留学の地、NYで能舞台を演じる

能楽師 関 直美さん

Performance of Aya no Tsuzumi © Courtesy of Hosho-ryu School

 ジャパン・ソサエティーで12月4日から6日まで宝生流による能公演『三島の愛した能(英題:Mishima’s Muse – Noh Theater)』が開催される。能や歌舞伎などの古典芸能に精通し、伝統的な日本の美を称賛した三島は、能の代表的な作品の数々を彼と同時代の物語に移し変え『近代能楽集』として八つの戯曲を残した。同公演では、米国デビューとなる第20代宗家・宝生和英率いる能楽宝生流が、それらの元となった『綾鼓』と『葵上』を披露する。関直美さんは、5日に上演される「綾鼓(あやのつづみ)」のツレの女御の役で出演するため今回来米した。茶道の家に生まれ、ニューヨークに学び、帰国後、34歳で東京藝大に入り能楽師となった人だ。

 能の世界に入るきっかけは、喜寿の祝いで舞った百歳の老女小野小町の能『関寺小町』を見たこと。その舞台でシテ(主役)が倒れた。神に捧げる能は、途中で止めることは許されない。シテを舞台袖に寝かせたまま舞台は続く。命を懸けた能舞台を見た関さんは一切を捨てて34歳で能の世界へ飛び込んだ。能とは何か。生きるとは何か。それを問い続ける毎日だった。

 ビジネスの専門学校卒業後、大手ゼネコン会社に入社し、ロスに行った先輩の影響を受けて渡米したが、生活のリズムが東部の方が合っていると思い一旦帰国して今度はNYへ。ロングアイランド、ブルックリンハイツに住んで、セントフランシス大心理学部を卒業後、大学院修了目前に母親から呼び戻され、ビジネス経営コンサルタントの道を断念して帰国した。もしあの時日本に帰っていなければ、今頃マンハッタンのミッドタウンのどこかで仕事をしていたかもしれない。

 人の人生は、常に理不尽で不公平な環境との闘いでもある。能や歌舞伎の世界もそうだ。世襲と世襲でない者とにはっきりと分かれているが、どちらもなくてはならない存在で、お互いに支え合っている立場だ。どんな理不尽なことにも不公平なことにも我慢。「嫌だったらいつでもやめていいですよ」と言われる立場に身を置き続けた。

 ニューヨークから帰国後、母の死により、茶家を継ぐため京都の裏千家学園に行った。そして1999年東京藝大の音楽部邦楽科を能楽専攻にて受験し見事に現役合格する。宝生流宗家より楽屋入りを許される職分となり(公社)能楽協会に入会する。芸大での9年間の研究を終え、音楽博士の学位を得た。

 能楽師として舞台に立つ傍ら、研究者としての能楽の研究をして玄人としては初めての音楽博士となる。また茶道においては1990年パリのルーブル美術館でのシラク大統領夫妻臨席の献茶式渡仏代表団の一員に選抜されている。

 「どんなに辛いことがあっても、自分を支えてこれたのは、ニューヨーク時代の留学生活があったから。自分の置かれている立場を常に客観視できて、追い詰められることがなかったのが救い」。留学体験は関さんにとって大いなる幸運であり人生のリワード(ご褒美)だったのかもしれない。

 今年、著書『Yes, Noh』をKULA SCIP社から出版している(本紙2月1日号の書評欄で紹介)。そこには女性能楽師で重要無形文化財総合指定保持者でもある関直美さんの「YESな半生」が綴られている。1964年、北海道帯広市生まれ。

 (三浦良一記者、写真も)