日本クラブで熱弁
俳優・タレントである山田雅人氏による「かたりの世界」が10日夕、日本クラブで開催され、50人余りの参加者が「松井秀喜師弟物語」と題した表現力で涙あり笑いありのストーリーに聞き入った。スポーツ選手や文化人などの伝記を徹底した取材と独特の語り口で組み立てる、「かたりの世界」は、実話に基づく独自の話芸で、マイク一本とスポットライトの演出で、『隠れた人間ドラマの感動』を伝えることで定評がある。この「かたりの世界」はイベントのみならず企業研修やセミナーでも行っている。
「ブンでなくてビュン」長嶋監督が松井に教えたのはこの一点の言葉で象徴される。松井秀喜は1974年6月12日に石川県で生まれ、小学校2年生の時に4歳年上の兄と畑でキャッチボールしたのが野球との出会いだった。甲子園で5打席5敬遠を受けた選手は後にも先にも松井だけ。長嶋監督が自宅にやってきて「私がなれなかったジョー・ディマジオに君はなりなさい」と巨人入団を勧め、松井はそれに一つだけ条件をつけた。「僕のニックネームはなぜかゴジラなんです。ホームランを打てば『ゴジラ吠える』って見出しに書かれる。それが嫌なのでもし、自分にゴジラ以外のニックネームをつけてくれるなら受けます」と返事した。長嶋は「オーケー、いいよー」と返事をして松井は晴れて入団、グラウンドに出た時に長嶋が「頑張れゴリラ!」と叫んだ。松井は長嶋に「ゴジラのままでいいです」と言ったそうだ。日米通算507本のホームラン記録をもつ松井。その姿を見て育ったのが大谷翔平だ。長嶋がいなければ松井は生まれず、松井がいなければ大谷はいなかった。松井を育てたのは長嶋。そこには偉大なる師弟愛があった、そんなエピソードの数々を1時間熱く語った。
山田さんは講演の後「初めての海外、ニューヨーク講演で緊張しましたけど、お客さんが食い入るように見てくれて嬉しかったです。NY講演なので松井選手をテーマにしました。松井選手は憧れなので、なぜ彼が海を渡ったのか、今回少し分かったような気持ちになりました。昨日ヤンキースタジアムにも行ってその門構えも見て、ここがジョー・ディマジオがプレーしたところかと感無量でした。これを機会にこれからも海外での講演をしてみたいですね。無限の可能性のあった講演会でした。人は出会いが大切ということを師弟愛の話でお伝えしたかったです」と話した。 (三浦良一記者、写真も)
山田雅人=俳優・タレント。1961年大阪府生まれ、大阪市大正区出身。1983年「第1回松竹芸能タレントオーディション」に合格し、翌年テレビデビュー。1986年、漫談家としてNHK新人演芸コンクールに出場。俳優として、映画『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』『ミナミの帝王 パート6』、テレビドラマ『ぽっかぽか』『渡る世間は鬼ばかり』など多数出演。スポーツ選手などの伝記を、徹底した取材と独特の語り口で組み立てる「かたり」という独自の芸をライフワークとしている。

