邦人殺害の有罪判決棄却

砂田敬さん銃撃事件から30年

NY州最高裁が判断、遺族困惑

 クイーンズの州最高裁判所のミシェル・A・ジョンソン判事は8月24日、1994年8月に市内クイーンズ区で発生した日本人男性、砂田敬さん(当時22歳)の銃殺事件で有罪となった元服役囚の男性2人の有罪判決を破棄した。無罪が確定したのは、アーモンド・マックロードさん(50)とレジナルド・キャメロンさん(49)。裁判官は、94年クイーンズの取調室でマックロードさん(当時20歳)とキャメロンさん(当時19歳)は捜査を担当したカルロス・ゴンザレス警部に強要されて罪をかぶったと判決理由を述べ、裁判官として異例の謝罪の言葉を口にした。マックロードさんは1月に釈放されるまで29年間服役し、キャメロンさんは殺人罪の棄却と引き換えに第一級強盗の罪を認め、2003年に仮釈放されるまで約9年間服役した。法廷で発言を許されたマックロードさんは「1万日と607日。29年と15日は、私にとって辛いものでした」と述べた。キャメロンさんは「汚名が晴れたことは喜ばしいが、刑務所内で負った顔のこの傷跡は直らず、それが原因でうつ病となりました」と右頬にある長さ15センチほどの線を指差した。

(写真上)弾痕に触れる砂田さん(1994年9月16日)、事件解明に全面協力を約束したジュリアーニ市長(同月15日、写真は共に三浦良一撮影)

 1989年以来、全米の冤罪総数3361件のうち約400件が虚偽の自白によるものであり、そのうちニューヨーク市では少なくとも230件の冤罪が証明されている。クイーンズ地区検事局が2020年に有罪判決完全性ユニットを立ち上げて以来、ブラック・ライブズ・マター(「黒人の命も大切だ」、BLM)運動の高まりと並行するようにこれまで102件の有罪判決が取り消され、そのうち86件は警察の不正行為に関連したものとされた。

 事件当時47歳だった被害者の父親、向壱さんは今年77歳になった。冤罪の知らせを福岡の自宅で知った砂田さんは本紙のEメールの取材に「出口の見えない深い闇夜に落ちた心境です。有罪判決を見直す組織は警察の不正を世の中に晒す効果はあるのでしょうが、消えた真犯人、真実は暴露されず遺族には耐えられない苦痛です。一瞬にしてコンパスの効かない闇夜に捨てられ彷徨う心境です」。

事件30年後の大転覆

砂田事件の有罪判決棄却
「誰が息子を」困惑の父

 銃撃事件を当時報じたニューヨークの地元邦字紙「ザ・ヨミウリ・アメリカ」(2003年に廃刊)の1994年(平成6年)9月23日号には、砂田敬さん銃撃事件の現場の様子が生々しく記載されている。

敬さん(当時22歳)

 「敬君の乗ったエレベーターのモニターは事件当夜、壊れていて作動していなかった」。事件を担当し、容疑者を逮捕したゴンザレス警部の言葉を耳にした砂田さんは一瞬表情を硬らせた。ニューヨーク市警110分署の署長らに伴われて16日、クイーンズ区レフラックシティーのアパート事件現場を訪れた砂田さんが、担当刑事から事件発生の経過説明を受けている時だった。同警部の話によると、事件があった8月4日午後11時半ごろ、被害者、砂田敬さん(当時22歳)は、ロビーにいた男性2人(アフリカ系)を不審に思い、普段はボクシングのトレーニング代わりに17階まで非常階段を使ってランニングしながら部屋に行くのに、この時は、エレベーターに乗った。犯人2人が敬さんに続いてエレベーターに乗り込んだ。敬さんは4階で降り、エレベーター前で揉み合いになりそうになり、左側にあった非常階段へ逃げた。後を追った犯人が非常階段を駆け上る敬さんを振り返り際に発砲、弾丸は右目から後頭部に貫通し、敬さんは階段から崩れるように踊り場に倒れた。階段を4段上がった高さ1メートル70センチほどのところに直径約2センチほどの銃痕が事件から43日たった後にも生々しく残る。

事件から25年たった2019年秋、同時多発テロのグラウンドゼロを訪れ慰霊碑に手を触れる砂田さん

 「怖かっただろうな、こんな所で」。息子が凶弾に倒れた現場を初めて見た向壱さんは唇を噛み締めた。警察署長、NY日本総領事館職員、遺族、報道関係者、警官と突然の大勢の訪問者にビルの管理責任者が慌てて飛んできた。向壱さんは、別棟の地下にある集中警備室に案内してもらい、エレベーターのモニター設備の説明を受けた。

 「モニターが作動していなかったと聞いているが」と向壱さんの質問に、警備担当者は「モニターは流しっぱなしで、録画はしていないので分からない」と答えた。ゴンザレス警部が「我々の捜査では当初、このモニターが作動していなかったことが判明しているんだ」と割って話すとビル責任者が「事件はエレベーターの外で起こっており、エレベーターの中では何も起こらなかった。たとえ当夜モニターが作動していなかったとしても、銃撃事件とは関係ない」と説明した。

 ジュリアーニ・ニューヨーク市長(当時)は、15日砂田さんに遺族の知らないところで検事局と被告が司法取引などをしないこと、裁判や捜査資料の提供もできる範囲で最大限協力することを約束した。