「テクノロジーでつながる平和活動」と題する企画展を開催した。

 本企画展は、国連で開催中の核拡散防止条約の再検討会議にあわせて開催。渡邉教授の研究室で学ぶ大学院生ら5人が来米、広島と長崎の約300人の被爆者の証言記録を地図上に記したウェブサイト「ヒロシマ・アーカイブ」と「ナガサキ・アーカイブ」などを、大型モニター(リキッドギャラクシー)で映し出した。6日には木戸季市さんら被爆者3人が証言を伝え、実際に地図上で自分がいた場所を指し示して証言するなど、臨場感あふれる交流会となった。

 渡邉教授は、デジタルアーカイブを平和という文脈で活用するプロジェクトを数々手がけている。今年作成された「ウクライナ衛星画像マップ」では、より分かりやすい形で建物の被害状況が伝えられた。会場では「被爆者の高齢化で直接証言が聞けなくなっていくなか、次世代にとって非常に興味深いツール」「もっと多くの人に紹介してほしい」などの声が聞かれた。同研究室の取り組みはウェブサイトhttp:// labo.wtnv.jpで見ることができる。(小味かおる、写真も)

広島県呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍施設から尾木正己が撮影したきのこ雲 カラー化:渡邉英徳