9・11テロから満19年、続くNYの苦難

あめりか時評閑話休題 冷泉彰彦

 初秋の「あの日」から19年の歳月が過ぎた。今年も「あの日」と同じようにNYは寒暖の差の激しい季節を迎えている。ツインタワーがテロ被災し、相次いで倒壊した後、ノーマン峯田長官は全米上空を飛行中の民間機に全て緊急着陸を命じた。また、NYのジュリアーニ市長は14丁目以南を一切立入禁止とした。飛行機雲が消え、クリスタルブルーと言われた澄み切った空には喪失と死のイメージが広がっていた。

 喪われたものは人命だけでなく、90年代のグローバル経済だった。冷戦の終結による平和と国際協調の時代を謳歌するなかで、米国には金融と先端技術によって永遠の繁栄が保証されている、そのような確信は一瞬にして消滅した。NYという街としてはテロ不安の払拭に務めつつ、ダウンタウンの復興という気の遠くなるような作業に取り組むこととなった。

 幸いなことに、この時は政治が機能していた。ジュリアーニから市長職を継承したブルームバーグは、NY選出の上院議員であったヒラリー・クリントンを通してブッシュ大統領の協力を引き出し、連邦からも予算措置を引き出すことができたのである。さすがに被災地の整備計画は遺族感情との丁寧な対話に時間がかかったが、ダウンタウンの復興は比較的スムーズに進んだ。少なくとも国際金融都市、国際観光都市としてのNYの地位が大きく揺らぐことはなかった。

 次の苦難は7年後の同じく9月に襲った。NYタイムズスクエアの北にあったリーマン・ブラザース証券が、2008年9月14日の日曜日に突如破綻したのである。これを契機として、前年から不気味な動きをしていたサブプライムローン破綻のヘッジに失敗した金融界は存亡の危機に瀕した。だが、このときも政治は機能していた。退任してゆくブッシュ大統領は日本の金融危機の例にならってバンカメやメリルをはじめ、大手金融機関の破綻を公的資金で救済、それを引き継いだオバマ大統領は翌年3月の株価のドン底から景気と雇用を回復基調に乗せたのである。

 その結果として、NYは国際金融都市としての地位を守ったばかりか、改めてグローバル経済の一大拠点として成長を始めた。一方で2011年には、ウォール街における「占拠デモ」が起きたし、16年にはその延長で左派政治家サンダースへの支持がNYでも広がった。こうした運動は格差拡大への異議申し立てであったが、そのような反対運動が起きることは同時にNYの発展を物語っていた。

 この時期のNYは、金融だけでなくテック企業の拠点としても成長し続けていたし、改めて国際観光都市として大きな繁栄を手にしていた。NYにとって再び訪れた黄金時代であり、マンハッタン全島だけでなく、ブルックリンやクイーンズ、あるいは対岸のジャージーシティなどで大規模な不動産開発が続いた。

 けれども、そこへ21世紀に入って3度目の苦難が襲った。他でもないCOVID19のパンデミックである。NYは欧州の窓口ということから今年3月に感染が拡大し、公的交通機関を使う通勤者や高齢者施設入居者などを中心に多くの犠牲を出すこととなった。

 NYは、アメリカの他の地方と比べれば感染拡大を早期に抑え込んだ。だが都市経済の痛手は大きい。金融産業そのものの傷は浅い一方で、多くの知的労働は在宅となって街の活気は消滅した。観光に関しては演劇・音楽・外食・宿泊・交通の全てにわたって壊滅的な打撃を受けている。残念なことに今回の危機では政治が機能していない。民主党の知事、市長とトランプ大統領が水と油であるのは仕方ないとして、要となるべきデブラシオ市長の姿勢に動揺が見られるのは残念だ。そんななか、大都市NYは史上最悪の危機を迎えている。

 この危機はワクチン開発成功と共に雲散霧消するのか、それとも都市のあり方に抜本的な変化をもたらすのか、これからの6か月が真剣勝負となろう。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)