虎フグとマラソンのニューヨーク喰い物語

日本食ブームの原点

馬越 恭弘・著
本の研究社・刊

 マンハッタンの東52丁目のレキシントン街と3番街の間にある「レストラン日本」は、1963年、今から62年前に当地で初めて本格的総檜造りの寿司バーを開設した店だ。慶應義塾大学剣道部主将だった同店創業者の倉岡伸欣氏が卒業後、米国留学を経てNYで2018年に86歳の生涯を閉じるまで創業社長として活躍した。単に日本食店のオーナーとしてでなく、ニューヨーク地域における日本食の普及と地位向上に骨身を削り、ひいてはアメリカの今の寿司ブームの土台を築いた半世紀といっても過言ではない。

 プラザ、ウォルドルフアストリア、ピエールといった名だたるホテルで1960年代、パーティー会場に初めて日本食を出し、66年には日航の東京〜ニューヨーク路線就航で機内食に初めて和食を搭載、75年には昭和天皇・皇后両陛下ニューヨークご訪問に際して公邸での公式晩餐会の料理を受け持ち、岸首相の時代からNYでのケータリングの日本食番を担当、中曽根首相以後、竹下、海部、橋本、小泉、麻生、安倍、岸田と歴代の現職首相が来店し続けるなど、時代の要にNYで必ず日本食というキーワードを通して日米関係をつないできた。

 故マイケル・ジャクソンは座敷で鉄火巻を食べてサクラサクラを歌った。元ヤンキースの松井秀喜さんも引退の夜に訪れた。「王様と私」のユル・ブリンナー、アンディー・ウォーホルが常連だった。1989年にはアメリカに下関のトラフグを輸入する許可を5年かけて取得、同年カナダ・モントリオールの自家農場でそば栽培を開始するなど挑戦の連続だった。

 本書は、そんな倉岡さんに45年間にわたって仕えたレストラン日本の元総支配人、馬越恭弘さんが書いたレストラン日本とマラソンを通して倉岡さんとの苦楽を共にしたドラマ「虎フグとマラソンのニューヨーク『喰い』物語」だ。

 3年前に帰国するまで35回もNYマラソンを走ったという馬越さんは、日本のビール王と言われた大日本ビールの創業者、馬越恭平(1844年〜1933年)を曽祖父に東京で生まれ、学習院大学経済学部卒業後、ホテル・オークラに就職した。入社まもない研修生としてホテル内のカフェで働いていた時、コーヒーの注文を取りに行った相手が倉岡氏だった。倉岡氏は、その青年の胸の名札に目を止めた。「私ね、君のお母さんに13年前に会ってるかもしれないよ、アメリカから戻る飛行機の中で」それがNYとの縁が生まれたきっかけだった。

 青年馬越さんは当時仕事に悩んでいた。そんな思いを母親に相談すると、NYの倉岡さんに連絡するといいと言う。手紙を書いた。1977年6月18日。ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立った。一流ホテルに就職したとはいえ「ご先祖様の大ゴネで入った会社。そこで男子一生を過ごしていいのかい」と倉岡さんに言われて人生が決まった。ニューヨークの寿司ブーム、日本食ブームの最先端で伝統的な江戸前料理を出し続ける倉岡氏に仕えた。誰かが書いておかなくてはならない歴史。今の全米の日本食ブームの陰にある数々のドラマを一番近いところで見ていた男が書いた一冊だ。(三浦)