母が昔からよく使う言葉の中に、私がどうしても好きになれないフレーズがある。
「私の仕事を増やさないで」
たいていそれは、私が何か失敗をした時や、家のルールを間違えた時に言われた言葉だった。忙しいのにこれ以上迷惑をかけるな、もっと注意深くなれ、というその裏の意味は、自分が母になってからは、よく理解できるようになった。だが私は、娘に同じ言葉を使ったことは一度もない。この一言を聞くたびに心がきゅっと固くなり、悲しくなったことを覚えているからだ。子供の私にとってそれは単なる注意ではなく、「あなたは私の負担を増やす厄介な存在だ」という意味に等しかった。
日本では昔から「人に迷惑をかけないこと」が美徳とされてきた。電車の中では静かにし、公共の場はきれいに使い、相手の時間や労力は極力奪わない。そうした心遣いは日本社会の素晴らしさの一つだと思う。
しかしその価値観が強くなりすぎると、人は他人にも自分にも厳しくなる。困っていても助けを求められず、育児や介護を一人で抱え込んでしまう。さらに「人に迷惑をかけない」は、裏を返せば、「自分も人から迷惑をかけられるべきではない」という価値観でもある。自分にそこまで厳しく律してきた分、他人にも同じ基準を無意識に求めてしまうのだろう。困っている人を見ても「自分で何とかすべきだ」と考え、時には他人の不手際を公然と批判することさえある。または、下手に介入して、逆に迷惑になる事を避ける人もいるのかもしれない。
実は私は、音楽の世界でも同じことを感じる時がある。ある高名な指揮者のもと、著名なオーケストラと共演した時のことだ。私は迷惑をかけまいと様子を伺いながら歌い、そんな私を気遣って彼も控えめに棒を振り、その空気を読んだオーケストラもまた固唾をのんで演奏していた。皆が互いに遠慮し合うあまり、音楽が縮こまってしまって、三者で苦笑したことがある。本来アンサンブルとは、互いに遠慮し合うものではなく、よく聴き合いつつ自分のやりたい事を表現し、そして相手も受け止め合いながら一つの世界を創り上げていくものだ。
社会の中で生きるということは、このアンサンブルと同じではないかと思う。隠居した仙人でない限り、誰にも迷惑をかけずに生きられるわけはない。気を配りつつ助け合い、時には面倒をかけ合って生きていくものだ。その温かいやり取りの繰り返しの中にこそ、人間関係の豊かさがある。
日本にはまた、「困った時はお互い様」という暖かい言葉もある。気をつけていても迷惑をかけてしまった時、かけられた時には、「お互い様」と笑って許し合えるバランスの良い社会が、一番居心地が良いのではなかろうか。「迷惑をかけない」が日本の美徳であり続ける一方で、「迷惑をかけ合うのもまた人間」と認め合うことも同じくらい大切な価値観として育ってほしい。
母のあの言葉も、きっと彼女なりの不器用な、「迷惑をかけないで」という時代の呪縛だったのかもしれない。私自身はそんな「お互い様」の精神を胸に、今日もまた誰かに少し迷惑をかけている。
田村麻子=NYタイムズ紙に「輝くソプラノ」と絶賛されリンカーンセンターデビュー。欧米歌劇場で『椿姫』『ルチア』『蝶々夫人』他、数々の主役に抜擢。W杯前夜祭3大テナー公演で故パヴァロッティらと共演。MET管、BBC交響楽団などと共演。MLB公式戦にて外国人初の米国国歌斉唱の栄誉を担う。ディステファノ国際コンクール(伊)1位。米マネス音楽院首席修了。世界を舞台に活躍する国際的プリマドンナ。

