ダディの星条旗

ニューヨークの魔法
岡田光世

 同時多発テロ事件から七年目の九月十一日、式典が終わり、グラウンドゼロの脇にある通路を歩いていた。金網の向こうに、グラウンドゼロが見える。この巨大な空虚な穴を見つめていると、心臓をえぐられたように息苦しくなってくる。

 私の少し前を、女の人ふたりと少女が何かを語り合いながら、楽しそうに歩いている。

 金網に貼られた大きな星条旗の前で、三人は足を止めた。Flag of Honor(名誉の旗)と呼ばれる旗だ。あの日のテロで亡くなったすべての人の名前が、小さな文字で印刷され、星条旗をびっしり埋め尽くしている。

 Now and forever it will represent their immortality

We shall never forget them

 今も、とこしえにも、彼らは死んではいないことを象徴している

 我々は彼らを決して忘れない

 星条旗の隣には、三十代ほどの男性の顔写真が貼られていた。白っぽいシャツを着て、首を右に傾け、笑っている。写真はビニールで覆われ、星条旗と同じブルーのリボンで、両端をしっかり金網にくくりつけられていた。

 女の子はバッグの中からペンを取り出すと、星条旗に向かって、何か書き始めた。ふたりの女性は、祖母と母親だろうか。少女を見守っている。

 私に気づくと、年配の方の女性がほほ笑み、言った。

 この子の父親なんですよ。

 少女は父親を失い、その人は息子を失い、そして、そばにいた女性は夫を失った。

 かける言葉が見つからない。私は黙って、ただ、少女の肩をそっとさすった。

 胸が詰まり、何も言えない私を察したのだろう。祖母がほほ笑みながら、私に言った。

 Thank you for caring.

 気にかけてくださって、ありがとう。

 三人が立ち去り、私は写真の前にただひとり残った。リボンと同じブルーのインクで、少女が書いた不ぞろいの文字は、ところどころにじんでいる。

 Daddy, I love & miss you.

 ダディ、愛してる。会えないなんて、さびしい。

 少女の笑顔は、この写真の父親にそっくりだった。父親は、胸の前でぎゅっと拳を握っている。笑顔はやさしいのに、手の血管がはっきりと浮き出て、力が入っているように見える。

 負けるなよ。いつもダディがついているからな。

 そう、少女を元気づけているかのように。

 このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第4弾『ニューヨークの魔法のさんぽ』に収録されています。

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