遣米使節団160年

訪米武士の子孫NYでジャズ歌手に
大久保真理が活躍

 村垣は、渡米滞在中にかなり詳しい日記を残している。「町を歩くと新聞記者が駆けまわり、3、4階は女性が窓から身を乗り出して手を振り、鐘をならし花を車に投げ入れた。花を贈るのがこの国の敬意を表す習わしだと理解したが、キッスには閉口した。馬車に乗ると、多くの婦人たちから『あなたたちは男性か女性か』と聞かれた。日本人のちょんまげを初めて見たアメリカ人の外国人に対する観察として髪を結った外国人にそのような質問をするのももっともだ。新見と私は旅館(ホテル)で合部屋だった。天井まで達した大きな鏡が珍しかった。15畳ほどあり、絨毯が敷き詰められている。外を歩けば子どもたちは、げぶみーもねーと呼ぶ」と記している。 
 その村垣範正の弟、忠篤が江戸幕府の徳川家康の旗本だった大久保彦左衛門の親戚に婿養子として入って生まれた忠弘のひ孫にあたるのが、ニューヨークでジャズ・ボーカリストとして活躍する大久保真理だ。「おまえさんのご先祖は、江戸幕府の使いとしてアメリカに行ったのだよ。覚えておきなさい」渡米前に母親にそう言われたという。
 田園調布小、中学校、都立駒場高校、東京藝術大へ進み、卒業後はローマでベルカント修業中にジャズ界の巨匠オーネット・コールマンに才能を認められ、オペラ歌手からジャズシンガーを目指してニューヨークへ。「先祖に武士がいることは心強い。誇りを持って、胸を貼って、わたしはパイオニアではないけれど東西の架け橋を越え、グローバルの枠からも出て、ユニバーサルな歌を歌っていきたい」と語った。
(三浦良一記者、写真は本人提供)