ニューヨークという街は、かつて「頑張ること」が似合う場所だった。
朝からジムに行き、仕事後はパーティーで名刺交換。夜中まで働き、週末は美術館や話題のレストランを巡る。忙しさそのものが、ある種のステータスだった時代が確かにあった。
ところが最近、周囲の友人知人から不思議と同じ言葉を聞くようになった。
「もう、そんなに頑張らないことにした」
皆、これまで猛烈に働き、人並み以上に成功を収めてきた人たちだ。だから最初は、年齢的な節目からくる実感なのだろうと思っていた。しかし二十代や三十代の若い世代と交流していても、なぜか同じ空気感に出会うことが多い。どうやらこれは個人の変化ではなく、パンデミックを経て、ニューヨークという街の価値観そのものが変わってきた気がしてならない。
以前のような「もっと上へ」「もっと成功を」という熱量が、街全体から少しずつ静かに薄れてきている。
かつて忙しさは正義だった。しかし今は、「ちゃんと寝てる?」「無理しないで」という会話の方が増えた。ウェルネス産業は巨大化し、瞑想アプリが流行する。ハイエンドなレストランより、どんなセラピーが効き、お気に入りの癒しグッズやリラックス法は何かと言った話題の方が、断然盛り上がる。平たく言えば、皆、疲れているのだと思う。インフレーションに。長引く戦争に。どこに向かっているのか分からない政策に。
確かに賃金は上がった。しかし同時に家賃は異常に高騰し、外食の価格もチップの相場もここ数年でさらに跳ね上がった。
「夢を叶えるため」から、「何故にここにいるのか」と、自分に確認しなければ生き抜けない街になって来ていると感じる。
ただその一方で、興味深い変化も見える。人々が「自分が本当に好きなもの」に対して、正直になってきたという事だ。
かつて、自分のやりたい事を優先したり、自分を一番大切にする事は、「わがまま」と同義語であった。成功とは、自分の成したい事を成すと言うよりも外の物差しで、稼いだ人、名声を得た人、と言う意味を指した。しかし自分の成したい事をする事こそが自己を大切に、自身に敬意を持つ事と同義であり、ひいては他人の事も同様に大切に扱う事に繋がると、多くの人が気づき始めている。そして結局は、その方が人間関係も人生も、ずっと健全に循環していく。自分を大切に扱うとは、甘やかせて楽をしたり、怠ける事では無く、真剣に自分と向き合う事でもあるからだ。
実際、「自分の本当にやりたい事だけをして、会いたい人とだけ会う」と決めた友人が、私の周囲には驚くほど多い。無理に流行を追わず、背伸びもせず、本当に好きな小さな店に静かに通う。それはある意味、この街がたどり着いた「成熟」の形なのかもしれない。
少し前に一緒に仕事をした二十代のモデルの女性から聞いた話が、深く心に残っている。
彼女はハーバード大学で経済を学び、幾つもの言語を話す才女で、卒業後は金融業界で働いていた。しかし「自分の居場所ではなく、面白くなかったから」辞めた。以前なら、「折角ハーバードを出たのに」と言われたかもしれない。でも彼女は、そんな世間の物差しを軽々飛び越え、自分が本当にやりたい事を選んだ。その屈託ない姿を見ながらこれが今のニューヨークなのかもしれないと感じた。この街は今でも、圧倒的なエネルギーに満ちている。しかしその質が変わった気がする。
以前が、外へ、より上へと向かう力だったとすれば、今は内なる自分を守る為、頑張らずに生き延びる知恵。競争の街から、本当の意味での自分ファーストを模索する街へ。私たちは今、その新しいフェーズに生きているのかもしれない。
田村麻子=NYタイムズ紙に「輝くソプラノ」と絶賛されリンカーンセンターデビュー。欧米歌劇場で『椿姫』『ルチア』『蝶々夫人』他、数々の主役に抜擢。W杯前夜祭3大テナー公演で故パヴァロッティらと共演。MET管、BBC交響楽団などと共演。MLB公式戦にて外国人初の米国国歌斉唱の栄誉を担う。ディステファノ国際コンクール(伊)1位。米マネス音楽院首席修了。世界を舞台に活躍する国際的プリマドンナ。

