石破政権はあっけなく崩壊した。今後は、総裁選へ向けて政局は流動化するであろうし、その際には与野党の連携工作等も活発となるであろう。その際には、物価や通商の問題、排外イデオロギーの問題などが改めて議論の対象となるに違いない。
けれども、本当に日本が国の衰退を食い止めたいのであれば、最優先で行うべき課題は教育改革だ。30年にわたる国力後退のトレンド、そして先進国からの転落の危機を直視するのであれば、本格的な教育改革に手を付けないと、国として全てを失う危険があるからだ。全てを失うというのは、優秀な労働力が国外流出して、荒廃した国土は日本語すら共通語にならない失敗した多民族国家になるなど、日本という国が事実上消滅する事態を指す。
今回は、4点を指摘しておきたい。
1点目は、二重教育を改めることだ。二重というのは、まず小中高の段階におけるエリート教育を文科省が放棄している中で、エリート教育が経産省主管の無認可・無資格の「塾産業」に丸投げされていることが指摘できる。上位の学校は、下位の学校の教育の成果を信用しないので独自の入学試験を課す。一方で、公立学校では受験教育が禁止されているので、上位の学校に合格するには塾に行かねばならない。多くの場合8歳から18歳までの10年間、子どもにはそのような二重教育が強いられ、親には経済負担がのしかかる。
これは、国家としては知的人材の浪費であり、何よりも貴重な子ども時代の時間を浪費させることにもなる。最大の問題は、高額な塾通いに耐えられる家庭の子どもだけがエリート教育を受けられる中で、教育水準と階層の世襲化、貴族化が進むことだ。これは、不公平なだけではなく、現状維持型の保守的な人材が横行して国家も企業も判断を誤る危険につながる。
二重教育にはもう一つある。主として文系の場合、企業が学生が大学で履修した内容を評価せず、過去の成功体験に基づく自己流の教育を施している。産業界全体が高等教育に期待せず、入試を基礎力の証明に使うだけで終わっている。多くの企業は、新入社員に対して「学生気分を忘れろ」とか「大学で学んだ座学は社会では役に立たない」などと説教しているが、これもまた、壮大なムダだ。膨大なリソースが浪費された結果、高等教育が経済成長に寄与できない結果となっている。
2点目は、教育の内容を21世紀に適応させるということだ。前世紀の日本は、膨大な中間層を擁することで生産性で世界を圧倒していた。けれども、その中間層というのは、再現可能な作業を正確に効率的に実行する、いわば中ぐらいの付加価値を創造する人材で構成されていた。具体的には、工場労働と事務作業である。どちらも、定型作業の反復に加えて、マイルドな改善改良の行動が伴う程度の内容であり、日本式の教育はこれに適した人材を大量に社会に送り出していた。
けれども、現在は事情が異なる。社会を先進国水準に保ち、個々人が先進国の労働者として必要な付加価値創造を行うのであれば、高度な数学と英語が駆使でき、文明観や世界観を持ち、同時に先端科学やコンピュータ、金融工学などの素養が必要である。この全ての領域で、日本の教育は全く手が届いていない。一方で工場労働は最初はアジア諸国に奪われ、今はロボットに奪われつつある。事務作業は、日本の場合、言語と制度の壁に守ってもらって人間の労働を残しているが、それが低生産性の元凶となっている。
こんなことでは、無限の衰退を止めることはできない。21世紀型の知的産業に適応できる人材育成を中心に、全ての教科とカリキュラムを組み直すべきであり、場合によっては教育人材の総入れ替えも考えるべきだ。
3点目は、教育環境における安全確保である。教育とは文字通り教え、育てるということだが、その際には子どもを保護し、承認するということが徹底されなくてはならない。けれども、現在の日本の教育現場では、この保護と承認が十分ではない。特に思春期教育の中には保護と承認の正反対である、暴力と統制という中世的なアプローチが残っている。子ども同士の関係にも対等な相互承認を身につけさせていない。その結果として、学校や部活といった環境が子どもを攻撃するという事態が野放しとなっている。これは一刻も早く改めなくてはならない。
4点目は、到達度別の支援である。日教組などの保守反動勢力が、長年にわたって妨害してきた結果、小中の義務教育段階では到達度別の教育ができていない。教科書は一律で、発展型の内容は禁止され、上位校へ進学するための受験教育も禁止されている。そのために塾が跋扈しているのは前言のとおりだが、同時に学習への支援の必要な子どもを引き上げる教育も徹底ができていない。
これも前述したように、21世紀の現代では単純な労働は機械に取って代わられているし、優秀な外国人が支えている分野も多い。そうなると、高校までの段階で十分な学習成果を得られなかった人材に、より効果的な訓練を施してレベルアップさせていく必要がある。このままでは学習困難者は可視化されない困窮者として固定化してしまう。この層への支援は彼ら自身の幸福追求だけでなく、経済効果も大きいのではと思われる。
政局が激しく動く中であればこそ、国のインフラであり、何よりも明治150年の国家の礎(いしずえ)であった教育の改革を最重要課題に据えていただきたい。念のため申し添えるが、その際に、教育をイデオロギーの宣伝や力比べの場とすることだけは厳に謹んでいただく必要がある。
(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

