日本人女性JAZZ演奏家
ハモンドB3オルガンで多様な音響テクスチャーを創り出すことで知られるジャズの名手、敦賀明子さんが9月13日、ブルックリンの病院で死去した。58歳だった。敦賀さんの公式インスタグラムにより明らかになった。それによると敦賀さんは半年にわたり闘病していたが、13日午前3時57分に永眠した。近親者の間で葬儀を済ませた。9月24日付NYタイムズ紙は、敦賀さんの死去について次のように報じた。
幅広い音色で知られ、サックスの巨匠ルー・ドナルドソンとの共演で名を馳せ、ソロ活動でも精力的に活躍した。夫でジャズトランペッターのジョー・マグナレリ氏によると、短期間の闘病の末、病院で息を引き取ったという。四半世紀にわたり、雄大なB3オルガン(61鍵盤×2段のキーボード、ベースペダル、音色変化用のドローバーを備える)を用いて広域な音色パレットを創出し、男性中心のアメリカン・ジャズ界で独自の地位を築いた。

敦賀さんは1967年9月1日、大阪で生まれた。彼女は幼い頃から、ジャズファンだった祖母からの音楽教育を受け、3歳で地元のヤマハ音楽教室で学び始めた。初めてオルガンを手にした彼女は、すぐに夢中になったという。昨年ホットハウス誌のインタビューで「ペダルに足が届かなかったので、左手で低音を、右手で和音とメロディーを弾いていた」と語っていた。
ニューヨークで一緒に演奏をしたジャズピアニストの大江千里さんは、「つるりんは分け隔てなくジャズの現場に僕を入れてくれて、いろんな音楽家を紹介してくれたし、一緒にたくさん曲を演奏しました。連弾をしたこともあります。同じ関西出身なので会話はいつもボケとツッコミで楽しい思い出ばかりです。一緒に行ったフォートリーの韓国料理、この秋には1人で行ってみます。彼女の「さくら」というアルバムが好きで、ジャケットで着用する着物を一緒にルーズベルトアイランドへ探しに行った思い出もあります。あのアルバムは僕にとっても印象深いです。僕にできることは、まさに彼女の素晴らしいソロの後と同じように、手のひらが腫れるくらい大きな拍手で送りたいです。つるりん! また会おう!」と話した。

