顔面移植の研究をNYで行う 平山晴之さん

ランゴーン医療センターに留学中の医師

 ニューヨーク大学(NYU)ランゴーン医療センターの形成外科に、日本の東京慈恵会医科大学から顔面や手の移植の研究のために留学している研究者がいる。平山晴之医師だ。

 2024年12月、交通事故で車が炎上し、全身の80%に火傷を負い顔面と両手の移植手術を行ったニュージャージー州在住の米国人男性が、手術後に知り合った看護師の女性と結婚するというニュースが話題になった。顔面移植は世界でこれまでに約50例行われており、米国やフランス、トルコなど多くの国で行われているが、日本ではまだ行われていない。平山医師に話を伺った。

 平山医師は千葉大学医学部医学科を16年に卒業後、東京慈恵会医科大学形成外科に医師として勤務。専門は頭頸部再建、再建外科。24年10月からNYUランゴーン医療センターの形成外科で研究を行っている。

 顔面や手、喉頭、腹壁などの移植を「血管化複合組織同種移植(VCA)」と言う。血管と血管を縫い合わせて血流を再開させる必要があり、さらに神経、筋肉、骨などをつなげることによって機能の再建も可能となる。一方で非常に高度な知識と技術が求められる。「日本では、臓器の移植に関する法律(臓器移植法)で、心臓、肺、肝臓、腎臓などの移植は認められているが、現時点で顔面や手などの移植は認められていない。さらに日本人の死生観、脳死を人の死として受け入れることへの抵抗感、臓器移植の制度の問題もあり、日本の臓器提供者数は米国、スペイン、韓国などの他国と比べて遥かに少ないのが現状である」と平山医師。日本人は遺体に傷をつけることを嫌がるが、例えば移植医療の進んでいる米国の場合、自分や家族の死が、臓器を提供することで多くの人の命を救ったり人生を大きく変えたりすることができると考える人が多いのだそうだ。顔面移植の場合は、提供者の遺体には葬儀の際には元の顔と同じようなマスク(仮面)を作り付けることができるのだという。「日本人の死生観を変えることは難しいが、移植そのものに対する意識や認識を変えることは可能であり、そのためには移植医療に関するより積極的な啓蒙活動が必要だ」と平山医師は言う。

 そして「日本は技術面、施設面いずれも十分に整っており、将来的にVCAの手術が行われる可能性が高いが、実現のために解決すべき課題がたくさんある」と話す。

 現在、NYUランゴーン医療センターの形成外科の平山医師が所属する研究室には米国人、台湾人、中国人の研究者がおり、日本人は平山医師一人。免疫拒絶や免疫抑制剤に関する研究を行っている。研究のためにマウスでVCAの移植モデルを作る必要があり、顕微鏡で血管を縫い合わせるマイクロサージャリーという手術の経験が豊富な平山医師が着任した。着任後マウスの後ろ脚を別のマウスに移植する手術に既に成功していると言う。

 VCAには免疫拒絶を起こしやすい皮膚が含まれるため、免疫拒絶を起こす確率が他の臓器に比べて約7倍とも言われている。VCAの免疫拒絶や免疫抑制剤に関する研究は、他の臓器の移植にも役立つ。VCAはもともと戦争や事故などで顔や手を失った人に対して行われ、米国においては国立衛生研究所(NIH)や国防総省などが資金援助をすることで研究が行われている。米国の研究設備や研究資金の規模の大きさに驚いたと平山医師は話す。

 「日本にも病気や怪我でVCAを必要としている患者さんがいる。米国での研究期間を終えたら、VCAが日本で実現するように尽力したい」と結んだ。

  (石黒かおる、写真も)

アンネ・フランク展NYで

隠れ家を原寸大で再現今月27日から開催

アムステルダムから届くコレクション100点を展示

 「アンネ・フランク展」が1月27日(月)から、センター・フォー・ザ・ジューイッシュ・ヒストリー(西16丁目15番地)で開催される。第2次世界大戦中のユダヤ人迫害の数百万人にわたる被害者の一人で、世界で最も翻訳されている本の一つ『アンネの日記』を書いたことで知られる少女の短い人生を振り返る。フランクフルトでの幼少期からアムステルダムへの移住、1944年の逮捕と強制収容所への送還など、その背景に触れる。

(写真右:アンネ・フランク)

 同展ではアムステルダムのアンネ・フランク・ハウスから集められた100点以上のコレクションが展示されるほか、アンネと両親、妹、ほか4人のユダヤ人がナチスから逃れるために2年間潜伏していた隠れ家を、アムステルダム以外で初めて原寸大で再現する。被害者としてではなく、ひとりの少女として、作家として、そして回復力と強さの象徴として、アンネの人生を学ぶ機会を提供する。

 入場料は一般21ドルから、17歳以下は16ドルから。土曜休館。チケット・詳細はウェブサイトhttps://www.annefrankexhibit.orgを参照する。

ジャパンパレード5月10日 参加団体の募集開始

 5月10日(土)に開催される第4回目の「ジャパンパレード&ジャパンストリートフェア」に向け、パレードへの参加団体を募集している。日本文化の魅力を発信し、日米友好を促進するという趣旨のもと、パレードを盛り上げる団体を募集している。

 参加団体例としては、日本の伝統芸能のパフォーマンス、着物などの衣装を着用した団体、マーチングバンドなど音楽グループ、武道をはじめとする各種スポーツ、ポップカルチャー、学校、児童会、県人会、同窓会、趣味の集まりなど。楽器を演奏しながら、または踊りながら歩く、旗やのぼり、各種小道具を持って練り歩くなど、さまざまな形態での参加が可能。応募の締め切りは3月3日(月)。申し込みと詳細は、ジャパンデーのウェブサイト参照https://japanparadenyc.org/parade-participants/ 

 またパレード、ストリートフェアへの支援、問い合わせはEメール[email protected]

QBハウス アスタープレイス店オープン

NY市内で6店舗目

全米展開30店を目指す

 ヘアカット専門の理容店QBハウスが2日、マンハッタンでアスタープレイス店をオープンした。NY市内6店舗目となる同店は、延べ床面積900平方フィートと既存店のなかでは最大の広さでゆったりした4席。店内裏に理容スタッフの研修センターを併設している。予約なしのウォークインで男女問わずユニセックスのヘアカット専門で、今年から価格をこれまでの30ドルから35ドルに値上げしたが、理容・美容業界では依然格安でリード、お手軽さで人気となっている。

 QBハウスUSAインクの古谷亮二社長=写真=は「うちは髭剃り、洗髪などもやりません。自分でやれることは自分でやっていただいて、自分ではできないカットを専門にやってます。お客さんは髪の毛を切ってもらいたいから来ているんです」と話す。

 同店は、日本全国で500店舗を展開、シンガポールも含めたグループ全体では700店舗に及ぶ。北米ではカナダトロントにも昨年オープンしている。古谷社長は、向こう3年間でNY市内に計10店、今後は、ロサンゼルス、ボストンなどにも店舗網を広げ、全米で30店舗に広げたい考えだ。アスタープレイス店の住所はブロードウエー741番地。地下鉄RW線8丁目・NY大学前駅下車徒歩0分。地下鉄6番アスタープレイス駅下車徒歩1分。営業時間は平日午前9時から午後7時。週末は午後6時まで。

SHOGUN 4部門受賞の快挙 ゴールデングローブ賞

「この賞は重い」真田

歴史的瞬間再び

 「いやあ、重いですねー!このトロフィーは。7年前に企画がスタートした時にはまさか賞を獲るとは思いもしませんでした。だからこそ重さが身に沁みます。70%が日本語のセリフですから僕にとっては大きなギャンブルでした。侍スペシャリストを起用し、青い目で見た侍ではなく、日本人の文化を確かな目線で見せたかった。この作品からハリウッド業界が何かを学んでぜひとも進歩して欲しい。俳優としてでなく制作者として大きな責任を感じていただけに今は喜びで一杯です。全てはチームの努力のおかげです」

 1月5日 ビバリーヒルズの第82回ゴールデングローブ授賞式の会場で、「ショーグン」が最優秀TVシリーズ賞、主演男優賞、主演女優賞、助演男優賞、の4部門で受賞した際の真田広之(64)のコメントである。

(写真上)ゴールデングローブ賞受賞を喜ぶ左から三浦按針役のコスモ・ジャルビス、サワイ、真田、浅野 Photo@GG2025

 名前を呼ばれた瞬間にぎゃーっと叫んで天真爛漫に喜んでいた助演賞受賞の浅野忠信(51)はインタビュールームでもはしゃぎながら「もうベリー、ベリー、ハッピーです。僕の役には人間味がたっぷりあって、ずる賢かったり、コロコロ意見が変わったりで、現在の自分と照らし合わせながら演じました。僕にとっては一番大好きな役でしたから脚本を読んだ時からラッキーな日々でしたね。とにかくベリーハッピーです。撮影の真っ最中にロスに来たので明日すぐに日本に帰らなきゃならないのですが、いやあ、感激しました。サンキュー・ベリマッチ!」と人気俳優の多忙ぶりを覗かせていた。

賞に名前を刻んでもらって喜ぶアンナ・サワイ

 女優賞受賞のアンナ・サワイ(32)はニュージーランド生まれ、10歳の時に日本に帰国したバイリンガルの女優で、トロフィーに名前を刻んでもらうカウンターでは感極まった表情を見せていた。

 1980年のオリジナルの「ショーグン」で島田陽子(1953〜2022)が日本女優として初めてゴールデングローブを受賞した際、ワタクシめも同伴して歴史的瞬間を目の辺りにしただけに何とも嬉しい快挙であった。

 ちなみにアメリカ人は「ショーガン」と発音して、ほとんど英語化した言葉になっているのも微笑ましい限りである。 (成田陽子)

 1980年の「ショーグン」島田陽子 ゴールデングローブ アジア人女優として初めて受賞。共演はリチャード チェンバレン。(Photo: Paramount pictures)

現代日本アートを海外に紹介する 斯波雅子さん

ブルックリン実験アート財団(BEAF)共同創設者兼エグゼクティブディレクター

 ラトガーズ州立大学美術史学部を卒業後、20年以上にわたりニューヨークを拠点に、主にアジア文化系団体でのマネジメントに従事している。ジャパン・ソサエティー・ギャラリーやアジア・ソサエティ美術館に勤務した後、アジアン・カルチュラル・カウンシル日本財団の初代事務局長を務め、現代アート事業会社を起業。その後、新たにブルックリン実験アート財団(BEAF)を共同設立し、アーティスト・レジデンシー・プログラムや研究支援を通じ、日本人をはじめとするアーティストのサポートをしている。

 一貫して日本の現代美術を海外と日本から見てきた。「アジアの中の日本の文化が、一種ガラパゴス的な良さを維持していて、日本人でもあまり知らない地方の小さなお祭りのニッチな文化を来日した海外アーティストとの接触で知ることなど、外に出て改めて自分の国の面白さに気づくことが多かった」という。

 宇宙事業スタートアップSpacetainment社でアート事業を統括、史上初の国際宇宙ステーション外壁での展示となった野村康生さんの宇宙アートプロジェクトを監修(本紙2024年新年号既報)したのもそんな人との出会いの影響を受けた結果だ。近年は、特にデジタルアートの専門家として活躍し、サンフランシスコのアジアンアート美術館で開催された村上隆個展の公式カタログに寄稿する一方で、NYファッションウイークでは土佐尚子のショーのランウエーを2年連続でモデルとして歩くといった別の顔もあり、七面六臂の活躍ぶり。

 BEAFの第一弾レジデンシー企画では日本の現代芸術振興財団の支援を受けて実現したアーティスト高橋銑(たかはし・せん)のプロジェクトでは、NY滞在3か月間で40か所以上のアート現場に案内した。年明けには、東京都主催のシビッククリエイティブベース東京の国際シンポジウムで、BEAFが日本のアーティストを支援する文化交流活動について講演、一般社団法人Open Art Labが東京・四ツ谷駅前に開設した複合文化施設「Mikke Gallery」の初キュレーターコンペに入賞して今春に企画展のキュレーションを行うなどスケジュールが目白押しだ。

 これでもまだ公表できないプロジェクトがいくつかあるそうだから、日本の新進アーティストたちが斯波さんの手によって海外に羽ばたいていくアート元年の幕開けを予感させる。

 (三浦良一記者、写真も)

中堀海都が音楽会

電子音楽パフォーマンス 1月18日

 ニューヨーク在住の作曲家、中堀海都(35)による電子音楽パフォーマンス「ネイチャー・アンド・セレモニー」が1月18日(土)午後7時から、ローワーイーストサイドのキ・スミス・ギャラリー(フォーサイス通り170番地)で開催される。中堀は西洋音楽に雅楽の要素を取り入れ革命を起こした武満徹(1930〜96年)の系譜を継ぐ作曲家で、本パフォーマンスでも雅楽の音源や自然の録音を織り入れた音色世界を繰り広げる。彼は雅楽の他、現代音楽の作品でも知られ、2021年にはロワイヨモン財団委嘱の電子音楽オペラ「無数の井戸」を発表。また今秋、茨城県水戸市で開催される「水戸国際音楽祭」にディレクターとして参加する。

 キュレーターの佐藤恭子さんは「昨年11月に彼の雅楽の新作『星霜』一、二を聴いたが、自然を繊細かつ壮大に研ぎ澄まされた感性で表現し素晴らしかった。電子音楽を生で聴くのは初めてなので楽しみでたまらない」とコメントしている。入場料は25ドル。チケット・詳細はウェブサイトhttps://www.kismithgallery.com/events-2を参照する。

中堀海都

1989年千葉県生まれ。武満徹の音楽に感銘を受け、14歳より作曲を始める。日本の雅楽と西洋の前衛音楽の影響を強く受けており、一音の中に内包される様々な音に目を向け、「スペースタイム・ミュージック」の概念を提唱する。2015年に国際連合本部にて《富士山の頂》などの作品を指揮、発表する。以降、17年のゲーテ・インスティトゥート委嘱の《螢火》、18年の京都芸術センター委嘱の《砂紋》、19年の日本・ハンガリー国交樹立100周年記念コンサートにおける東京文化会館委嘱の《二つの異なる絵》、20年の豊岡演劇祭委嘱のシアターオペラ《零》(脚本・演出、平田オリザ)、21年のロワイヨモン財団委嘱・フランス国立音響音楽研究所製作協力の《無数の井戸》、22年の武生国際音楽祭委嘱の《深淵》(アルディッティ・カルテット献呈作品)といった作品で、国際的に高い評価を得ている。ブライアン・M・イスラエル賞、インプロンタ・アンサンブル作曲コンクール第1位を受賞。ローマ日本文化会館、コロンビア国立大学、東京音楽大学、広島市立大学などでの講演など、活動は多岐にわたる。

40+女の人生 「バツ2」ではなく「丸2」と呼びたい理由

第3話 ニューヨークで気づいた、私が「バツ2」ではなく「丸2」と呼びたい理由

 ニューヨークの友人に「日本では離婚経験者をバツイチと呼ぶ」と話したときのこと。その友人は、誰もが振り返るようなオーラを放つ映画女優、L。彼女は端正な顔立ちと大胆なファッションで知られ、ヨーロッパ出身ながらハリウッドの頂点に君臨するスターです。最近では、ある国際的な映画祭で主演女優賞を受賞し、雑誌の表紙を飾ったばかり。ニューヨーク滞在中には、アッパーイーストサイドのペントハウスからソーホーの隠れ家カフェまで、彼女が訪れる場所が話題になるほどの存在感を持っています。

 その日、ダウンタウンのアートギャラリーで行われたプライベートビューイングに参加したときのことでした。作品を眺めながら、「日本では離婚経験者をバツイチと呼ぶ」と話すと、彼女は細長い指でワイングラスを回しながら、フランス語混じりの英語でこう言いました。「バツ?なぜそんなネガティブな表現を?離婚は新しい自分を見つける旅の始まりでしょ?」と、まるでスクリーンから飛び出してきたかのような優雅な口調で返してきたのです。

 実は、この「丸2」という言葉を最初に耳にしたのは、私が尊敬し、会話を楽しむある男性の友人とのやり取りでした。彼はニューヨークのビジネス界で活躍し、知的でユーモアに溢れる人。常に新しい視点を与えてくれるその存在は、私にとって大きな刺激です。その彼が、「バツではなく丸でしょ」とさらりと話した一言に、私は心を打たれました。それは、人生を肯定的に捉える、彼らしい優しさと哲学の表れでした。その後、このアイデアを友人女優のLにぶつけてみたのです。

 「丸1」が最初の結婚なら、「丸2」は新しい学びと経験が加わった人生。女優Lにそう伝えると、彼女は微笑みながら、「それこそ、私が言いたかったことよ」と。離婚を通じて得た強さや柔軟性を象徴するこの言葉は、ニューヨークの多様性と再出発への前向きな姿勢と響き合っているのだと感じました。

 一方で、日本には素晴らしい文化があります。厳しさや規律を守る姿勢、家族や社会の絆を大切にする価値観。それらがあるからこそ、夜でも安心して歩ける安全な街が形成されているのです。私はその日本文化を深く尊敬しています。そして、その文化が背景にあるからこそ、「バツイチ」という言葉には重みがあり、責任感の現れでもあるのだと思います。ただ、時にその言葉が過去の経験を否定的に捉える側面を持つことも事実かもしれません。

 ニューヨークは、多様性が息づく街。この街では、過去の経験を「良い」「悪い」と単純にラベル付けすることはなく、そこから何を学び、どのように生きていくかが問われる。たとえば、混血の人々を「ハーフ」ではなく「複数」、マルチレイシャルと呼ぶ文化もその一例です。二つ以上の文化を持つことは、その人自身を豊かにし、アイデンティティの核となるものと考えられています。

 今思い出せば、別の日、ソーホーのカフェで再会した友人は、私がこれまでどのようにニューヨークでの生活に馴染んできたかを尋ねてきました。「異国で成功するなんて、あなたの努力と情熱の証ね。特に、シングルマザーでアメリカに来て言葉も文化も違う中で成し遂げたのは、本当にすごいことよ」と、真剣な眼差しで言われました。その言葉に胸が熱くなり、ニューヨークという街で得た挑戦と成長の意味を改めて考えさせられました。彼女の視点には、この街ならではの多様性への尊重と、人の物語を讃える温かさが感じられました。

 ニューヨークで感じたのは、人々が過去を「欠点」ではなく「ストーリー」として語る姿勢です。離婚も異なる文化のバックグラウンドも、人生を豊かにする「丸」や「マルチ」として受け止められています。それは日本の文化とは異なる考え方ですが、お互いの価値観を理解し、尊重し合うことでより広い視野を持てるのだと感じます。

 過去の経験や自分の背景を「誇り」として捉え、新たなステージを「丸」や「マルチ」として描く。この視点は、より自由で豊かな人生への扉を開いてくれるかもしれません。ニューヨークの街角で名もなきストリートアートを眺めるような気持ちで、自分の人生にも新たな「丸」と「ダブル」を見つけてみませんか?

藤田カンナ

美容クリニック「Re:forma」と「Kirei House」代表として日本の美の哲学と、米国および世界中から取り入れた先進的な技術を融合させ、心身の調和を重視した総合的な美容と健康ケアを提供。女性の健康をサポートするために開発、Femtechアワードを受賞した幹細胞製品の米国代表。KAATSUスペシャリスト認定資格およびインテグレーティブ・ニュートリション認定ヘルスコーチの資格を持ち、コロンビア大学で学んだビジネスと経営の知識を活かし、事業運営や顧客サービスにおいて、常に最先端のアプローチを追求している。

【今週の紙面の主なニュース】(2025年1月1日号)

 (1)日本語大好きアメリカ人 1~21面

(2)新しい年にあたり日本の地方を考える 4面

(3)入国審査厳しくなる可能性 4面

(4)日本人の英語力 世界92位の衝撃 5面

(5)21世紀のニュー・ディール政策 24面

(6)NYが生んだ奇才 依田洋一朗 29面

(7)米語Wachで振り返る2024年 38面

(8)ダコタハウスの大晦日  ニューヨークの魔法 39面

(9)北海道から直送 雲丹の最高峰 43面

(10)自分の世界取り戻す時間NYで  岩田華怜さん  NYウーマン 55面

日本語「大好き」アメリカ人

日本語コースある大学
ただ今全米に113校


裏千家茶の湯センターの協力で、日本語を学ぶ学生たちが中心となって開催した茶道のお手前(12月3日、ハンターカレッジで)

 いま北米で日本語を学んでいる日本人以外の人は約17万人いる(国際交流基金調べ)。また日本語を教える教育機関は米国内に1241か所あり、日本語コースのある大学は全米で私立公立合わせて113大学に及んでいる。

 日本語教師の数も全米で約4100人に上り、公立高校で日本語の授業をしている学校もあり、日本語に限定せず、日本文化、東アジア研究の大学機関まで入れると相当数に上るものと思われる。

 本紙新年号では、そんなアメリカで日本語を学ぶ人たちの実像を追い、日本語がなぜ米国の若者たちを惹きつけているのかをテーマに特集した。 

日本語学習ブーム  NY最前線の現状

若者が「日本文化に魅力」
新聞記事も大学で教材に使用


本紙の「週刊やさしいにほんご生活」の記事を教材に授業する日本語日本文化科の学生たち(10月27日)

 日本のアニメや漫画、J-POPなどの人気で、日本語を学ぶ外国人が増えている。国際交流基金が2021年度に実施した、「海外日本語教育機関調査」の結果報告書によれば、カナダを含む北米での日本語を学ぶ学習者数は17万9695人で、その内米国では16万1402人。日本語を教える教育機関数は北米で1372校、米国内には1241校ある。日本語学習の目的では、「アニメ・漫画・J-POP・ ファッションなどへの興味」が特に高く、北米においては92・1%を占めているほか、「日本語そのものへの興味」が82・2%、「歴史・文学・芸術等への関心」 が81・9%と3項目が8割を超えて多く回答されている。ニューヨークで、日本語を教えている教育機関であるジャパン・ソサエティー(JS)の日本語プログラムの担当者に日本語を学ぶ学生の現状について、そしてコロンビア大学の日本語教育プログラムで日本語を学んでいる学生に話を聞いた。       (石黒かおる、写真も)

ハンターカレッジ
日本語日本文化科を設立

 ニューヨーク市立大学のハンターカレッジに最初の日本語クラスができたのは1996年。一昨年日本語日本文化科として語学学科が新設された。現在初級261人、中級154人、上級25人、選択小目(食文化、語用論、講師養成)30人の計470人が登録している。

  マーヤン・バルカン日本語日本文化科長のクラスは日本語を学び始めて2年と2か月、5学期目 (上級レベル1)の学生を担当し、授業では古川明代副科長と共に本紙・週刊NY生活で掲載している「週刊やさしいにほんご生活」の欄を授業で活用している。

 10月27日、同記事が初めて日本語授業の教材として使われた。当日授業で使われた記事は、日本食のマナーや敬語の使い方、「七転び八起き」という日本に古くからある諺に関するもので、授業の中でわかりやすく解説された。

 バルカンさんは「日本語を教える上で文法やひらがな、カタカナだけでなく、相槌を打ったり、自分から挨拶するという日本独特の文化的背景が日本語を使ったコミュニケーションには大切だ」という。

 2月12日には、これまで国連国際学校で開催されてきた日本語を学ぶ近郊公立高校約300人余りが参加する春祭りがハンターカレッジに場所を変えて開催される。

 古川さんは「ハンターは公立大学なので公立高校の生徒たちが将来受験する可能性が高く、大学の雰囲気を事前に知る上でも生徒に役立ち、また大学と高校の日本語教育の連携にもつながる」と話す。

 同大では日本語学科の学生が中心になって作成した現代日本語劇・岸田理生の「糸地獄」を1月30日から2月1日まで同大ケイ・プレイハウスで上演するなプログラムが目白押しだ。

ジャパン・ソサエティー
過去最高の履修登録者


使用する教科書を手にする中西先生

 お話しを伺った日本語プログラムの中西真美先生は、2010年からJSで日本語を教えている。プログラムはレベル1から13まである。レベル1ではひらがなと動詞、レベル2ではカタカナと過去形、レベル3では漢字とフォーマルなスピーチ、レベル4では否定形などと順を追って学んでいく。

 コースは春学期が1月から4月までの10週間で文法を習い、4月に5週間の会話クラス。5月末から8月初めまで夏学期(10週間、文法)、8月に5週間の会話コース、9月末から12月始めまで秋学期(10週間、文法)、12月中旬から1月半ばまで5週間の会話コースとなっている。1クラスは10人から20人程度。現在、全クラスで約1000人の生徒がいるそうで、特にパンデミックの後は、ウエイティング・リストにキャンセル待ちの人がいるほどで、2024年の秋はJS始まって以来のブレイキング・レコードとなる日本語クラスの申し込みがあった。

 「パンデミックも終わり、日本に旅行ができるようになり円安も拍車をかけた、日本食大好き! 日本に行っておいしいお寿司が食べたい! と日本語を習いたい人が増えた」と中西先生。パンデミック前は80代の生徒さんもいて年配の人が多かったが、パンデミック以後は、10代や20代の若い人も増えて生徒の平均年齢は約30歳代だという。目的もパンデミック前は日本の会社に勤めているので日本語を学びたいなど仕事がらみや日本映画が好き、日本文化が好きなどの理由が多かったが、パンデミック以後は日本のアニメや漫画、任天堂のゲームが好き、日本に行ってゲームセンターで遊びたい、秋葉原のメイド・カフェに行きたいなど、日本オタクで日本語を学びたいという人が増えたと話す。生徒の中にはメイド・カフェのメイドのような服を着て授業に来た人もいた。

 リモート・ワークも可能になり、日本で日本企業に勤めながらオンラインでJSの日本語クラスに日本から参加している米国人の生徒もいる。また、パンデミック以後は米国の会社を退職したら日本の田舎に移住して、古民家を改築して住みたいと話す生徒さんもいるという。

コロンビア大学
曖昧表現や食文化も学ぶ


教科書を手にするワングさん

 コロンビア大学の日本語教育プログラムで学んでいるリサ・ワングさんはコロンビア大学の傘下にある全米でも最難関の女子大バーナード・カレッジの4年生。最初の2年は、NY州のハミルトンにあるコルゲート大学で学んだ後、バーナード・カレッジに編入した。コルゲート大学で初めて日本語を学び始めたというワングさん。コルゲート大学の日本語プログラムは少人数でクラスの生徒は10人ほど。クラス・ルームは畳の部屋で靴を脱いで部屋に入り勉強した。ひらがな、カタカナから学び、日本の古典文学「源氏物語」を読んだり、アニメーション映画「かぐや姫の物語」の映画鑑賞、茶道の実践などの授業を通して日本文化を学んだ。

 バーナード・カレッジに編入してからもコロンビア大学で日本語教育プログラムを取っている。バーナード・カレッジはコロンビア大学の傘下にあるため、コロンビア大学の授業も取ることができる。日本語クラスはレベル1から5まであり、レベル5になるとネイティブ・レベルの日本語が要求される。試験にパスしないと上のレベルには進めない。現在、ワングさんは日本語レベル3のクラス。レベル3では「曖昧表現」を習っている。

 米国では「YES」か「NO」の表現だが、日本人は良く「曖昧」な表現をする。日本の食文化についても学ぶ。なぜ、味噌汁が日常的に飲まれるようになったのか、「味噌汁の歴史」を学んだ。映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督、2008年)をクラスで鑑賞し、日本では亡くなった人の体を清め、化粧をして葬るのを知って驚いた。中国の埋葬の仕方とは全く異なっていた。映画鑑賞後、クラスで日本の文化についてディスカッションをした。また、曽野綾子の中吊り小説「帰る」を読みクラスで語りあった。「帰る」は帰る場所があるのはいいことだという「帰る」をテーマとしたストーリー。ある男性の妻が、35歳の時に脳溢血で倒れ、それ以来23年間、寝たきりで病院に入院している。妻は58歳に、夫は59歳になった。男性は仕事を終えた後、毎日、病院に立ち寄り妻を見舞ってから明かりのついてない自分の家に帰るという話だ。そして「帰る」をテーマにした自分のエッセイを日本語で書く課題も出た。

 ワングさんのクラスは約10人で、その半数が中国人だという。クラスメイトの中には日本の漫画やアニメで展開されている「呪術廻戦」や「進撃の巨人」が好きで日本語に興味を持ったという人いるそうだが、ワングさんの場合は違う。

 ワングさんが日本語を学ぼうと思ったのは、父親が日本企業に勤めていて日本語を身近に耳にしていたからだった。幼いころから父親は日本と中国を行き来していた。父親が日本語を話すのを聞いたり、父親の同僚が家に来て父親と日本語で会話するのを聞いていて日本語に興味を持った。5歳の時に日本に行きディズニーランドと温泉に行った楽しかった思い出もある。コロンビア大学で学士号を取得して卒業したら、日本に留学して大学院は東京大学か京都大学で経済学を学びたいと話す。そして将来は、日本の企業で働きたいと目を輝かせていた。

*中吊り小説は、90年代初頭にJR東日本の中吊りに連載された19編の人気作家による短編小説。


漢字検定1級に合格

12年前に非漢字圏育ちで初めて

ブレット・メイヤーさん

 ブレット・メイヤーさん(42)はニュージャージー州出身で現在静岡県在住。高校時代にアニメにハマったきっかけで漢字を独学し、2012年に非漢字圏育ちで初めて日本漢字能力検定1級に合格した。続けて日本文化の隅々まで探検し、漢字教育士や滑舌認定講師、日本茶インストラクター、茶手揉技師教師補などさまざまな資格を取得。現在は日本でラジオやテレビに出演しながら、国内外の教育機関で漢字や日本茶などの分野で講座を開催している。

 「子供の頃パズルが好きで、漢字には「へん」など部首の組み合わせとヒエログリフのような象形文字の要素があって、パズルのように組み合わせて文字ができている。一つの文字に深い意味や歴史までもが含まれているのが楽しかった。絵を描くのは好きで上手ではないけれど、漢字なら自分の手で書けるアートだと思った」と言う。漢字検定2級は2136の常用漢字、準1級は常用漢字+人名漢字合わせた3000字、1級は「ドンと難しくなって」倍の6000字が対象で、新字体と旧字体、日本と中国の古典に出てくる漢字が含まれる。現在六法全書を読んでいて、次は日本の司法試験にも挑戦したいそうだ。   (三浦)

日本のお正月

たのしい遊びと行事やしきたり


 新しい年の始まりを祝う行事は世界各地で行われていますが、日本では「正月」といって1年で最も重要な行事です。お正月行事には、日本人が自然を畏れ敬いながら暮らしてきた農耕民族であることによる精神性とともに、米を最も大切な作物としていることなどが受け継がれています。なお、1月を「正月」というのは、「正」という漢字に、年の初め、年が改まるという意味があるからです。みなさまの2025年が幸多いものでありますように。               (絵と文/平田恵子)

西暦2025年は、令和7年、へび年

 西暦2025年は、和暦では令和7年、干支ではへび年です。新しい年の干支は1年の守り神であり、それを敬うことで時の運に恵まれると考えられています。そのため年賀状や新年ポスターのデザインでは、へびの絵が多く登場しているのです。蛇は、脱皮を繰り返して成長することから、再生や成長運の意味をもちます。また、金運の神である弁財天の使いなので、金運を上げるパワーがあります。そもそも干支とは、古代中国でつくられた暦を元にして、アジアの漢字文化圏に広がった順番の表示方法です。かつては方角や時間も示しましたが、現在は年号の補足や生まれ年の表示によく使われます。これを十二支といい、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種の動物で構成されます。それぞれの動物がもつ特性に応じて、その年の傾向やその年生まれの人の動向指針に反映されたりする傾向があります。

■初詣

初詣は1年の幸福を祈るお正月行事        

 初詣は、これから始まる新しい1年の幸運を祈る行事です。「初」は初めて、「詣」は寺社にお参りするという意味。つまり、身なりを整えて神社〈日本古来の神を祀る神道の宗教施設〉にお参りし、平和に正月を迎えることができた感謝と、「本年もお見守りください」との祈りを捧げる行事です。昔は、 

 大晦日の夜から元旦にいたる新年の第一夜は家族そろって自宅で年神さまをお迎えしていました。やがて、その年の幸運をもたらす方角にある神社にお参りするようになったのが初詣の始まりです。

 お参りの作法は、神社の敷地内にある手水舎と呼ぶ手洗い場で、手を洗い口もすすぎます。これで神の前に出る体が清められます。神殿でお賽銭を入れ、鐘を鳴らします。鐘を鳴らすのは自分の存在を神に伝ええるため。続いて礼を2回、拍手を2回。次にお祈りをして、礼を1回して終わり。この参拝の手順を「二礼、二拍、手一礼」といいます。

 とにかく日本人は初詣を済ませると、1年が平安に過ごせる穏やかな気持ちになります。

■門松

門松は、年神さまへの目印  

 昔の日本人は、新年になるとその1年の幸福を運んでくる「年神さま」という神が、全ての家庭を訪れると考えていました。この神さまは、仏教の神ではなく日本古来の宗教である神道の神です。農耕民族である日本人にとって年神さまは、幸福の神であり豊作をもたらす米づくりの神のことを言います。この年神さまが天から下界に降りてくるときに、迷わないように目印になるのが家の前に立てる「門松」です。主な部材は、松と竹と梅、稲です。松は、冬でも枯れない生命力があり寿命が長いので「平安」と「長寿」の意味があります。竹は、成長が早いこと地下茎を広げて新株を次々と出していくことから「繁栄」が託されています。「梅」は、雪の中でも花を咲かせる「強さと美しさ」を表しています。「稲」は主食。年神さまを「門松」で迎えて、お正月期間を、おめでたくおだやかに過ごす意味があります。NYの日系の会社やレストランでも、入口前に門松を置いているところが多いと思います。

■しめ縄

しめ縄は、家を守る魔除け 

 「門松」と並んで大切なお正月飾りが「しめ縄」です。お正月に大がかりな「門松」を立てない家はあっても、ほとんどの家では「しめ縄」を玄関ドア上に飾っています。主要な材料は、秋の稲刈りの時にとっておいた稲の茎をねじり締めてつくった縄です。これに、幸運をもたらす縁起のよいものを組み合わせています。なかでもダイダイという柑橘類は代代にわたり家が続くという同音から、繁栄の意味があり、しめ縄には欠かせません。もともと「しめ縄」は、神道で用いる境界線を引く縄張りから簡略化されたもので、諸悪うずまく世間と神聖な場所を区切る意味があります。そのため玄関に飾ることで、家の中は清浄な空間となり、年神さまをお迎えするにふさわしい場所になるというわけです。とくに「しめ縄」には神威によって鬼を退散させる力があるため、病気や災難をもたらす魔物は家に入ることができないのです。キリスト教文化でいえば、ドラキュラは十字架や聖水など聖なるものが苦手であることに似ているかもしれません。

■書き初め

書き初めは、文字・知性の向上行事 

 1年のはじまりであるお正月には、「初」がつく言葉が多くなっています。「初」は「最初の」という意味で、「初詣」「書き初め」「初日の出」「初夢」などがあります。とくに茶道・書道などの稽古ごとは、一月二日から始めると上達するといわれ、「書き初め」は書道の稽古をその年に初めて行うことです。歴史は古く、もともとは平安時代(8〜12世紀)の宮中で貴族が行った「吉書の奏」という行事を始まりとしています。やがて江戸時代(17〜19世紀)には庶民も読み書きができるようになり、正月行事として広まりました。

 昔の日本人は、墨と毛筆を用いて文字を書いていました。手書き文字は人柄や教養を示すので「書き初め」は知性の象徴となる「文字の上達」を願って行われていたのです。現代はパソコンやスマホなどで活字が多く使われますが、1年の希望や大切にしている言葉を毛筆で力強く書き上げて、知性向上の願いとともに書に託した自分の決意を表しています。

■凧あげ

運勢もあげる「凧あげ」。男の子のお正月遊び

  お正月は日本人にとって最もおめでたい行事なので、お正月ならではのたのしく縁起のよい遊びがいろいろあります。男の子の代表的な遊びが「凧あげ」です。歴史は古く、平安時代(8〜12世紀)に中国から貴族の遊びとして伝わりました。やがて平和が長く続いた江戸時代には、年の初めに男の子の誕生祝いとして凧をあげる儀式として行われました。凧が大空にぐんぐんと高くのぼっていく勇ましいようすを、子供の健やかな成長に重ねたものです。風の強さと糸のあやつり方の関係で凧がより高くあがったり、風に乗ってより長く空を舞い続けるおもしろさから子供も大人も夢中になりました。「けんか凧」といって凧同士相手の糸を切りあう遊びもあります。このほか、武家に仕える奴とよぶ奉公人が両手を広げた「奴凧」も江戸時代から続いている人気の絵柄です。

■お節料理

お節料理は、新年の祝い膳   

「お節」とは「お節供」を短くしたもので、神さまの食事のこと。日本人にとって正月が最も重要な行事であるため、正月のお祝い料理を「お節料理」と呼ぶようになりました。お節料理は、その年の幸せをもたらす年神さまへのお供えものです。お供え後に、これをおさがりとしていただくことで、神さまの霊力をわけてもらい、家族が1年を生き抜く力を授かることができるというものです。代表的な料理は、昆布巻き=よろこぶの音合わせ、黒豆=「まめ」には健康の意味があり元気に暮らす願い、数の子=ニシン魚卵のことで数が多いので子孫繁栄、エビ=腰が曲がるまで長寿の願いが託されています。また、用意される「祝い箸」は、柳でできており苦難にあってもしなやかで折れない強さを表します。

■はねつき

健やかさを祈る「はねつき」は、女の子のお正月遊び

 最近はあまり見かけませんが、かつて女の子の代表的なお正月遊びが「はねつき」でした。「はねつき」は、羽子板という飾り絵のついた木製ラケットで、羽根がついた玉を空中に打ち上げてお互いに打ち合います。打ちそこなって玉を地面に落とした方が負け。負けると顔に墨を塗られるというルールがあり、これは魔除けに通じるものでした。もともと「はねつき」は遊びではなく、お正月の宮中行事でその年の占いと魔除けとして行われていました。羽根がついた玉は、蚊を食べるトンボの姿に似せた縁起もので、子供の病気を引き起こす蚊にさされないよう、無事に成長するおまじないになっていました。羽根につかう黒い玉は「ムクロジ」という植物の種で、漢字では無患子と書いて、子供が病気を患わないという意味があります。同時に、女の子が美しい晴れ着姿で行う「はねつき」は、おめでたいお正月の雰囲気を盛り上げる効果もありました。


日本のお正月とマナー

■新年の挨拶

新年の挨拶

「今年も宜しくお願いします」(ことしもよろしくおねがいします)

 新年の挨拶として日本では1月15日ぐらいまで「明けましておめでうございます」と言います。これは” happy new year”と同じ意味です。ただし、日本語ではそのあとにプラスして「今年も宜しくお願いします」が続きます。これは英語にはない表現で、前年に引き続き相手と良い関係を継続したいことを表す挨拶です。年賀状にも敬意を込めて書くことが多く、仕事関係者にも友人にも使えます。

おみくじ

 日本では新年に初めて神社や寺に参拝した後「おみくじ」を引いて運だめしをする習慣があります。吉凶で一年の運勢を見ますが「大吉」は最もラッキーで運がよく、願いの叶う一年になる。逆に「凶」は生活に注意が必要な時期で気持ちを引き締めること。他人のおみくじを覗き見るのはマナー違反。小さな紙には健康、恋愛、学業、旅行などへのアドバイスが短く書かれています。神様からのメッセージと考えて持ち帰ったり、神社の木の枝などに結ぶのが一般的です。

(長久保美奈、マナー講師) 

言葉の意味(ことばのいみ)

・継続 continuation 

・良い関係 good  relationship 

・年賀状 new year’s  card

・敬意を込めて wish respect

・おみくじ a paper fortune 

・初詣(新年初めて参拝する) hatsumoude

・参拝   worship 

・大吉 great blessing 

・凶 bad luck

・学業 school work

新しい年にあたり日本の地方を考える

 2024年元旦に起きた能登半島震災から1年が経過した。9月には豪雨災害にも見舞われる中、復興は遅々として進んでいない。年末の12月19日になってやっと、奥能登の動脈である国道249号線について、何とか年内に通行が可能となるという発表があった。復旧の前提となる幹線道路の開通に1年を要したのである。もっとも、完全な復旧ではなく、迂回区間は残るし、緊急車両などに限った通行となる箇所もあるという。驚いたことに、断水もまだ完全に解消していない。

 これでは、奥能登という国土の一部が国から放棄されていると言われても仕方がない。そこには、立憲民主党の米山隆一議員が震災直後にネットでの論争で「集団移住も選択肢」と述べ、多くの都市の有権者が共感したという問題がある。こうした現象を受けて、財政規律も意識しながら能登へ割くリソースに枠がはめられたのは想像に難くない。それにしても、国道と水道が1年経っても完全復旧できないというのは言語道断だ。日本の地方はそこまで切り捨てられようとしている。

 時の流れは残酷であり、早くも2025年が幕を開けた。日本の歴史で言えば、戦後80年が経過したわけだが、それは団塊世代が80歳の大台に乗りつつあるということも意味する。大きな人口の塊が経済活動の現場からは静かに退場していったのである。労働人口は坂道を転げ落ちるように減っていき、規模の経済も比較級数的に損なわれつつある。敏感な資本や人材はすでに海の向こうへ去っていった。

 そんな中で、もう地方に割くカネはない。いっそ人口は地方から都会へ集約していくほうが、行政コストは抑えられる、そんな議論が大手を振ってまかり通っている。移住者に冷たく、特に高学歴の女性には機会を与えない地方財界などは、滅んでも誰も同情しないのかもしれない。誰もが「コスパ」を語る時代、人もモノもカネも都市に集中させるほうが効率的という意見はジワジワと拡大している。

 結論から申し上げれば、これは間違っていると思う。

 何よりも日本という国家は、徳川政権が戦国大名との和解により間接支配によって全国を統治したことで成立した。そのため、小国ながらも多様性を抱え、これを強みとしてきた。峠を越えればお国言葉が違い、甘味から酒肴に至る食文化も全く違う。この多様性がコミュニティの結束を高め、付加価値生産の原動力となっていた。その徳川政権は黒船によって滅んだのでなく、米本位制度に固執して財政破綻する中で、西国雄藩のダイナミックな経済力に圧倒されたのであった。人材や資金力という意味で、当時の地方、具体的には薩長土肥という勢力は代替可能な統治能力を有していたのである。明治維新においては、地方が国を救ったのであった。

 この法則は現在にも当てはまる。欧米の真似も十分にできない東京は、シンガポールやソウルに追い越されても、屈辱や奮起も感じない中で世界的には沈みつつある。そんな中で、日本文化の価値は外国の消費者によって再評価が進み、その対象は全国に広がっている。今こそ、地方が自らの価値創造能力を再認識して、東京を経由することなく世界と相互に直結すべきだ。日本が衰退を克服して先進国経済の水準に留まることができるかどうかは、この点に掛かっていると言っても過言ではない。

 半世紀前に田中角栄は、産業の一極集中を避けて地方への分散による列島改造を説いた。当時は公害と地価高騰を拡散するとして散々批判されていたが、問題はそこではない。角栄の発想には知的、文化的な価値創造へという産業構造転換の思想が欠けていたのである。

 それはともかく、今、新しい年のスタートにあたり、すっかり衰退慣れした日本の経済社会を好転させるためにも、改めて地方にフォーカスする時期が来ている。DXにしても、ジェンダー平等にしても、地方が遅れている現状は問題外だ。改革という意味でも、地方が一気に東京を追い越し、その文化的深みを維持しながら韓国のように準英語圏に入ってダイレクトにグローバル経済にアクセスすべきだ。地方の改革は、日本再浮上の最後のチャンスではないか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)