AIのトリセツ

黒川伊保子・著

扶桑社新書・刊

  

たとえば、新聞記者は、現場に駆けつけて見たこと、そこに居合わせた人の話を聞いて、記者自身が知らなかったことをメモする。それはまだ、世の中の誰もが知らない言葉だったり、現象だったりする。つまりその瞬間だけは、AIはまだ知らないのだ。記事が公開された瞬間、それはAIの学習対象となり、社会全体の知識へと組み込まれていく。AI時代とは、人間が新しい経験を生み出し、AIがそれを蓄積していく時代でもある。

 生成AIが仕事や生活のあらゆる場面に浸透する中、「AIとどう付き合えばいいのか」という問いは、誰にとっても身近なものになった。人工知能研究の第一人者であり、感性アナリストとしても知られる黒川伊保子氏の新著『AIのトリセツ』は、AIの使い方を解説する技術書ではなく、人間がAI時代をどう生きるべきかを考えるための一冊である。

 著者は富士通でAI研究に携わった経験を持ち、長年にわたり脳機能論や言葉の持つ感性について研究を続けてきた。その知見をもとに、本書ではAIの長所だけでなく、見落とされがちな弱点にも光を当てる。 

 印象的なのは、「AIは人間の感情を増幅する存在である」という視点だ。AIは膨大な情報をもとにもっともらしい答えを返すが、それが必ずしも正しいとは限らない。ときには極端な意見や誤った情報をもっとも自然な文章として提示することもある。そのため著者は、AIを悩み相談の相手として全面的に信頼することや、最初に提示された答えをそのまま受け入れることに警鐘を鳴らしている。

 さらに本書では、「AIには身体性がない」という独自の考え方が示される。人間は経験や五感、身体感覚を通して物事を理解するが、AIにはその感覚がない。だからこそ、最終的な判断や価値の創造は人間の役割であり続けるという主張には説得力がある。

 子どもとAIの関係についても多くのページが割かれている。前頭前野が発達途上にある13歳未満の子どものAI利用には慎重であるべきとし、現実世界での体験や人との対話を重ねることが、将来AIを使いこなす土台になると説く。AI教育が注目される今だからこそ、保護者や教育関係者にも参考になる内容だ。

 タイトルからはAI活用のハウツー本を想像しがちだが、本書の本質は、人間が持つ感性や身体感覚の価値を改めて見つめ直すことにある。「AIに勝たない、媚びない、平気でいる」という著者の言葉は、AIを過度に恐れることも、過信することもなく、冷静に付き合う姿勢を象徴している。

 AIが日常の道具となった今、必要なのは新しい技術を知ることだけではなく、人間にしかできないことを見つめ直すことなのかもしれない。本書は、そのヒントを与えてくれる一冊として、多くの読者の関心を集めそうだ。AIを便利な道具として使う一方で、人間にしかない経験や身体感覚の大切さを改めて考えさせられた。

 AIは過去を学ぶことはできる。しかし未来を最初に見つけるのは、いつの時代も現場に立つ人間である。AIは現場には行かない。本書は、その当たり前の事実を改めて思い出させてくれる。(三浦)