葉室鱗、最後の小説

葉室 鱗・著
朝日新聞出版・刊

 小説家の葉室鱗(はむろ・りん=1951〜2017)氏の訃報が突然届き、驚いたのはもう2年以上前、17年の12月だった。直木賞を受賞し、役所広司と岡田准一の出演で映画化された代表作『蜩(ひぐらし)ノ記』などの歴史・時代小説の名手として知られる人気作家で、まだ66歳だった。
 葉室さんは福岡県北九州市出身。西南学院大学文学部を卒業後、福岡市に本社のあった地方紙記者などを経て、50歳を過ぎてから本格的な創作活動を始め、05年に歴史文学賞を受賞した『乾山晩愁』で作家デビューした。その後、07年『銀漢の賦 』で松本清張賞、12年『蜩ノ記』の直木賞、16年には『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で司馬遼太郎賞とさまざまな賞を受賞、単行本は50冊を超えるほど多作で、新聞や雑誌への連載などもこなす、多忙な作家生活を生きた。
 本書『星と龍』は葉室さんが亡くなる17年4月から11月まで「週刊朝日」に連載。最後まで病名は明かされなかったが、同作品の連載中から小康状態を保ちつつ、病と闘いながら書き続けた。そして11月24日号まで書きあげたが、その1か月後に力尽きた。
 河内の悪党と呼ばれる一族に生まれた楠木正成。しかし彼の信条は正義であった。近隣の諸将を討伐した正成は後醍醐天皇の信頼を得ていくが、自ら理想とする世の中と現実との隔たりに困惑する。本書では、楠木が北条得宗家から近隣の渡辺・保田・越知らを討伐するところから、足利尊氏が弟の直義を助け、東国に腰を据えるまでが描かれている。ここまでで著者が絶筆となり、話がぷっつりと途切れて終わった形となってしまったが、それでも充分読みごたえのある作品だと思う。
 葉室氏が旅立った翌年夏に都内で開催された「お別れの会」で直木賞作家の安部龍太郎氏は、「優しく、思いやりが深く、自分よりも人のことを考える。人の痛みが分かる苦労人であった」と語り、故人を偲んだ。また、本書巻末に9ページにわたる解説「夢と希望と作家の祈りと」を寄せ、「葉室さんが病を押してこの作品に取り組んだ最大の理由は、司馬遼太郎へのオマージュだったと思う」と述べている。葉室氏は司馬氏の代表作『竜馬がゆく』に肩を並べる作品を書きたかったのではないか。庶民の側に立った国民的英雄で、坂本竜馬に匹敵する人物と言えば楠木正成しかない。しかも共に幕府を倒す立て役者となりながら、若くして非業の死を遂げている。だから正成を竜馬のように書いてみよう、そう考えたのではないかという。文体や著述スタイルが『竜馬がゆく』によく似ているのも安部氏がそう考える理由のひとつだ。
 葉室氏がその人生で書いた最後の文章は、臨済宗の禅僧・夢窓疎石が清雅な佇まいで茶を点てながら訊いた「さて、楠木殿は帝と足利が争えばいずれにつかれる」という問いだった。本書は命ある限り書き続けた小説家による、楠木正成の生涯に迫る未完の傑作である。 (高田由起子)