激動の時代を生きる

歴史上同じルーツなればこその複雑さ

マヤ・ノビコバさんとビタリー・ソキアコさん親子

マヤ・ノビコバさんとビタリー・ソキアコさん親子

マヤ・ノビコバさんとビタリー・ソキアコさん親子

 母親のマヤ・ノビコバさんと、息子のビタリー・ソキアコさんはウクライナのキーウ出身のユダヤ系ウクライナ人、ビタリーさんが5歳の時、マヤさんの夫が交通事故で亡くなった。その後、マヤさんはビタリーさんを連れてニューヨークに移住し再婚した。ニューヨークに来て29年が経つ。

マヤ=ロシア人とウクライナ人は歴史上同じルーツを持っています。歴史をさかのぼれば1223年の現在のウクライナのキーウを流れるドニエプル川の中流にあったルーシ(現在のキーウ)の支配を巡ってモンゴル帝国のルーシ侵攻に始まります。彼らはウクライナとロシアの別々の国を作りました。以前は、キーウもロシアも同じスラブ語を話していました。

 ロシアのウクライナ侵攻はとても私の心を痛めました。私は今でも親類や親しい友人がキーウにいます。彼らにできる限りの経済的な援助をしていまし、携帯電話で話しもします。

 私はキーウに住んでいましたが、ロシア文化の中で育ちました。当時はまだソビエト連邦の一部だったからです。私たちにとってロシア文化は全てでした。もう一つのポイントとして、なぜこのようなことが起こったか理解できます。それはロシア帝国、ソビエト連邦の歴史です。全ては歴史から始まっています。ウクライナはロシアからの独立のために戦っていますが、ロシアはウクライナを手放したくないのです。ウクライナがロシア帝国の一部だったからです。

ビタリー=私はウクライナのキーウで生まれ5歳まで過ごしました。6歳のときにニューヨークに移り住みましたが、今でも肉体的にも精神的にもウクライナに繋がっています。ロシアのウクライナ侵攻には、とても深く、長く感情的な歴史があります。それがこの問題の鍵だと思います。私の母が言ったようにウクライナ人はロシア文化、スラブ文化の中で育ってきた。私はロシア語を話しますが、ウクライナ語はなせません。私は今は、アメリカ市民ですが、アメリカ人はロシアで何が起こっているか、もっと注意して知るべきです。ウクライナがロシアから離れて独立することで、ロシアは恥をかきたくないのです。私はロシアがウクライナに侵攻したことに驚いてはいません。この侵攻2014年のクリミア危機から始まっているのです。ウクライナは領土を取り戻す戦いを続けるでしょう。私はロシアが自尊心を傷つけられてどんなことをしてくるか心配しています。いずれウクライナは西側諸国に参加するでしょう。ロシアはそれを受け入れなければなりません。

マヤ=ロシアのウクライナ侵攻に関しては、私はウクライナのテレグラムやユーチューブなどのニュース記事しか読んでいません。私はキーウに友人がいます。ドンバス州の首都ドネツクにも友人がいます。彼らとも連絡を取り合い、それぞれの地で何が起こっているか、私は彼らから聞いて知っています。

ビタリー=私が信じているのはウクライナにいる人々がソーシャル・メディアに投稿しているものです。編集して作り上げたものではない真実です。彼らが自分の携帯電話で撮影しているのが明らかなものです。私の携帯にはメッセージボードの「Reddit.com」というソーシャル・メディアのアプリがあります。このサイトは様々なソーシャル・メディアの投稿を集めて載せています。Facebookとは違い匿名で投稿されています。現場にいた目撃者によって投稿されています。現実に今、ウクライナで何が起こっているかを知ることができます。

 2014年ロシアがクリミアを併合した後、プーチンがスピーチをした時のビデオを見ました。彼はとてもチャーミングで、優秀で、ユーモアがあり、スピーチがとても上手です。彼のスピーチを聞いた人は彼を信じたくなるのです。全て彼が言っていることを信じるように巧みに操作されているのです。

マヤ=私は友人や親戚がロシアとウクライナにいます。ほとんどのロシアにいる友人と親戚はこの侵攻に反対しています。しかし、公に言うことはできません。とても危険だからです刑務所に行くことは誰も望んでいません。2014年以降、私のウクライナに住む友人の一人はとても強固な新ロシア派です。旧ソ連時代に生まれ、ロシアは自分の国、自分の文化だと思っています。彼女はウクライナの文化を軽蔑しています。キーウはロシアの一部だと思っています。キーウがロシアの一部だった旧ソ連時代に生まれ、ロシアの言語で育ったからです。彼女は生まれ育った環境を変えたくないのです。キーウはウクライナの首都ですがロシア語を話します。特に東ウクライナは、ロシアの勢力下にあった時期が長く、ロシア語を話しますが、現在は、ロシア語とウクライナ語の両方を話します。西ウクライナは、かつてオーストリアやポーランドの支配下にありましたが、ほとんどの人がウクライナ語を話します。私が生まれ育った時代のキーウではロシア語を話していました。まるでロシアの植民地のようでした。しかし、今は変わりました多くの人がウクライナ語を話します。多くの人が意識的にロシア語を話さなくなりました。

 ビタリー=母が言ったことに少し加えたいです。旧ソ連時代の初期は、文化的にロシアに浸透していました。それは侵略されていた過去の長い歴史があるからです。それゆえにウクライナの大都市ではロシア語を話します。ソビエト社会主義共和国連邦が始まった時に、彼らはウクライナ人をロシア文化で育てたかったのです。ソビエト連邦が始まって以来、ロシアの計画は全てのスラブ民族をロシアの一部にしたいのです。