トミー富田さん死去

日本とハーレム橋渡し

故・富田さん

 ハーレムと日本とを結ぶ文化の橋渡し役として活躍したトミー・富田さんが11日、ニューヨーク市内の病院で肺炎のため亡くなった。80歳だった。リュージュの日本代表選手として1972年の札幌オリンピックに出場。その後、東京六本木のジャズクラブ「バランタイン」のオーナーとなり阿川泰子ら多くのスターを誕生させた。85年ニューヨークへ渡り、「アポロ劇場」に平井堅らプロ・アマ問わず大勢の日本人を出演させている。ハーレムの黒人教会と創設した「ハーレム・ジャパニーズ・ゴスペル・クワイヤー」が2010年、全米最大級のゴスペル大会で優勝している。

ハーレムと日本結ぶ
トミー富田さん逝く

 ハーレムと日本とを結ぶ文化の橋渡し役として活躍したトミー・富田さんが11日ニューヨークの病院で亡くなった。80歳だった。学生時代より、父親の影響もありジャズに傾倒、FENを聴き育つ。大学卒業後、リュージュの選手として1972年の札幌オリンピックに出場。その後、東京六本木のジャズクラブ「バランタイン」の元オーナーとなり、同店からは、阿川泰子・マリーン・島田歌穂・マルタなど多くのスターが誕生した=1面に記事=。
 1985年ニューヨークへ渡り、雑誌、テレビ、ラジオを通してジャズ解説を行なう。その当時、ハーレムの地図・記事が無かった日本のニューヨークのガイド本「地球の歩き方」などに、1986年初めてハーレムの情報を紹介。日本から頻繁に訪ねてくる知人達に、ハーレムやジャズクラブを案内しているうち「ツアーをして欲しい」という沢山の声を受け、日本人として初めての「ハーレムツアー」を始める。また、黒人音楽の殿堂「アポロ劇場」のボードメンバーとして、「アマチュアナイト」に、平井堅、トータス松本、ディープタフ(ダンサー)、小林幸恵、嘉門達夫らプロ・アマ問わず大勢の日本人を出演させている。 
 地元で活躍するミュージシャン達と深い親交がありNYのミュージシャン・ダンサー・アーティスト達を日本へ紹介、数多くのコンサートも手がけている。ハーレム在住35年、ハーレム商工会議所の正式メンバーで、94年にはアジア人初の「ドクター・マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・エクセレントアワード」を受賞。
 著書に、『ハーレムスピークス(新宿書房)』『劇場都市NY読本(七賢出版)』があり、ジャズやハーレム関連の記事も多数執筆。
NYガイドブック「地球の歩き方」「わがまま歩き」「個人旅行」「地球小町」などにもコラム掲載。
 また、97年より、ハーレムの黒人教会と創設した「ハーレム・ジャパニーズ・ゴスペル・クワイヤー」が2010年6月、全米最大級のゴスペル大会に日本人として初出場、27年の大会史上初の日本人クワイヤー優勝となる。5年前からすべての業務をパートナーの松尾公子さんに引き継ぎ、リタイヤしていた。本紙「週刊NY生活」でも「ハーレムナウ」を一時連載執筆した。