激動の時代を生きる

「侵攻は耐え難い出来事」

サーシャ、イーナ・べランさん夫婦

サーシャ、イーナ・べランさん夫婦

サーシャ・べランさんとイーナ・べランさん夫婦

 夫のサーシャ・べランさんと妻のイーナ・べランさんは、共に旧ソ連時代のレニングラード(現在のセントピーターズバーグ)出身のユダヤ系ロシア人。一人息子を連れて42年前にニューヨークに移り住んだ。2人にロシアのウクライナ侵攻について聞いた。

 イーナ=ロシアとウクライナでは言葉も違うし歴史も違います。ロシアのウクライナへの侵攻は私にとって耐え難い出来事です。私の人生の半分はロシアで過ごしました。プーチンがウクライナに侵攻した時はとてもショックでした。乱暴で礼節を知らない野蛮な侵攻です。私はこの侵攻に反対です。西側諸国が一緒になってウクライナを助けることができない。ウクライナに十分な兵器を与えることをしていない。ウクライナに十分な兵器があればこの侵攻を短期で終わらせることができます。

 サーシャ=ロシアの侵攻に関しては私も妻と同じ考えです。加えて言いたいのは、どうしてこの侵攻が起こったかです。それは歴史をさかのぼらなければなりません。それを理解するのはとても容易ではありません。プーチンがどのようにしてパワーを持ったか。どうしてこの侵攻が起こったのか。歴史を知らなければそれを理解することはできません。ウクライナには2つのパートがあります。それぞれが違う国に属していました。1929年以前は西ウクライナはハンガリーとポーランドに、同時期に東ウクライナはソ連連邦に属していました。その時、東ウクライナはウクライナの文化や言語を無くしてしまいました。1939年ソ連はポーランドに侵攻し、占領した西ウクライナをウクライナに組み入れた。西ウクライナは彼らの文化を守ることができたのです。

 イーナ=もちろん、ロシアの歴史のこともありますが、この侵攻が始まった時に私は歴史が理由だとは思いませんでした、これはたった一人の男が始めたこと。その男とはプーチンです。これは彼の考えなんです。彼は自分の国民も苦しみに陥れているのです。多くのロシア兵も亡くなっています。これが21世紀に起こっている出来事とは信じがたいです。まるで中世の時代の戦争のようです。私は常にロシア文化を愛し尊敬して来ました。このようなことが私の人生で遭遇するとは全く夢にも思いませんでした。そしてロシア国民の多くが洗脳されてこの侵攻に疑問を持っていません。とても深刻なプロパガンダです。

 私の幼少期から大人への成長の過程で、ロシアはプロパガンダの下にありました。子供のころ学校では一つの思想の元に教育を受けました。そしてそれを信じました。でも、家に帰ると賢い両親は何が正しくて何が正しくないかを知っていました。そして成長する過程で、政府が言っていることは嘘で私たちは政府に洗脳されていることに気がつきました。それが理由で私はアメリカに来たのです。私と夫は私たちの息子がロシアにいることを望みませんでした。当時のソ連はアフガニスタンに侵攻していました。私たちは息子が成長した時に息子が強制的に戦場に送られることを常に恐れていました。

  イーナ=ロシアにいる人たちはこの侵攻に反対でもそれを声に出して言うことはできません、そのようなことをしたら、殺されるか刑務所に送られるからです。反対する人たちは国を離れました。しかし、国を離れることができない人もいます。彼は自分の考えを隠しています。ただ、ひたすら事が過ぎ去るのを待つしかないのです。戦いに駆り出されるのはモスクワ市民ではありません、ほとんどがロシアの貧しい村の若者です。死ぬことがわかっていても戦いに行くのです。なぜならば国が報酬を払うからです。戦場に行く男性はそのお金を家族に残すために戦場に行くのです。

 サーシャ=私の意見としては西側諸国がこの戦いを終えることを決定しなければならないと思います。しかし、彼らがそれをするとは思えない。西側諸国はこの戦争を続けさせたいのではないか。双方の国が疲れ果て、力尽きるまで戦わせる。西側諸国はロシアがこの戦争に負けることを望んでないのではないかと思います。もし、ロシアが負けた場合、西側諸国はどうしていいかわからないのではないかと思います。ロシアは広大な国です、モンスターです。ロシアをマネージするのはとても簡単なことではない。プチーンに何かが起こるまでそのままにしておこう、この侵攻を続けさせておけばいいと思っているのではないでしょうか。