眞子さん初めてのお仕事

メトロポリタン美術館日本館

展示作品のカタログに実名で解説

 秋篠宮家の長女、小室眞子さん(30)が、ニューヨークのメトロポリタン美術館アジアギャラリー内日本館に展示されている掛け軸のオンライン版のカタログに実名でこのほど解説を執筆し、同美術館デビューを飾った。この掛け軸は、沖縄の画家、山田真山(1887〜1977)が、鎌倉時代(1192〜1333)に仏教を大勢の人々に紹介するために日本中を旅した僧侶、一遍の生涯に着想を得て描いた作品。日本館の展示ホールを正面から奥に進み、突き当たりの右側の壁のガラスケース内に2点展示されている。(写真)眞子さんが解説を書いた山田真山の掛け軸(左の2枚、日本館で4月16日、写真・三浦良一)


メトロポリタン美術館

 このカタログには、絵の詳細な分析、一遍の生涯の物語、一遍の描写の違いについての説明が英文でなされている。同美術館のアジア部門責任者のジョン・カーペンターさんが記述した解説「平清盛入道図」を同氏の指導で加筆修正したもので、同美術館のホームページでは「Monk Ippen Giving a Warrior the Tonsure and His Wife as a Lay Buddhist Nun」のタイトルで紹介されている。現在展示されている日本館でのケース内の表題はまだ修正前の「山田真山筆、平清盛入道図」のラベルが貼られている。

 眞子さんは、国際基督教大学で芸術と遺産の学士号を、2016年に英国レスター大学で博物館とギャラリー研究で修士号を取得し、東京大学の大学博物館では特別研究職を務めて施設と皇室の職務を両立していた。現在は、ビザの関係で報酬を伴わないインターンに近い形での勤務と見られるが、パンデミック以降同美術館では大規模なリストラがあったため、経済再開と共に今後、スタッフの増員は急務で、眞子さんのキャリアからして将来的には段階を踏んで正規職員への道も大いにありそうだ。

鎌倉時代の一遍上人を紹介

 眞子さんの記名があったのは、メトロポリタン美術館の所蔵品紹介のうち、山田真山の絵画『「發心 出家」一遍聖絵(ひじりえ)の場面より』の解説文。鎌倉時代の僧侶で、時宗の開祖・一遍を描いた絵巻を題材として描かれた絵であると紹介している。解説の全文は次の通り。

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 一遍は1299年に描かれた絵巻物(国宝)が有名だが、その後の模写や写真による複製もあり、この二幅の掛軸は一遍聖絵の一場面をそのまま描いたものと思われる。真山がどの絵巻を手にしたかはわからない。原巻は、阿弥陀仏を信仰し、念仏を唱える智宗の開祖、一遍(1239〜1289)の信仰生活を描いた12巻からなる巻物である。1278年、一遍は全国行脚を続けながら、備前国(現在の岡山県)藤井で教えを広めていた。カリスマ的な僧侶の説法に多くの人が感動したが、巻4の第3段では、岡山・吉備津神社の宮司の娘婿で、夫の留守中に発心して仏門に入った女性の体験談を取り上げる。

 原図では肘掛に座って一遍から剃髪を受ける姿が描かれているが、右隻は誓願直後の姿で、尼僧の衣をまとい、数珠を持ち、肘掛に座って家人に取り囲まれた姿である。真山の右端の女性は、巻物の人物(おそらく若い男性)に似ており、膝をつき、袖を顔に当てて泣いている姿はよく似ている。また、尼僧の背後の床の間には「阿弥陀降臨」の図が描かれているが、これは巻子本の「阿弥陀降臨図」に描かれている雲に乗った阿弥陀仏から着想を得たのであろう。

 岡山吉備津神社の宮司の息子で武士の夫が帰宅すると、妻の改宗に腹を立て、一遍を刀で斬り殺そうとした(『一遍聖絵』の原画の場面)。しかし、一遍に話しかけられ、初対面にもかかわらず自分が神主の息子であることを知ったことから、すぐに悔い改め、智宗に改宗することになる。左隻は、明らかに一遍の絵伝をもとに新山が描いたもので、神官の子が一遍から得度を受ける場面である。右隻と同様に、一遍上人伝の二場面と比較すると、人物の姿勢、服装、背景、添景など、いくつかの点で共通点が見られる。例えば、日焼けして黒ずんだ顔の一遍は、肌の白い武士の上に立っており、両者とも右を向いている。黒衣をまとった僧は、左手を男の頭に置き、右手で武士の髪を剃り落とす。男は一遍を殺そうとした形跡のある刀、木製の水桶、折りたたんだ烏帽子を地面に置いている。背景には苔や地衣類に覆われた木々が描かれているが、真山は日本画の現代的な手法で描いている。

小室眞子、ジョン・T・カーペンター翻案、2022年2月3日