激動の時代を生きる

ロシア人青年兄弟の「大脱走」

 そのロシア人青年は、初対面の印象を一言でいうと、若き日の映画俳優スティーブ・マックイーンのような風貌だった。11月の初旬、ロングアイランドの知人の集合住宅にロシアから身を寄せているという。隣人の日本人の知り合いの紹介で取材に応じてくれ、室内で面会した。

 名前はアレクサンダー(仮名)で29歳。職業はジャーナリスト。写真はNGとのことだった。9月の第4週に、双子の兄弟と2人でモスクワからカザフスタンとの国境近くの都市オーレンブルロへ行き、そこから約12キロ離れた国境まで歩き、ロシアのパスポートでカザフスタンに入国した。次にイスタンブールに行き、そこからイスラエルに向かった兄弟と別れ、彼は単身エジプト航空で10月26日ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に着いた。これまでニューヨークには観光で10回ほど来ていて、身を寄せているオーストリア系移民の友人の招きでロシアから逃げてきた。

 国外脱出の理由は、ロシア政府が民間人を軍事徴兵しはじめたため、命の危険を感じて兄弟で国外脱出を決めたという。2月にロシア軍がウクライナに侵攻した当時、ロシア政府に賛成する人は約6割、反対する人は4割ほどいたという。ロシア内での仕事はインターネットマガジンで映画やゴシップなどの記事を担当していて政治に関する記事は自由には書けなかったそうだ。今の心境は複雑だ。安全なところにきたという安堵感と、モスクワにいる両親のことが気がかりで、自分の国には愛国心があるものの、戦争には反対だしそれに加担したくはない。親とはラインで頻繁に連絡が取れており、最初は心配してくれていたが、今では安全なところにいられるだけいるようにと理解を示してくれている。

 ロシアの若い世代はテレビ以外の世界の情報に接することができているが、親の世代は国営テレビしか見ないのでロシア政府のいうことをそのまま信じている。ただ、アメリカにきて、西欧のメディアの報道を100%信じているというわけではない。国家は国家にとって都合のいいニュース、国民が聞きたがっているニュースを流すものだからだ。戦争報道はジャーナリストといえども戦場で全体の戦況などを独自に把握できるわけもなく、政府の報道官の発表をもとに状況を報道するしかないからだ。まだ、自分に何ができるのか、戦争がいつどのように終わるのかもわからない。自分の生まれ育った国は好きだし、ウクライナとロシアはそれぞれの国民の親戚が両国にまたがって暮らしており、本当に普通の人々なので、ロシアにいる親や親戚、友人ともまた再会したいが、それがいつになるのかはまったく分からない。米国に逃れてきた安堵感はあるが、幸せではなく、複雑な、入り混じった心境だ。

 身を寄せている知人の親はヒトラーからの迫害を逃れてオーストリアから米国に渡ったユダヤ人だ。インタビューの間、ウインナーコーヒーを淹れてくれた。ニューヨークの五番街にあるノイエギャラリー地下のオーストリア・レストラン、サバスキーと同じように銀のトレイでサーブしてくれた。取材での写真はそのコーヒーを撮影することだけが許された。(三浦良一記者、写真も)