コロナで異常事態の日本、渋沢栄一の墓碑静か

東京レポート2

北岡和義

 静かです。気味が悪いほど国民一般は静かです。声高に嗤い、喧しいのはテレビのコマーシャルだけ。政府はメディアを通じ「緊急事態」を姦しく叫んでいるが、国民はその言葉に飽き飽きし倦んでいる。それこそ「異常事態」だ。

 なんとかワクチン接種も始まってその効果が出始めたら新型コロナウイルス禍も鎮静化が見えるかもしれない。今のところ感染者数は以前よりマシになったが高止まり。警戒は続けるしかない。ぼくは独り杖をつき散歩にでる。

 ぼくが5月14日夜、ようやく取れたワクチン接種のアポイントは7月7日、七夕さままで待たねばならない。メディアでは「接種は順調」と報じているが、実態とかなり乖離している。間違いの混乱や無駄がでている。

 しかも7月23日から予定されている東京オリンピック・パラリンピックを日本政府も東京都もオリ・パラ組織委員会も頑なに「やる」と言っている。

 厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は国会で公然と開催反対を言明した。感染症の専門家なら当然の主張だろう。そこを敢えて開催して感染拡大が選手らに及んだら誰が責任をとるのか。どうも政府のやることは理解し難い。

 新型コロナウイルスのパンデミックは自然災害の一種である。人類が自然に試されているとも言える。茶の間の関心事は相変わらず美味しいもの、可愛いものが中心で“スタジオ井戸端会議”番組がプライムタイムを独占している。その番組の程度の低いこと。目も当てられない。JRの駅や新幹線はガラガラ。多くの企業や大学ではオンライン会議や授業だ。

 東京オリ・パラの後は衆議院議員の任期切れで総選挙、前後して自民党総裁選挙。白けるなあ。東京は「静か」だが、白け切っている、というのが本当のところ。ぼくは肝臓ガンで2年半、病院へ通っているが、改善のサインは観られない。

 ポスト・コロナはどんな社会となるのだろう。興味津々だが、それをみることができるかどうか。厄介な初夏の東京である。

 イライラを鎮めるため散歩に出た。近くの谷中霊園へ行ってみた。日暮里の駅からは一番奥の方角、徳川慶喜の墓の敷地は広大。さらにその北の奥の隅の一画に渋沢栄一の墓が広い。墓碑3基のうちの真ん中。墓地の中央に渋沢栄一の背高い墓碑が無言で建っていた。語りかけたくなった。深谷の血洗島の百姓の倅が・・・。じっとその高い墓碑を眺めた。涼風が頬を撫で気持ちがいい。

 日本に近大経済組織をもたらした渋沢栄一の墓碑は無言で建っていた。渋沢栄一は維新3傑とは違った、もう一人の近大日本の偉人である。セントルイス郊外に住む渋沢栄一の曽孫子に会いたくなった。彼とピアノバーで飲んだのは40年以上も前のLA。渋沢は英語の上手い明るい性格の銀行マンで、議論好きだった。現在92歳。元気だ。その頃30代だったぼくは希望に燃えていた。

(きたおか・かずよし/ジャーナリスト)

(写真)広い渋沢栄一の墓。3つ並んでいる墓標の真ん中(左から2つ目)が渋沢栄一の墓標