円と国債は守れるのか、静かに進む経済非常事態

 日本の国家債務はGDPの2倍強といわれ、先進国中でも突出している。だが、国の借金である国債残高は全て日本人の個人金融資産と相殺され、国際市場の洗礼を受けない、これが長い間の財務省の説明であり、国民もこれを信じてきた。これを神話の第一としておこう。

 第二の神話は、仮に日本の国家債務が危険水域であったとしても、日本はIMF(国際通貨機関)への世界第二位の出資国という信用があるというものだ。もっと言えば、日本という国は大きすぎて潰せないという神話である。確かに、日本の国家債務はドル建てで8兆ドルという途方もない規模であり、IMFの準備している基金のほぼ10倍ある。ギリシャやアルゼンチンのように、IMFに救済できる規模ではない。

 バブル崩壊から36年、国家債務は膨張こそすれ改善には向かっていない。けれども、日本円や日本国債への信認が揺らぐ局面は少なかった。反対に、2008年のリーマン・ショックにおいては、日本の動揺は限定的であったため、様々な対策で債務を増やした主要各国と比較すると、日本の財政規律は「比較優位」に見えていた。このため、放っておけば円高となる中で、アベノミクスと日銀の「異次元緩和」により円安誘導がされた。当時は、原油安のために副作用が少なかったこともあり、輸出産業が空洞化する中でも多国籍企業の海外業績が膨張する効果はあり、株高や賃上げにはつながった。

 安倍政権が終わって、菅、岸田、石破と内閣が続いた中では、ウクライナ戦争による原油高、資材高、更にはコロナ禍後の各国のインフレなどにより、円安のデメリットが出てきた。だが、日米に金利差のある中では、円安に歯止めをかけるのは難しかった。やがて物価高が顕著となる中では、国民は財政規律を緩めてでも減税を望み、これに財務省が抵抗する中で自民党政治への批判が強くなっていった。

 高市早苗氏が総理総裁として登場したのは、こうした流れの中であった。国民は積極経済を掲げる高市氏に高い支持を与えたが、これは「減税」を望む世論と、できないとする財務省の間で無責任な言動を繰り返す野党の「敵失」があったことも大きい。けれども、高市氏の「積極経済論」というのは、国際市場からは「財政規律を大幅に緩めるのでは」という懸念をもって受け止められた。これにイラン情勢による原油の一段高が加わることで、日本経済ならびに日本国債、そして日本円への信認が揺れている。

 この問題であるが、高市総理や片山財務相としては、心外の思いであろう。真の財政規律は緊縮ではなく経済成長によってのみ実現できるはずであり、高市政権の積極経済という姿勢は誤解を受けている、そのような主張には十分な根拠はある。

 けれども、直近の情勢としてはズルズルとドル円は160円の大台を越えようとし、同時に10年もの国債の金利は2・5%に乗った。やむを得ず、4月末に政府日銀は5兆円規模の為替介入を行ったようだが、155円台に上げた後は、円は再び静かに売られている。一部には、投機的な「円売り」が発生しているという見方も出ているが、その底流にはもっと深刻な問題を感じる。それは冒頭申し上げた神話の消滅ということだ。

 まず個人金融資産であるが、確かに国家債務の倍近くの2000兆円はあるようだ。だが、年金基金ですら50%が海外で運用されている時代、個人金融資産も相当額が海外投資に向かっていると考えられる。そうなれば、国債残高との相殺というストーリーは成立しない。

 一方で、日本円と日本国債は大きすぎて潰せないというのは今も変わらない。けれども、日本の国家債務の負のスパイラルが加速した場合として、別のシナリオが多く語られるようになった。それは、ある時点で日本が保有する米国債を売らざるを得なくなり、そうなると日本発の信用不安の連鎖になるという説だ。これが、日本円と日本国債への警戒感を増幅している。

 つまり、2つの神話はどちらも効かなくなっているのである。注目すべきは日本の連休明けであり、何としても円と国債のジリ安を止めねばならない。徹底した行革による歳出抑制、教育や雇用に踏み込んだ産業構造改革など、痛みを伴う改革を断行できるか、高市氏には真の意味でサッチャー改革のような決意を見せていただきたい。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)