竹中征夫さん逝く

日本企業の対米進出を支える

 竹中パートナーズ(本社ロサンゼルス市)代表取締役社長の竹中征夫(たけなか・ゆくお)氏が11月20日、病気療養入院先の東京・聖路加病院で亡くなった。享年81歳だった。葬儀告別式は故人の希望で家族葬で24日東京で執り行った。

 竹中氏は1942年愛知県豊橋市出身で15歳の時に家族と共に来米し、ユタ州立大学会計学部を卒業後、65年にKPMGの前身である米国公認会計事務所ビッグ8のピート・マーウイック・ミッチェルに入社し、ロサンゼルス事務所でキャリアをスタートさせた。マイノリティの壁を乗り越え持ち前の粘り強さと献身的な努力により、8年後に日本人初のパートナーに昇進。80年代以降の日本企業の対米進出をM&Aの手法で次々と成功させ、戦略的パートナーシップに関するソリューションプロバイダーとして活躍し、米国側から日本企業を支えたことで知られる。

日本企業支えた竹中さん

次世代育成に夢「竹節会」作った矢先

 11月20日東京で亡くなった竹中征夫氏は、1989年に独立して竹中パートナーズを設立し、M&Aからグローバル戦略コンサルティングまで幅広いサービスを提供する企業に成長させ、海外展開を目指す日本企業のインベストメントバンカーとして日米の架け橋の一端を担いたいとの強い情熱のもと日本企業の対米進出を支えた。日本ミニチュアベアリング(現ミネベア)対米進出で知られる。

 また多くの経営者のメンターとしてグローバルな考え方や文化の違いの乗り越え方などについてリーダーの在り方を熱く語ることが多かった。生前のモットーは3P(パッション、プロアクティブ、ポジティブ=仕事に情熱を持って前向きに行動すること)で、若き経営者や将来のリーダーを育成することを目的に「竹節会」を今年作り、人材育成に乗り出した矢先だった。同社では「皆様のご支援に感謝申し上げると共に、故人の遺志を継いで全社員一丸となって皆様のお役に立たせていただく所存です」とのコメントを発表した。

生き残る国際企業とは

日本クラブで「成功の条件」講演

NYの日本クラブで講演する竹中さん(2019 年2月28日撮影)

 竹中氏は2019年2月28日にニューヨークの日本クラブで「生き残る国際企業のリーダーたちへ」と題する講演会を行っている。

 講演要旨次の通り=戦後日本は焼け野原から復興して経済成長を遂げたがそれは輸出に頼った産業システムに基づいていたもので、いま日本は海外に輸出できるものは少なくなっている。私自身は、日本ミニチュアベアリングが対米進出した当時、米国議会で軍需産業に関わる製造品は米国で生産されたものに限定するという法案が通り、カリフォルニアの工場を買収するお手伝いをして、いまミネベアミツミは巨大企業に成長している。80年代の自動車日米貿易摩擦でも、ホンダが最初に現地工場を作り、トヨタ、日産が追随して、いまは米国の自動車産業を日本車が追い抜いている。現地生産、現地化が成長の鍵だ。日本企業が米国で成功するためには3つの条件がある。ひとつは優秀な米国人を雇うこと。権限を与え、モチベーションを高めること。第2は、マーケティングとセールスに力を入れること。第3は、アメリカの社会、アメリカの市場を相手にビジネスをすることだ。日本食レストランでも日本人を相手にした店はどんどん衰退していっている。逆にアメリカ人をターゲットにした店は常時列ができるほど繁盛している。アメリカに来て日本企業や日本人をビジネスの対象にしていては大きな成長は見込めない。日本企業が米国に進出して拡大展開していく上で、M&Aはオプションではなくマストだと思っている。M&AのAは、アクゼッション(買収)ではなくアライアンス(共同連合)という意識だ。従業員や顧客に対して、まったく別の会社になってしまったという不安を与えず、さらに拡大するために大きなチームワークで会社を発展させようと連帯意識を持たせることが合併後の相互社員のシナジー効果を高める上での経営者の工夫といえる。経営者がビジネスをする上で大切なのは、メンターを持つことだ。心底畏敬の念を抱ける相談相手や指南役を持つことが大事。私のルーツである近江商人の言葉に「三方良し」という言葉がある。自分もよく、相手もよく、そして社会にもいい。それが大事だ。(本紙2019年3月6日号)