遣米使節団160年

トミーポルカも再び大地踏む

Photo courtesy collection of Tom Burnett

 1860年6月30日付けのニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース紙では斧次郎は表紙も飾っている。また、当時米国ではラテンダンス音楽のポルカが流行っており、彼の人気ぶりにドイツ人音楽家が作曲した「トミー・ポルカ」が誕生し大ヒットとなった。そして、海を渡ってきた侍使節団とトミーの人気振りを伝える曲として使節団が帰国した後に、全米で大ヒットし社交界の婦人たちに歌われ、舞踏会でも演奏された。
 斧次郎は1871年28歳の時に明治政府から岩倉具視を特命全権大使とした岩倉使節団で2度目の渡米を果たしている。新聞に語った「いつの日か必ず戻ってくる」という約束を果たしたのだ。そして、この時に初めて自分の名前が冠された曲「トミー・ポルカ」があることを知ったという。
 一行は最後の訪問地となったニューヨークを後に北大西洋を横断し現在のポルトガル領サン・ヴィセンテ島に立ち寄り、現在のアンゴラ共和国を経由し南アフリカの喜望峰を回ってジャカルタ、香港を経由し、約8か月の旅を終えて日本に帰着した。(取材・文・石黒かおる)
*日付は全て旧暦で表記。