日本人墓地で祈り献花 高見豊彦博士のひ孫参列

 メモリアルデーの5月26日、クイーンズのマスペスにあるマウント・オリヴェット日本人墓地で恒例の墓参会がニューヨーク日系人会(JAA)の呼びかけで開催された。墓参会にはニューヨーク総領事館から森美樹夫大使、佐藤貢司JAA会長、森本恵作ニューヨーク日本人学校校長、岡本徹ニューヨーク育英学園学園長、三木伸夫NY日系ライオンズクラブ会長、スタンリー・ウェイン日米合同教会牧師ら30人余りが参列した。竹田勝男JAA副会長の進行で、NY仏教会のカート・ライ住職が読経し、一人ひとりが焼香と献花を行った。前日NY日系ライオンズクラブがボランティアで清掃し、墓石にはNY育英学園児童手作りの日米の小旗が一面に飾られた。

(写真)整列写真は、左から竹田氏、三木会長、森本校長、岡本学園長、森大使、佐藤会長、ロビン・タカミさん、ウェイン牧師、ライ住職

 当日は、この墓地を日本人のために購入し、JAAの、前身である日本人共済会を1907年に設立した日本人医師、高見豊彦博士のひ孫にあたるロビン・タカミさん(27)が墓参会に初めて参列した=写真=。写真家として現在ブルックリンに住むロビンさんは「曽祖父を尊敬しており、ニューヨークの偉大なる日系社会の歴史と繋がっていることを大変誇りに思う」と語っていた。遠くマンハッタンの高層ビルを見渡す丘にある日本人墓地と同じ区画の1分ほど離れた場所に高見一族の墓もあり、参列者たちは式典の後、高見博士の墓にもお参りした。

高見博士が1907年に墓地購入し100人眠る

 JAAは1907年に医師・高見豊彦博士が日本人墓地の購入と日本人の相互扶助を呼びかけ設立した日本人共済会をルーツとする。1914年に高峰譲吉博士を会長とし、高見博士を副会長に紐育日本人会が設立された。高見博士は、新島襄に憧れ、1890年熊本藩を出藩して1891年に大阪から米国に向け出航。コーネル大学医学部を2番の成績で卒業した。在学中の日本人男子の解剖に立ち会った際、番号だけで処理されてしまう現実を目の当たりにし、コロンビア大学学生会で在留邦人に相互扶助と親睦、日本人墓地の購入を説く演説をして協力を訴え、1912年に同墓地内に日本人のための土地を2500ドルで購入した。現在同墓地には、100人近い日本人、日系人と無縁仏の霊が眠る。