編集後記 3月16日号

みなさん、こんにちは。元プロレス世界チャンピオンのザ・デストロイヤーこと本名、リチャード(ディック)・ベイヤーさんが先週の木曜日、7日、故郷ニューヨーク州バッファロー郊外アクロンの自宅で亡くなりました。88歳でした。ベイヤーさんは、アクロンの高校男女水泳チームのコーチとして毎年2月に開催される米東部高校水泳大会に出場する部員たちを引率し、ロングアイランドのナッソー郡まで遠征に来ていました。1997年まで同校の体育教師でしたが、定年退職後は、水泳部コーチに専念、30年余りコーチを務めました。1953年にシラキュース大学大学院で教育学修士号を取得しましたが教壇には立たずスカウトされてプロレスの世界に。63年(昭和38年)に力道山と繰り広げた世界タイトルマッチは高度経済成長時代の「昭和の日本」を大いにわかせ、また、70年代には日本で放送された「うわさのチャンネル」(NTV)でもお茶の間のタレントとして人気者となりました。日本へは毎年7月に東京都港区で開催される全日本子供レスリング大会に訪日して指導するなど日米青少年の育成に最後まで現役で活躍。2011年の東日本大震災の年には81歳で被災地を訪問して日米新善レスリング大会を開催して被災者を激励しています。20年近く前、取材でアクロンの自宅を訪問したことがあります。デストロイヤーは「いいものを見せてやろう」と言って手招きし、奥の部屋の洋服ダンスの引き出しを開けました。そこには綺麗に折りたたまれたいっぱいの白覆面がびっしりと入っていました。母校シラキュース大カラーのオレンジや、赤、青のストライプの入った白覆面を眺めて彼は言いました。「私はプロレスに向いていたし、プロレスもまた私に向いていた。死んでまた生まれ変わってもプロレスラーになるだろう」と。いい言葉だなあって思いました。その時、この仕事をしていて良かったと思ったのを覚えています。デストロイヤーありがとう。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)