編集後記 8月10日号

妹を背負って火葬場に立つ少年—。広島、長崎に落とされた原爆の写真展のパネルの前で動かなくなった男性がいた。竹下宏さん(72)。

母親が長崎で原爆に遭い、その2年後に生まれた。小学校3年生ぐらいの時に長崎市立西坂小学校の校庭で花壇を作っていたら、土の中からチョコレートのように溶けたビール瓶が何本も出てきた。今でもその時のことを鮮明に覚えているそうだ。原爆投下から74年目の夏。5日夜、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで広島・長崎平和式典が超党派の宗教団体の主催で開催された。川村泰久国連特命全権大使次席常駐代表が登壇し「唯一の被爆国として日本は『核なき世界』を実現するため努力する義務がある。将来の世代に核兵器の非人道性について将来の世代に伝えていくことも日本の大事な役割。広島・長崎の悲劇は決してくりかえされてはならない」とスピーチした。式典には多くの日米市民が参加し、松井一實広島市長からのメッセージを古本武司NY広島県人会名誉会長が、長崎市長からのメッセージをNY長崎県人会の佐藤哲也会長がそれぞれ代読した。式典が開催されたジャパン・ソサエティーは、1907年に設立され、第二次世界大戦中は一時活動が休眠したが、戦後、ジョン・D・ロックフェラー三世による財政基盤の立て直しで、現在は日米親善文化交流の米国東海岸における最大拠点となっている。原爆の開発に必要だった莫大な資金は、ロスチャイルドとロックフェラーの両財閥から提供されていたことを考えると、戦後以降ロックフェラー財閥が支えたジャパンソサエティーで原爆平和式典が開催されたこと自体に偶然とはいえ意義深いものも感じる。日本で原爆投下の是非をアメリカの教室でディベートする様子を描いた小説『ある晴れた夏の朝』(偕成社・刊/青少年読書感想文全国コンクール中学の部課題図書)がベストセラーになっていると著者の小手鞠さんから昨日メールが届いた。ディベートとは立場を決めてその正当性を理論的に展開して反対論者を論破する疑似討論だ。原爆を投下したそこに「大義」などあるのか。2つの大都市に落とされた大量殺戮兵器は人類の歴史上最大のテロではないのか。そんなものを落としていいはずがない。いかなる理由をもってしてもそこに「大義」などないと確信した戦後74年目の夏だ。紙面では参加者の声を紹介している。(週刊NY生活 発行人兼CEO 三浦良一)