「小惑星にも命名された天空の社」群馬県富岡市 妙義神社

 日本三大奇勝のひとつ妙義山の主峰、白雲山の中腹にある537年創建の妙義神社。上毛三社(ほか2社は榛名神社、赤城神社)のひとつでもあり、青空の下にそびえるギザギザの山と一体となった群馬県最大級とも言われるパワースポットで、開運、商売繁盛、縁結の神などとして知られるほか、山岳信仰の場でもある。江戸時代は家運永久子孫繁昌を願い、歴代の徳川将軍家に深く信仰されたのだとか。

 妙義神社への入り口となる巨大な鳥居をくぐりまっすぐに続く参道を10分ほど歩くと、赤い総門が見えてくる。ずっと坂道や幅の広い階段が続くがそれほど急勾配ではなく、山のふもとにある神社だからこのくらいは仕方ないかと思って総門をくぐったが、ふと前方を見上げると思わずえーっと声が出てしまう、または言葉を失うほどの景色を見てしまった。はるか遠くまで細く長くどーんと続く急な階段の一番上に社が見えているが、本当にあそこまで登るのか、これはちょっと想像以上だ。気安く来る場所ではなかったのかもしれない、しかし引き返せない。

 天空まで伸びるようなこの石段は江戸時代に作られたもので、時代ごとに少しの改修はあったものの当時からほぼ手付かずのままだというから、幅が狭いうえにすり減っていてデコボコで、角が丸くなっていたり、ところどころ苔むしていたり、巨木の根によって石段そのものが歪んでいたりと登りづらく、決して後ろを振り向けない恐怖感をともなう。転がり落ちないように前傾姿勢で這うようにして一段一段慎重に踏みしめる。もちろん無言だ。後で気がついたが石段の隣に「楽に参拝できます」という案内看板があり、スロープ状の脇参道もあったのだが、足腰に支障がない限りこの石段を見てあっさり諦めるとご利益が薄れるような気がする。

 息切れしつつも本殿への入り口に建つ唐門まで到着し、振り返ると色を重ねたように連なる山並みと山間の平野に並ぶ家が小さく見えた。黒と金色の美しく装飾された唐門の奥には、壮麗な黒漆塗り・権現造りの本殿が建つ。黄金の龍やさまざまな動植物のカラフルな彫刻が施されていて、思った以上に立派だ。山の頂上まで登ったように清々しい気分で、心地よい風が吹き抜ける本殿からの見晴らしを楽しみ、お参りした。ここは春には枝垂れ桜、秋には紅葉の名所となるとのことで、いつかまた来たい場所のひとつとなった。

 さて、ここが「天空の社(やしろ)」と呼ばれるようになったのには理由がある。神社では2013年から毎年境内で世界的なシンセサイザー奏者によるコンサートを開催しているが、開催2年目となる14年、美しいシンセサイザーの調べを聴いていたある男性が宮司に「小惑星に神社の名前をつけませんか」と言ったのだそう。その人はJAXAに勤務し、日本人女性初の宇宙飛行士・向井千秋さんのスペースシャトル搭乗打ち上げ責任者を務めた寺門邦次氏で、彼のアイデアはその年の10月に実現。1992年に発見されたが固有名がつけられず小惑星(14449)と呼ばれていたものが、国際天文学連合において「Myogizinzya(妙義神社)」と正式に登録、世界で初めて神社の名前が惑星に名付けられた。小惑星・妙義神社は、はるか遠くの宇宙に浮かぶ直径5キロほどの大きさで太陽の周りを約3・47年かけて1周する。肉眼では決して見えない惑星ではあるが、神社にとってなんともドラマチックな出来事であり、これで改めて誰もが認める天空の社となった。

 ちなみに「天空の社」と呼ばれている神社は香川県の高屋神社や、本格的な登山装備をして山や岩場を登ってたどり着く愛媛県の石鎚神社、富山県の雄山神社など日本各地に存在するのだが、妙義神社のいいところは、ある程度の体力と根性さえあれば誰でも行けるところだろう。さらに心臓をバクバクさせて登った長い階段の先にこんなに立派な社があるのは珍しい。妙義神社は、いまや宇宙のエネルギーが降り注ぐ場所として、パワースポット巡りをする人たちに有名な場所なのだ。

 また、妙義神社に参拝する人の多くが駐車場として利用している近くの「道の駅みょうぎ」には、群馬名産のこんにゃく、ネギ、シイタケ・舞茸などのキノコ類や白菜などの新鮮野菜、地元の製麺会社のうどんなどが揃っている。いろいろ買ってお鍋がしたくなる。見晴らしも良く、気持ちのいい場所だった。

 神社からの帰り道、車だと30分ほどの場所にある群馬県が誇る世界文化遺産「富岡製糸場」に寄ってみた。1872(明治5)年創業の日本初の本格的な器械製糸工場で、中央に柱の無いトラス構造の建物内に繭から生糸を取っていた自動糸繰機がずらりと並ぶ様子や生きた蚕などを見学したが、いまだ保存修理のための工事中エリアも多くまだ全体的には完成途中の様相で、あと数年したらもっといい施設になっているのではないかと思った。しかしながら、広い敷地内に残されている当時のままの診療所や女子寮、繭倉庫など(すべて内部を見ることはできなかったが)敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝や重要文化財に指定されているだけあり、当時の女工の暮らしや歴史を感じさせる興味深い場所ではあった。(本紙/高田由起子、写真も)