その7:アラビアン・ナイト

ジャズピアニスト浅井岳史のエジプト旅日記

 昼間ピラミッドを見学し、夕刻にコプト教寺院で原始キリスト教に感動、しかし今日はまだまだ終わらない。これは気温が高いからだと思うが、エジプト人が街に繰り出すのは陽が沈んでからである。コプト教寺院は確かにオタクな観光スポットであるが、今から行くオールド・カイロは誰しもが観なくてはならない、1000年以上の歴史をそのままに残すカイロの心臓部なのだ。

 しかも現地の友人、モハメッドが案内してくれるという。モハメッドの啓示通り(笑)、Al Shohadaaと言う駅で待ち合わせ。めでたく3人が揃ってさらに電車に乗ってオールド・カイロへ。

 実は2日前に同じく夜に来てウンザリしたあの街である。秋葉原の人口密度を4倍にして、面積を4倍にしたようなところである。人が多くてまっすぐ歩くだけでも大変だ。駅を降りると直ぐに羊を大量に売っていた。急いでカメラを出して撮ろうとしたら止められた。「悲しいことだが」とモハメッドが「今週のお祭りでみんな屠殺されてしまう」と言う。各家庭でその日まで傷をつけないように大切に飼っておいて、お祭りの日に家長が風呂場で解体するそうだ。ユダヤ教も羊を犠牲にする。イスラム教とユダヤ教徒の原点をここに見る。

 広い通りをかなり歩いてから、路地に入った。1000年間変わる事の無いオールド・カイロの街である。確かに建物が古い。廃屋になっている建物が多いが、その建築様式は今まで観てきた西洋諸国と全く違うエキゾチックなデザインだ。

 モハメッドはかつてはゲームのプログラミングをしていたそうだが、今は観光ビジネスを自分で起業しようとしているとのこと。背がスラッと高いうえに非常にハンサムで、映画で見たようなアラビア人である。しかも非常に誠実で真面目で真剣に建物や歴史を説明してくれる。

 しばらく歩くと大きな石の城壁が見える。昔の砦と回教寺院だそうだ。見上げるほどの高い壁の前で、現地の若い女性がベールをしたままアクセサリーを付けてポーズを取っていた。やはりそうだ!若い女性は宗教、文化、国籍に関係無く綺麗でいたいと思うはずだ!その横では、少年たちがサッカーをしている。エジプトにもチームがある。

 モハメッドが回教寺院に入ろうと言ってくれた。そいつは嬉しい。寺院に入る時は全員靴を脱がなくてはならない。裸足で暖かい石の上を歩く。ところどころには赤い絨毯が敷いてある。中央は回廊に囲まれた大きな四角い広場になっていて屋根がない。天の神と直接対話するためだそうだ。広場には一つ手洗い場があり水が出る。手を清めるためだ。端には木でできた扉付きの階段があり、司祭がその上で演説をするのだそうだ。無数のランターンが吊るしてある。非常に神聖な場所であることは容易にわかる。しかし、この広場に座る人が全員靴を脱いだら帰りに自分の靴が見つけられないのではとどうでも良い心配をしてしまった(笑)。

 旅はさらに続く。所々にカフェもあるが、どうも様子が違う。まず、男性ばかりで女性がいない。水タバコを吸っている人が多い。この光景はかなりエキゾチックである。イスラム教の世界では昔から女性は男性に見られることが御法度である。その風習は今も色濃く残っている。女性がそっと街の様子を見るために作られた専用の出窓と専用ののぞき窓が今も残っている。裕福な家だけだろうが。

 クラフト店もある。金と銀の2種類の金属を混ぜ合わせた皿に、手で複雑な模様を掘っていた。それが実に手練れていて思わず見入ってしまう。

 さらに進むと今度は別の目玉、スルタンの墓所と城がある。なんとここは私がフランスから追いかけているルイ9世率いる第7回十字軍をモンサールの戦いで破ったスルタンのものだと言う。戦いの途中で死んでしまうが、元奴隷の妃がそれを隠して十字軍に大敗をもたらしたそうだ。地中海を挟んで歴史が繋がった。

 彼の説明は続く。喜望峰を発見したバスコ・ダ・ガマに端を発したポルトガルとの戦争、征服者ではあるが、エジプトを世界に紹介する役割を果たして本当は感謝しているナポレオン(ロゼッタストーンのことだな)などなど。

 普通ならこの辺でカフェにでも入って一服するものだが、彼は違っていた。なんと彼は昔砂漠の部隊にいたそうで、10日間飲まず食わずで歩き続けることができるそうだ。でも私も相棒も砂漠部隊のトレーニングを受けているわけではない。ちなみに後どれくらいあるか聞いたら、まだ半分も見ていないとの事(笑)。夜11時を過ぎている。流石に帰ることにした。それにしても深夜にこの人出とこの喧騒、同じ頃に近くで爆破テロが起きて20人が死んだことなど知る由もなかった。(続く)

浅井岳史(ピアニスト&作曲家)www.takeshiasai.com