写真を撮ることで自分自身と出会った

フォトグラファー

井田貴子さん

 写真を撮ることで自分自身を取り戻すことができた。ニューヨークで現在、フォトジャーナリストとして活躍する井田貴子さんは、自身と写真との出会いについてこう振り返る。

 「子供の頃はムツゴロウさんに憧れる動物や自然の好きな子供でした。活発的で外に出たら帰ってこないタイプで親に心配ばかりかけていたと思います。14歳の時に癲癇(てんかん)という病気を発病し、発作が起きるごとに記憶を無くしてしまっている自分をどうにか防ぎたいと、身の回りや友達、風景を写真を使って記録に残すことで自分の存在を守ってきました。高校生の頃は常に使い捨てカメラを2、3個カバンに入れて毎日現像していました。初めての一眼レフは高校3年生の時でした」。カメラ小僧ならぬカメラ少女は、記憶の投影という形で被写体に向かってシャッターを押し続けた。

 その後、もっと写真の技術や知識を学ぶため、東京にある専門学校バンタンデザイン研究所に入学し、フィルム写真の知識を得た。

 卒業後、四ツ谷にあるレンタルフォトスタジオに入社。デジタル写真や撮影機材知識を学び、ファッション撮影やプロダクト撮影などのコマーシャル撮影の現場でアシスタントフォトグラファーとして携わったことがプロとしての道に歩み出すきっかけを井田さんに与えた。

 「そこで以前から憧れていたNY在住の憧れのフォトグラファーが来日した際に撮影のアシスタントとして携わることができ、弟子入りを決意。2009年、NYに渡りました」。結局フルタイムでの弟子入りすることは叶わなかったが、今でもその人がとてもよく指導してくれている。

「ニューヨークに来て、このダイバーシティでたくさんのいろんな人がこの世にいることを知り、全員違う人間でいい、ありのままの自分でいいんだということに気付かせてもらいました。どんな人間でもいい、病気を持った自分でもいいんだと思わせてくれたのはNYです。持病のことをこうやってオープンにして、それが写真を撮るきっかけ、理由だったことを説明して、それを自然に受け入れてくれるニューヨークがあったから今の自分があるんだと思います」と話す。

 来米してもうすぐ14年になる。多くのニューヨーク在住フォトグラファーのアシスタントを経て、2014年に独立した。現在は、フォトジャーナリストとして取材撮影などの仕事もしながら、プロダクトやフードなどのライフスタイル的コマーシャル撮影、またウェディングやファミリーフォトまで幅広く活動している。現在、ソーホーのALLUスタジオで日本の骨董品とアメリカの生活との融合をテーマにした展覧会が開かれており、3人の作家をモデルにした写真展を24日まで同時開催中だ。埼玉県出身。(三浦良一記者、写真も)