トランプ vs ハーバード 視座点描

 発足100日を前に、約200本もの大統領令・覚書・布告でやりたい放題の第二次トランプ政権に思わぬ伏兵が現れました。議会も異論を挟めず、司法も後手に回り、ジャーナリズムも脅される中、第五の権力たるアカデミズムの頂点ハーバード大学が、反ユダヤ主義やDEI(多様性・公正性・包摂性)教育を放棄せよという政権の要求を公式に突っぱねたのです。

 ハーバード大の創設はアメリカ建国より140年も前の1636年。8人のアメリカ大統領を輩出し、資金力も世界最大級。トランプ政権は即座に22億ドルの複数年助成金と6000万ドルの政府契約を凍結する「報復」に出ましたが、同大は寄付金やその運用益で現在530億ドル以上の基金を保有しており、これは世界の下位100か国の資金を上回る額です。なので短期的には政権に抗し得る財政基盤がある。スタンフォードやプリンストン大も学問の独立をめぐってハーバード大支持を表明しました。

 もっとも、財政的に弱い大学は違います。コロンビア大やミシガン大は政権の一部要求を受け入れたり、他にも全米60もの大学が反DEI要求の対象になっていて、アカデミアの動揺は広がっています。

 実はハーバードの基金にしても80%ほどは寄付者による使途制限があり、凍結が続けば特に連邦助成金の依存率の高い医療や科学技術の研究に影響が出てきます。それはひいてはアメリカという国家の衰退に直結して政府の失政にもなると思うのですが、現政権は大学は「左翼エリート」の「WOKE(意識高い系)思想」に染まったアメリカの分断の元凶だと宣伝していて、それが支持層のMAGAの人たちの結束を強めるものだから後戻りできない。だからさらに行政権限を駆使して圧力を強め、留学生の受け入れ資格や税制優遇の取り消しさえ示唆しているのです。

 それにしてもなぜこんなことになったのでしょう?

 多様性、公正性、包摂性は実は1960年代のケネディ時代以降、公民権運動や多文化主義の進歩主義的価値観としてアメリカ社会に根付きました。黒人のシドニー・ポワチエがハリウッド映画で主演した『招かれざる客』は1967年ですし、西部劇が騎兵隊視点から先住アメリカ人視点に変わった『ソルジャー・ブルー』や『小さな巨人』もこの頃の映画です。

 それから半世紀以上が経過し、「行き過ぎた政治的正しさ」が人種やジェンダーなどマイノリティ集団のアイデンティティを尊重するあまり、「古き良きアメリカ」の伝統的価値だった個人主義や自由競争原理が蔑ろにされていると保守派に訴えている。

 今回の反DEI施策の数々は、トランプ第一期の見果てぬ夢を用意周到に本格再起動させたものです。

 布石は第一次政権で始めた大学入試のアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)への攻撃でした。連邦最高裁は2023年6月、トランプの送り込んだ保守派判事の数的優越どおり6対3で、入試でのアファーマティブ・アクションは憲法の平等保護条項と公民権法に違反するとの判断を下しました。これまで黒人など社会的弱者を保護してきた法が、今度は「逆差別」として白人や男性を保護する根拠として解釈可能になったのです。

 民主政治とは、自分の自由と他人の自由を等価とし、その兼ね合いで運営される政治制度です。多様性と公正性と包摂性はそこから生まれたスローガンでした。それを否定する大統領令の適格性をめぐって、そろそろ司法が動き出すころです。第二次トランプ政権の法的な足場がガタつき始めるかどうか。あと2か月ほどでアメリカの運命の分岐点が見えてくると思います。

(武藤芳治、ジャーナリスト)