不要と思われる芸術が次の時代を作る。

横尾忠則 GOOD DAYS 80

 とにかく1年がアッという間に過ぎて、もう2020年です。日本は、というか東京はオリンピック年を迎えて、今年は特別の年になるんじゃないでしょうかね。一方、オリンピックをぶち壊すような、東京直下型地震のシミュレーションドキュメントなどをテレビで報道して不安を煽っています。ノストラダムス級の災禍が想定されているようで、それでなくても足もとがふらつく年齢になっているぼくです。あまり恐怖を煽ってもらいたくないですね。
 週刊誌は毎週のように薬害問題ばかりです。長寿が約束される一方、その足を引っ張るイチャモンは問題、結局は週刊誌の売り上げが目的だと思うんですが、こういう記事はストレスになりますね。そんなストレスが作用して、社会を不安に巻き込むメディアもメディアですよ。裏を返せば平和ということですかね。平和ボケが逆に作用すると、こうした終末時計が針を刻むんでしょうか。
 ぼくは画家ですから、いつもキャンバスを相手に無言の会話を交わしています。社会に対する不満や意見を持つアーティストが、愛知トリエンナーレで「自由の不自由展」を開催した結果、この展覧会が発信した政治的問題で令和元年の後半、このことが持ち上がり、ぼくの方にも飛び火があって、そのためではないが体調を崩し2か月半、休養することになりました。
 画家はというか、ぼくのようなタイプの画家はプロパガンダとは無関係の何も訴えないことを訴えるような絵ばかりを描いています。つまり、社会や政治などの外部の現実を描くのではなく、むしろ「私の心の問題」をテーマにしているのですが、その心というものも外部の現実とどこかでつながっています。
 社会を変革することも重要ですが、人間の内面を変えることも大変必要な問題です。自分が変わることによって社会も変わるという視点意識を持つ人間はそう多くないかも知れませんが、むしろアメリカにはこのような思想が意外と浸透しているんじゃないでしょうか。自分が不幸なのは社会のせいであるという論理がやはり圧倒的に強いのは日本だけではないかも知れませんね。
 例えばアンディー・ウォーホルがキャンベルスープの缶を描いたり、マリリンモンローを描いたことが、どれだけ社会を変えたことでしょう。ここに芸術の変革の力があることが証明されましたよね。セザンヌがリンゴやヴィクトロール山ばかり描いて何の役に立つんだと思う人もいますが、あのリンゴと山が実は20世紀を変えたのです。
 芸術の力を真から信じることのできる政治家が現代にはひとりもいないんじゃないでしょうか。絵にかいたリンゴで貧しい人が救えるのかと言われればそれまでです。でも絵の持つ魂の力を自分のものにしてしまえば、その人はその瞬間から救われ、社会も変える力も持つことになるのです。どこからか「ホンマか?」という声が聞こえませんか? 
       (よこお・ただのり/美術家/東京都在住)