不死身と信じていたブロードウェイの巨匠

ブロードウェイについて語るありし日のプリンス氏

惜別追悼寄稿
吉井久美子

 ハロルド・プリンス(以下ハルと記載)は、正真正銘ブロードウェイの「レジェンド」であった。1950年代からプロデューサー、演出家として大活躍。今年7月31日に亡くなるまで現役だった。享年91歳。

 「ウエスト・サイド・ストーリー」のオリジナルプロデューサーであり、「オペラ座の怪人」の演出家。その他、手掛けた名作は、「屋根の上のバイオリン弾き」、「エビータ」、「キャバレー」、「シー・ラブス・ミー」、「くたばれヤンキース」と数え切れない。同じく巨匠スティーヴン・ソンドハイム(「ウエスト・サイド・ストーリー」の作詞家)とのコラボレーション作品には、「カンパニー」、「フォーリーズ」、「スウィニートッド」、「太平洋序曲」と多々ある。そしてトニー賞を21回も受賞している。
 私がハルに最初に会ったのは、2004年、ブロードウェイで「太平洋序曲」のリバイバルをプロデュースした時だった。宮本亜門のブロードウェイデビュー作となったこのミュージカルは、元々は1976年にハルが演出、プロデュース。私のリバイバル版を観に来てくれて、その劇場での出会いだった。私が挨拶をしようとすると、席から立ち上がって「素晴らしかった」と言ってくれたのを覚えている。私は緊張していてまともな返事さえできなかった。私のような駆け出しの小物プロデューサーのために立ち上がってくれたことにも感激した。後でその時のことを話すと、「あの作品をプロデュースするのは大変だとわかっていたし、Kumikoのためなら、もちろんいつでも立ち上がるよ。」と、私を上手におだててくれた。そのお陰で、後に「プリンス・オブ・ブロードウェイ(POB)」のプロデュースをする勇気をもらえたと思っている。
 POBは、ハルのキャリアを讃えた作品で、彼の作品からポピュラーな歌や場面を抜粋し、繋ぎ合わせたミュージカル。Overtureは、何と14作品の名曲からなり全編で約4分。彼の通算70年に及ぶ実績を網羅した作品だった。トライアウト公演が日本で行われ、そのお手伝いをしたことがきっかけで、ハルと再会。いざ、ブロードウェイにトランスファー!という時、ハルからそのプロデュースを任されたのである。難役ではある、でも大変光栄なことで、悩んでいる場合ではない。チャンスは一回しかないのだから。私は実現できる当てもないまま、瞬時にYesと返事をした。この作品は、2017年8月から期間限定でブロードウェイのサミュエル・フリードマン・シアター(マンハッタン・シアター・クラブ)で、ハル自らの演出で上演。無事ブロードウェイ進出を果たした。
 この作品の準備のため、必然的に、ハルは自身の長いブロードウェイキャリアを紐解くことになった。私にとっては歴史的人物の話や、種々エピソードを、その歴史を駆け抜けた本人から聞くという貴重な体験を得た。また、失敗談も含め、経験則を惜しげもなく語ってくれた。

プロデュースのABCを教わる

 まさか、これがハルの最後のブロードウェイ作品になるとは夢にも思っていなかった。POBの準備期間、ハルが私をプロデューサーとして認めてくれたと実感した瞬間があり天にも昇る心地だった。でもその後、プロデューサーからフレンドに。ハルから「my friend」と言ってもらえる日が来るとは想像だにもしていなかった。
思いやりのある人でもあった。母がPOBを観にニューヨークを訪れた際、観劇の翌日、ハルの著書がサイン入りで送られてきた。
 ハロルド・プリンスというレジェンドから直接ブロードウェイミュージカルのノウハウを伝授してもらえる機会を得たことは、感謝の思いしかない。これからも糧にしていきたいと思う。不覚にも、私はハルは不死身だと信じていたのだと思う。彼がブロードウェイからいなくなってしまったことを、まだ受け入れることが出来ないでいる。涙が枯れてしまった。
I miss you, Hal.(よしい・くみこ/ゴージャス・エンターテインメント社長、プロデューサー)