世界は色彩に満ちている

千住 博

 芸術は「ないもの」を描いて「あるべき世界」を示すものです。

たとえば、人類史上最悪といわれた14世紀の疫病の蔓延後、レオナルド・ダヴィンチは科学の大切さを、ミケランジェロは健康的な肉体の大切さを訴え、「再生」を意味する「ルネサンス」を拓きました。 

 19世紀のヨーロッパは戦争に明け暮れる時代だったのですが、モネは足元に降り注ぐ光を、ルノワールは暖かで平和な情景を描き、「印象派」を生みました。

 日本でも、信長、秀吉の戦国時代、狩野永徳は一枚の絵の中に四季を入れて、様々な概念の調和を示しました。この作品がかつて日本で「モナリザ」が展示された時、交換作品としてルーブル美術館に貸し出された日本美術の最高峰、永徳の国宝「花鳥図」(大徳寺聚光院)です。彼らがその時代に足りないものを描いたのは、単なる偶然ではありません。

 芸術とは、そのような「あるべき世界」を示すイマジネーションのコミュニケーションなのです。今私は滝の内側から外側を見るという視点に立って、色彩に満ちた世界を描いています。

 滝の間から朧げながら見える世界は、多様性に溢れています。それらは、そもそもは森林であったり、様々な花であったり、空であったりしました。しかし流れる水によって物体性は消え、多様な色彩としてのみ、滝の内側にいる私に届きます。

 色彩は、光の作用によって見えるものです。つまり私は、その時純粋に光だけを見ているのです。そして光は、世界は多様性に満ちていると伝えているのです。

 どんなに暗くても、一条の光さえ届けば足元に広がる多様性を示すこともできるでしょう。閉塞感に満ちた現代、私はその様な「あるべき世界」を示したいと思っています。

せんじゅ・ひろし(画家。ベネチア・ビエンナーレ名誉賞、日米特別功労賞、イサム・ノグチ賞、恩賜賞、日本芸術院賞、日米協会金子堅太郎特別賞などを受賞。ニューヨーク在住。)