編集後記 2022年 8月13日号

【編集後記】
 みなさん、こんにちは。私は毎週日曜日は、朝から自宅にこもって缶詰状態で深夜までのまる1日で、その週の新聞のレイアウトと見出し付けをしています。16ページの時はまあ余裕ですが、20ページの時はそれなりに腹をくくって真面目に取り組むわけです。で、今週日曜の朝、いつものようにコンピュータを立ち上げ、メールチェックからと思ったのですが、ネットが繋がらない。しかも携帯電話のアンテナのバーが1本だけで、時間が経つと「NO SERVISE」の表示が出て携帯電話が使えないことが分かりました。携帯電話のホットスポット機能を使ってネットに接続しているので、仕事がまったくできません。焦って会社から持ってきた書類や道具をカバンに入れて、ハリソンの駅に走って電車に飛び乗りマンハッタンへ。不思議なことにマンハッタンに近づいたら、電話はリカバー、全て普通に使えます。日曜日なのでAT&Tはお休み。グランドセントラル駅のマックストアの修理店ジェネティクスに駆け込んで携帯電話のアップデートだけしてもらい、不具合の理由がわからないまま締め切りの今日まで、3日間、自宅ではネットと電話が使えない状態が今も続いています。久々に会社だけで仕事して紙面を作りましたが、家に帰っても寝るだけしかできないので、まあむしろ健全かなと。死ぬ訳じゃないし、いつかなんとかなるだろうと思ってネットで検索したら、やっぱり、ウエストチェスター全域でAT&Tの通信障害が2日前から発生しているとのことです。説明によるとニューヨーク州ホワイトプレーンズの過去24時間におけるAT&Tの問題として、苦情をグラフに示して、White Plainsとその近辺のユーザーから過去24時間に寄せられたAT&Tに関する報告数を示しています。赤い線で表される基準値よりも報告数が多い場合に(実際に多い)障害発生と判断しているとのこと。42%  がインターネット、37%が電話の障害。本日、10日現在まだ影響を受けているのは以下の町です。原因はここ数日の熱波による通信基地のオーバーヒートのようです。The most recent outage reports and issues originated from Larchmont, Harrison, The Bronx, Purchase, Stamford, Mamaroneck, Manhattan, Pleasantville, White Plains, Scarsdale, Bronxville, Tenafly and Greenwich. 私の住んでいるハリソンもしっかり入ってますねー。朝、携帯が繋がらないと言って、プラットホームで呆然と空を見上げていたアメリカ人通勤客が何人もいましたね。いったいいつになったら直るのでしょうか。今の時代、ネットと電話がつながらないと、陸の孤島です。ラインもできません。こんな状態で作った今週号ですが、逆に緊張感があったせいか、紙面は割と盛りだくさんです。来週の今日には問題が解決していますように。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2022年8月13日号)

(1)被爆者は語る NY各所で追悼・平和集会 

(2)ウルトラマンNY参上 樋口監督と西野さん挨拶

(3)今度はクリムト展 没入型アートNYで

(4)岸田総理はニューヨーカー あめりか時評 

(5)被爆証言地図を紹介 東大NYオフィスで

(6)新生レストラン日本を背負って 木下直樹さん

(7)続。命のビザ英語版 北出明さん出版

(8)軽度発達障害に理解を ミス10代で来米の鈴木さん

(9)ハーレムのガーデンアート  高氏奈津樹さん演出

(10)第2回ジャパンビレッジ夏祭り 27日に盆踊りや御神輿

ウルトラマンNY参上

NYアジア映画祭で樋口監督と西野氏来米

来米した樋口監督(左)と西野さん(7月23日、リンカーンセンターで、写真・三浦良一)

「困った時の神頼み」
日本人的な観念で生まれたヒーロー

 NYアジアン映画祭で「シン・ウルトラマン」(東宝)が上映され、樋口真嗣監督、プロデューサーの西野智也さんが来米した。

 樋口監督は「オリジナルのウルトラマンが放送された60年代、子供の目から見た未来があった。当時はビデオがなく、記憶力だけを頼りにクラスメートの前で話すのが楽しかった」と創作の原点に触れた。今回の作品を作るに当たっては、脚本を作る前に、ウルトラマンの初代のスーツアクターだった古谷敏さんの体型を3Dでコピーするところから始めたという。作品自体もジオラマを作っての特撮は3シーンだけで、あとは全てCG撮影だという。ウルトラマンは、ゴジラと違い、60年代にリアルタイムで米国でテレビ放映されていないことから知名度は米国では低い。「日本人は困った時の神頼みで、ウルトラマンのように誰かがどこからか助けに来てくれるという他力本願的な願望がある。それがアメリカで受け入れられるか心配」と上映前語っていたが舞台挨拶で会場から満場の拍手を受け「感動した」と笑顔で応えた。ウルトラマンの映画を作りたいと東宝に入社したという西野さんは「アメリカで劇場公開できるかどうかは皆さんのSNSでの応援にかかってます。よろしくお願いします」とウルトラマンを売り込んだ。

被爆者は語る

NY市内各所で追悼・平和集会

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれているニューヨークで5日、広島原爆の日に合わせ、犠牲者を追悼する催しが市内各所であった。昼には、ニューヨーク日本総領事館が入居するビルの前のパーク街で市民集会が開かれた。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長が自らの被爆体験を語った。スピーチの内容は次の通り。

 皆様こんにちは、私は佐久間邦彦と申します。私は生後9か月の時、広島で被爆しました。私が被爆したのは爆心地から西方3キロメートルの己斐町でした。私の家は平家の木造家屋でした。裏側は山で私は爆心と反対側の縁側で寝ていました。母は洗濯をしていました。突然閃光が走り、近くに焼夷弾が落ちたのではないかと思って周囲を見たそうです。別に何も変わった様子もなく、あれ、でもと思って私を背負って避難する途中黒い雨に遭遇しました。避難所は負傷した人達がいました。しばらくして自宅に帰ると、家の壁は崩れ落ち、窓ガラスが壊れ散乱、屋根瓦も一部飛び散っていましたが、その後何とか住むことができました。ここまでは母から聞いた話です。私の家族は爆心地から離れていたところにいたのでなんとか生き残ることができたのです。当時広島市には35万人前後の人たちがいたと言われてますが、その年の末までには14万人前後の人たちが亡くなっています。たった1発の原爆のエネルギーは爆風、熱線、放射線となり広島市中心部は壊滅しました。生き残った人々もさまざまな形での原爆後遺症で苦しみ、その影響は今も続いています。各兵器は悪魔の兵器であり、絶対悪であり、非人道的なものであり、2度と使用されてはなりません。

「プーチン発言に驚き」
被団協の佐久間さん

 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長の被爆体験は次の通り。

     ◇

 私に記憶があるのは5歳か6歳の頃からです。当時よく扁桃腺が腫れ熱を出し、祖母に連れられ病院に行きました。私は栄養失調の中で育ちました。

 私は遠距離被爆なので原爆の影響は受けていないと思っていました。ところが11歳と12歳の時、2か月くらい続けて体調不良で学校を休みました。肝臓と腎臓を患い、ともに体がだるく、食欲がなくて子供ながらに死ぬのではないかと思いました。その後体調に不安を感じながらも中学、高校を終えて上京しましたが、被爆後20年あまり経ても被爆者に対する差別や偏見があることを感じ広島へ帰りました。

 私は現在、被爆者相談所で被爆に関する相談を受けています。その時必ず被爆当時のことを聞きます。相談者が数ある中で聞いていると私もそのような過酷で悲惨なところにいたのかと思うと、核兵器はなくさなければと考えるようになり、核兵器廃絶をめざす運動に参加するようになりました。

 ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用を示唆しました。本当に驚きました。5核保有国へ核軍縮をせまり、NPT再検討会議が一歩でも核兵器廃絶をめざす会議になればと思います。(スピーチは日本語で行われ通訳が英訳した)

核廃絶を訴える

NY日本総領事館前で日米市民

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれているニューヨークで5日、広島原爆の日に合わせ、犠牲者を追悼する催しが市内各所であった。昼には、ニューヨーク日本総領事館が入居するビルの前のパーク街で市民集会が開かれ、核廃絶と被爆者への追悼、原爆を日本に投下したことに対する米国市民からの謝罪が発表された=写真上=。集会では、楽器を演奏したり「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ」などと声を上げたりしながら、核廃絶を訴えた。

 日本総領事館前で集会をした理由について参加者は「日本が世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、米国の核の傘に守られ、NPTを批准していないことへの抗議の意味もある」と述べた。映画監督で平和活動家のアンソニー・ドノバンさんは「日本に大量殺戮兵器の原爆を落としたことを一アメリカ市民としてお詫びする」と謝罪の言葉を口にした。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長が自らの被爆体験を語った。

核兵器のない未来を

原爆投下時刻に鐘
第29回インターフェイス 平和の集いで追悼

スピーチする田上長崎市長(写真・三浦良一)

 宗派を超えて世界平和活動を行うNY平和ファウンデーション(中垣顕実会長)は5日午後6時から国連チャーチセンターで平和式典「第29回インターフェイス平和の集い=広島・長崎原爆犠牲者追悼(77周年)並びに平和祈念」を行なった。

 式典を通して、原爆、戦争の過去を振り返る中、再び同じ悲劇を起こさないよう、内外の平和を祈念し、すべての命を大切にする「核兵器のない」平和な社会の構築のメッセージを発信した。

 当日は、式典に長崎市の田上富久市長と日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の木戸季市事務局長(82)広島平和文化センターの小泉崇理事長ら約40人が参列。広島市長のメッセージをNY広島会会長の古本武司さんが代読した。このあと長崎の被爆者の木戸さんが自身の被爆体験を証言し、「核兵器は人々が生きた証をすべて奪ってしまった。人間らしく生きて死ぬことを実現するためには核兵器の廃絶しかない」と核兵器の非人道性を訴えた。

 パーフォーマンスは、オープニングを三線とボーカルのリノ・アイセ、ひろしま平和文化大使・原田真二、ソプラノ・服部愛生、歌舞伎役者・中村橋吾が「国連平和の鐘」をテーマにした演技、ダンサー・杉山奈穂子が華麗な舞いを披露した。最後に来場者たちはバーチャル広島原爆資料館ツアーを西前拓氏の解説で体験した。原爆投下時刻にあたる現地時間の午後7時15分を迎えると、田上市長と、小泉理事長、木戸事務局長が順番に鐘を鳴らし、原爆の犠牲者を追悼した。

今度はクリムト、没入型展覧会

NY市庁舎前で9月14日から

 オーストリアの画家グスタフ・クリムトの展覧会「ゴールド・イン・モーション」が、9月14日(水)から開催される。会場の壁に絵画作品を投影したデジタルアートで、ニューヨーク市内で昨年ゴッホ展を行ったジャンフランコ・イアヌッツィ氏が手がけるもの。クリムトの有名な絵画作品がオリジナルサウンドとともに、高さ約9メートルの壁に投影される予定で「ウィーンの画家の黄金色、官能的、革命的な芸術を巡るテーマ別の旅」が体験できるという。また、クリムトの後継者であるフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏による作品のデジタル上映や、絵画の実寸大展示もある。

 会場はダウンタウンにあるNY市庁舎の前にオープンする「Hall des Lumieres」(チャンバース通り49番地)で、1912年に建てられたエミグラント・インダストリアル・セービング銀行のビルを改装し、没入型アート展のための巨大施設となる。入場料は一般30ドル、65歳以上が28ドル、5〜16歳が15ドル。詳細は公式サイトhttps://www.halldeslumieres.com/を参照する。

(写真)公式インスタグラムから

岸田総理には「ニューヨーカー宣言」を期待

 8月1日に、岸田総理はニューヨークの国連本部で行われたNPT(核拡散防止条約)再検討会議で演説を行った。懸案となっている核禁条約へのオブザーバー参加の可能性について言及しなかったのは不満が残るが、被爆国として核廃絶を主張する立場を明確にしたことの意義は大きい。更に総理には、9月27日の安倍元総理の国葬の直前には、国連総会に出席のために再度ニューヨークに戻る予定がある。仮に、何らかの理由で国連総会への出席が不可能になった場合も、今後もニューヨーク出張は何度でもあるだろう。

 その際にお願いしたいことがある。それは岸田総理に「自分はニューヨーカーだ」と宣言していただくことである。理由は単純で、総理自身が小学校低学年の3年間、当時の通産官僚であった父親に帯同して、クイーンズ区の2つの学校に通ったという「縁」があるからだ。小学校の1年生から3年生の3年間を過ごしたというのは、ニューヨークの側から発想するならば、正に立派な「ニューヨーカー」ということになる。

 具体的には3つ提案がある。

 1つは、コロナ禍の後遺症に苦しむニューヨークへの連帯と支援ということだ。例えば、ニューヨークの飲食店など地域経済は、コロナ禍による休業などで苦しい経験をしており、今もまだ回復途上にある。また街の全体が現在でも治安や衛生状態の悪化に悩んでいる。こうした痛みに理解を示し、とりわけ「ポスト・コロナ」に向けて日本からの観光客来米への流れを作ることに支援をお願いしたい。

 2つ目は、ウォール街との関係を再構築することだ。バブル期には多くの金融機関がニューヨークに拠点を設けていたが、金融の本質を理解することなくほとんどが撤退した。日本が真剣に金融立国を志向するのであれば、改めて多くの若く優秀な人材を派遣して、今度こそ本物の国際金融、金融工学を学ばせるべきだ。最低でも1年半ぐらい、ウォール街の投資銀行や証券会社の最前線を経験すれば、「リスクの取れないというリスク」に縛られている日本の金融を改革する方向性を見出す人材は出て来ると思う。少なくとも、起業家の卵をシリコンバレーに送るより、日本のGDPにははるかにプラスになるだろう。

 3つ目は、他でもない岸田総理の「原点」であるクイーンズ区を「再訪」するということだ。半世紀以上前に岸田少年が通学したという2つの小学校を訪れ、改めてクイーンズ区の多様性を評価するとともに、コロナ禍の痛みを共有するというのは、それだけで日米関係に意義があると思う。特にクイーンズのアジア系住民を親日にするということは、今後のアジア外交を考えると重要だ。

 また、フラッシングはAOCことアレクサンドリア・オカシオコルテス議員の選挙区「NY14区」に属する。AOCは、若者に絶大な人気を誇る民主党左派のリーダーであり、国政における存在感は増すばかりだ。岸田総理のクイーンズ訪問を契機にAOCとの良好な関係を作りアピールすることは、いわば政治的先行投資として大いに国益に叶う。

 ちなみに、クイーンズの小学生であった時期に、岸田氏は「白人の女の子に手を繋ぐのを拒まれた」という経験があるという。報道によれば「すぐに自分が差別されていることに気づいた」そうで、「やや大仰に言えば、このことが、私が政治家を志した原点とも言えます」という発言もしている。1961年から63年の時点であれば、アジア系はまだ珍しく、対日感情も旧敵国という意識が残る時代であった。従ってこのことは驚くには当たらないが、日本の総理大臣がそのような「負のエピソード」を放置しているというのは国の威信に関わる。総領事館は手を尽くして、その「少女」を探し出し、岸田氏との和解のセレモニーを演出していただきたい。もしかしたら彼女の方も「差別行為への罪の意識」を原点として、その後は多様性への貢献という道を選んでいるかもしれない。そうなれば、いかにもニューヨークらしい美談にもなる。そもそも岸田氏はそういうことの出来る政治家であると思う。手間のかかる作業になるかもしれないが検討していただければと思う次第だ。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

被爆証言地図を作成

東大NYオフィスで企画展

大学院生らが来米

 東京大学大学院の渡邉英徳教授(情報デザイン、デジタルアーカイブ)の研究室が中心となって6日と7日、マンハッタンの同大学ニューヨークオフィスで「テクノロジーでつながる平和活動」と題する企画展を開催した。

 本企画展は、国連で開催中の核拡散防止条約の再検討会議にあわせて開催。渡邉教授の研究室で学ぶ大学院生ら5人が来米、広島と長崎の約300人の被爆者の証言記録を地図上に記したウェブサイト「ヒロシマ・アーカイブ」と「ナガサキ・アーカイブ」などを、大型モニター(リキッドギャラクシー)で映し出した。6日には木戸季市さんら被爆者3人が証言を伝え、実際に地図上で自分がいた場所を指し示して証言するなど、臨場感あふれる交流会となった。

 渡邉教授は、デジタルアーカイブを平和という文脈で活用するプロジェクトを数々手がけている。今年作成された「ウクライナ衛星画像マップ」では、より分かりやすい形で建物の被害状況が伝えられた。会場では「被爆者の高齢化で直接証言が聞けなくなっていくなか、次世代にとって非常に興味深いツール」「もっと多くの人に紹介してほしい」などの声が聞かれた。同研究室の取り組みはウェブサイトhttp:// labo.wtnv.jpで見ることができる。(小味かおる、写真も)

広島県呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍施設から尾木正己が撮影したきのこ雲 カラー化:渡邉英徳

新生レストラン日本を背負って

レストラン日本CEO最高経営責任者

木下 直樹さん

 ニューヨークの老舗、創業59年の「レストラン日本」の現オーナー、古屋昭代さんからの再度の復帰要請を受け、CEOとしてこのほど5年ぶりに戻ってきた。レストラン日本のかつての「名声」を取り戻し、「名店復活」の任を託されての再登板だ。創業者、故倉岡伸欣前社長の教えを継承する「新生レストラン日本」のスタートは、踏襲ではなく「第二の創業」だ。

 倉岡氏は、慶應義塾大学体育会剣道部主将だったが、木下さんは同じ慶大の体育会バレーボール部出身。主将を務めた身長1メートル85のジャンボサイズだ。「我々の時代は、大学卒業後は大半が大企業に就職。年功序列で昇進、昇給が保証され、定年まで勤めあげれば安定した生活が保証される。でもそれは本当に自分が求めている人生か」と自問した。出した結論は「安定を求めず、やりたい事にチャレンジしよう」だった。大学の先輩だった故松平康隆氏(日本バレーボール会元会長、ミュンヘンオリンピック全日本男子バレー金メダル監督)の推薦によりイラク・バクダッドで世界バレーボール連盟国際コーチ講習会に参加、公認コーチのライセンスを取得。1978年、大学卒業と同時に国際交流基金よりパキスタンに1年間派遣された。コーチ生活終了後、松平氏から慶應同窓のレストラン日本社長、倉岡氏を紹介され、ニューヨークへ。レストラン日本を運営するワコーインターナショナルコープに入社し社会人のスタートを切った。

 同期が日本で普通の企業に就職し、駐在員としてNYに赴任しても決して経験できない、政財界、スポーツ界、芸能界のトップと身近に接する機会を得て多くを学べたという。倉岡氏からは「常に一歩下がった態度でお客様に接し、謙虚でなければならない」、しかしだからと言って「決して卑屈になってはいけない。プライドを持て」と教えられた。

 「新生レストラン日本」が目指す方向性は、老舗の名前にあぐらをかくのではなく、常に新しいものを目指す挑戦者たれだ。それは、時代の流れ、お客様のニーズを先取りし、それを料理に反映させること。お馴染みの伝統的江戸前に加え、地球に優しく、食物アレルギーのある人にも配慮した健康食「美味しいビーガン料理」の導入だ。ビーガン対応メニューの導入により、新しくビーガン客を呼び込み、客層の間口を広げる。「日本食には世界に冠たる精進料理の長い歴史があります。アメリカ人客への啓蒙にも努めたい」と意気込みを見せる。「お客様が帰り際に、笑顔で『サンキュー、美味しかったよ、また来るね!』と言ってもらえる店を目指します」と笑顔を見せる。天国から倉岡氏の「頼んだよ、ジャンボ。いいね!」という声が聞こえる。

(三浦良一記者、写真も)

「続・命のビザ」英語版

北出 明・著 キャッツ邦子・訳
Academic Studies Press・刊

 本紙の今年の新年特別号で、第二次世界大戦中に「命のビザ」を発給して多くのユダヤ人を救った日本人外交官、杉原千畝について特集した。「命のビザ」に関連したテーマで2010年から調査・執筆・講演活動を行ってきた北出明さんが、2012年に出した前著『命のビザ、遥かなる旅路〜杉原千畝を陰で支えた日本人たち〜』の続編で一昨年11 月に出版された『続・命のビザ、遥かなる旅路〜7枚の写真とユダヤ人救出の外交官たち〜』の英語版がこのほど完成した。杉原千畝の名声は広く知れ渡っており、新聞、テレビ、映画、演劇などで取り上げられ、さながら「命のビザ」は彼の代名詞のようになっていたが、初出版から10年余りが過ぎた現在、国内外における杉原研究はさらに進み、彼に対する見方は徐々に変化してきていることも事実だ。

 北出さんについてもその傾向は否めず、ここ数年は「命のビザは杉原千畝一人ではない、ユダヤ人を救った外交官はほかにもいるのだ」との観点から調査・研究を行ってきた結果の続編、そして今回出たのがその英語版「EMERGING HEROES」(アカデミック・スタデーズ刊)だ。

 「在野の一介のフリーランス・ライターに過ぎませんが、私のささやかな努力が世界のユダヤ人コミュニティと日本人との友情の進展の一助になれば望外の幸せです」と著者の北出さんは謙遜する。昭和41年(1966年)に国際観光振興機構(JNTO)に入社した北出さんが、当時JTB(日本交通公社)から出向していた大迫辰雄さんと出会ったことが、命のビザとのそもそもの馴れ初めなのだ。

 ヨーロッパから難を逃れて日本の敦賀に渡ったユダヤ人たちを乗船勤務中に世話をしたという大迫さんが、ユダヤ人たちの写真の貼られたアルバムを大切に保管していたのだ。

 第二次世界大戦中にヨーロッパから逃げてきた7人のユダヤ人難民の写真と運命的な出会いをした北出氏は、彼らの物語を紹介するだけでなく、献身的に「命のビザ」を発給した何人もの外交官にもこの本で光を当てている。

 登場するのは、駐カナウス・オランダ領事のヤン・ツバルテンダイク氏、駐ウラジオストック領事代理の根井三郎氏、駐神戸オランダ領事、後に駐日オランダ大使となるN・A・J・デ・フォート氏、駐ソ連大使の建川美次氏、駐日ポーランド大使のタデウシュ・ロメル氏の4人。

 ヤン・ツバルテンダイク氏は、杉原千畝が発行するビザの後に控える渡航先であるオランダ領であったカリブ海上のキュラソー島入国ビザを発行した人物だ。北出さんは、ツバルテンダイク氏の次男、ロバートさんとアムステルダム郊外で面会した。「父がユダヤ難民を助けたのは人間としての博愛精神からであって、過度に功績を強調されることは望んでいなかったでしょう。しかし、その行為がまったく注目されていないことは残念なことです」と遺族としての複雑な思いを語る。ツバルテンダイク氏の功績は、母国ですら知られていなかったのだ。今回の英語版によってそれが彼の母国だけでなく世界中の人々の目に触れることになるだろう。(三浦)

軽度の発達障害への理解を求めて

ミス・ティーンズ環太平洋代表で来米

鈴木陽菜さん

 静岡県藤枝市に住む17歳の女子高校生、鈴木陽菜さんがテネシー州キングスポートで7月30日まで開催されたミスコンテストに出場し、ミス・ティーンズに環太平洋代表として参加した。日米、オーストラリアから最終選考に選ばれた22人が集まったその舞台で彼女が訴えたのは、社会貢献活動に取り組む10代の若者を支援することだった。このコンテスト自体が、社会貢献活動に取り組む10代の若者を支援するものだけに社会に対して自分が訴えたいことを表現する絶好の機会となった。

 陽菜さんの弟、大夢さんは14歳。大夢さんは小学4年生の時に、軽度の発達障害と診断を受けた。「私もつらかった。弟が、こんなに苦しんで部屋にこもり、外に出られない状況を見て苦しかった。軽度、グレーの発達障害は見た目には表れない。ちょっとできないことがあると『何でできないんだ』と叱られたり。軽度の発達障害の人にとってはやってもできないことも多くあって根性論でなんとかなる問題ではない」と痛感した。

 陽菜さんは高校入学後、弟の大夢さんの事を理解しようと、障害のある子どもたちが通う、放課後等デイサービスでボランティアを続けているという。

 「今、若い世代を変えることによって、これから多様性について理解できる社会をつくっていけると思う。それぞれの個性を受け入れる社会であってほしい」。

 陽菜さんは、そんな家族から学んだ大切なことを世界の舞台で伝えにやってきた。「大会で私が感じていることを同じ出場者たちに質問してみると、理解されない多くの人がいることが分かった」。軽度の発達障害は学習面にも影響するため、教師からはなかなか理解されないという現状があるという。

 将来は、子供たちの教育の中で、そういうことを理解できるような多様性のある教育関係の仕事に進みたいという。「どんな子供にも自分に合った場所がある。自分を理解して愛して、自分の得意分野で伸びていくことを目指すためには、自分分析も必要です」。帰国後は、自身の体験を広く伝えるために講演活動もしていきたいという。これからの日本を背負っていきそうな芯の強さを感じさせる頼もしい17歳だ。(三浦良一記者)

Photo: Josie Valdez

ハーレムのガーデン、アートと音楽イベント

高氏奈津樹の演出

 ニューヨークのコミュニティガーデンでアートや音楽イベントなどを主催し、地域へ貢献する意図で2020年に発足したザ・アーティスト・ガーデナー・NYC(The Artist Gardener NYC)の発起人でアーティストの高氏奈津樹が、ハーレムにて10月1日まで開催中の展示「 Echoes in Harlem」をキュレーションした。会場は、西132丁目コミュニティガーデン(132丁目108-114番地)。参加アーティストは、Morgen Christie、Sarah E.Brook、Linda Ganjian、Yvonne Shortt。毎週金・土・日曜の正午から午後7時 (雨天閉園)。

 20日(土)午後5時からは、ラリー・ローランド・プロジェクト(ラリー・ローランド、キヨコ・レイン、トミー・モリモトほか) によるライブミュージック、日没からはMorgenのサウンド&ビデオアートパフォーマンス「Inheritance」が行われる。

みんなで盆踊りと神輿担ぎ

第2回ジャパンビレッジ夏祭り

 ブルックリン区サンセットパークにある日本食と日本文化発信の複合施設「ジャパンビレッジ」で、27日(土)午後2時から6時まで、昨年に引き続き今年で2回目となる日本の夏祭りが開催される。

 イベントではまず第1部として、日本の伝統文化を紹介するさまざまなパフォーマンスを行う。ジャンボ折り紙の実演を披露する「タローズ折り紙スタジオ」、ニューヨークを拠点に独特な和洋折衷のビートの世界を表現する太鼓グループ「鼓舞」、海外を中心に日本文化を紹介する活動を行う三味線弾き語りシンガーソングライター「なつみゆず」、昨年ニューヨークで新しく誕生したよさこい踊りのグループ「紅玉」、迫力あふれるチャンバラショーで観客を魅了するヨシ天尾率いる殺陣軍団「サムライソードソウル」などが出演する。

 そして第2部では、実際に来場者も一緒に体験できる参加型の演目を用意。まずは、日本各地に伝承される踊りを研究しニューヨークで日本の伝統的な民族舞踊を紹介する「民舞座」が出演しさまざまな日本舞踊(民舞)を紹介。次に「炭坑節」や「東京音頭」など日本人なら誰でもなじみのある盆踊りを飛び入りの一般参加者も交えながら大勢で輪になって踊る。民舞座のプロの踊り手たちが踊り方を教えてくれるので、初めての人でも自由に参加し踊りを楽しめる。また、踊りの後は実際に日本の祭りに使用していた本格的な「神輿」が登場し、子供たちや一般参加者による貴重な神輿担ぎ体験を行う。そしてイベントの最後には、日本の夏の風物詩の行事でもある「こどもスイカ割り」を開催。割ったスイカは来場者に無料でふるまわれる。

 会場には、ヨーヨー釣り、スーパーボール&人形すくい、わたあめ、かき氷などの屋台が並び、日本の縁日でおなじみの「おめん」の販売などもある。その他、とうもろこし、焼きそば、ラムネなどの販売ブースも出店予定。当日、浴衣や甚平、着物を着て参加の子供たちには特典がある。

合田沙おり

 日本の夏祭りを象徴する出し物が盛りだくさん。子供連れ、家族世帯にぴったりな参加型のアットホームな無料イベントで、暑い夏を締めくくる日本文化紹介のお祭り行事となっている。司会は俳優・声優の合田沙おりさんが担当しイベントを盛り上げる。

 イベントの開催場所は、インダストリーシティ内サンライズマート・ブルックリン店(934 3rd Ave.)がある建物の奥の中庭。雨天の場合は、ジャパンビレッジ2階の屋内催事スペース「The Loft」に場所を移動して開催する。 主催はジャパンビレッジ、後援は国際交流基金ニューヨーク日本文化センター、協力団体および企業は、ブルックリン日系人家族会(BJAFA)、ブルックリン日本語学園、キッコーマンUSA、トキタ種苗、アムネットUSA、ジャパン・ソサエティなど。

 イベントに関する問い合わせは電話917・330・4880、またはEメールjvnatsumatsuri@gmail.com まで。詳細はウェブサイトwww.japanvillage.com

(写真)左上から時計回りに、タローズ折り紙スタジオ、鼓舞、なつみゆず、民舞座、サムライソードソウル、紅玉