元気、勇気、笑顔と挨拶を忘れないでね!

32年間、NY育英学園で幼児教育をして帰国した

レスコビッツ・まりさん

 ニューヨーク育英学園で幼児教育を主に担当して32年間同学園に勤務したレスコビッツ・まりさんがこのほど退職し、今月9日帰国した。これまで同学園を卒業した児童生徒4000人のうち、 全日制、サタデースクール、フレンズアカデミー、親子教室などで1500人余りの面倒を見て教育に当たってきた。幼稚園児だった教え子も最年長はすでに30代となり、日本社会の第一線で活躍している子も多い。コロナ禍前まで3年に1度、東京の代々木オリンピックセンターで開催された帰国者同窓会では、多くの教え子が集り常に大人気だ。

 レスコビッツさんは、福島県出身で1979年に日本体育大学を卒業、教員免許取得後、東京都内幼稚園体育専任講師となり、その後、大学で専攻していたダンスを活かして、しばらく宇都宮にてダンスカンパニーを主宰していたが、本場のモダンダンスを学びたいと89年にニューヨークにやってきた。そこでご主人となるウオルターさんと出会い、何度か日本とNYとを行き来した後、ニューヨークで結婚、新聞広告でご主人が見つけた育英学園の教師募集の広告に応募して91年4月、岡本徹学園長に採用してもらい、以後32年に渡って同学園で日本人幼児教育の発展に貢献した。

 海外で日本語を身につけ、日本人的な感覚を持った子供に育てるためには何が必要か。「学校だけに頼ったらだめですね。家庭での日常会話をしていく中で、親と子の会話が面白くなって本人が日本語にも興味を持つことが大切なんです」。自ら当地で出産し、自分も同時並行で子育てした体験から「うちでは、日本の漫画を共通の話題にしました。コナンは書店で全巻買って私も読みましたし、日本語放送のテレビでもアンパンマンから始まってニュースや番組の感想を話し合ってました」という。その中で、英語にはない日本語独特のサラサラ、そよそよといった言葉や、お腹がちくちく痛いという表現を身につけていくのだと。

 「お手紙、紙芝居などにある身近な言葉で、例えば『ママ大好き』という自分の気持ちを文字で表現したいという気持ちになった時がシメたもの。そういう気持ちのレール、道筋を作ってあげることが親の役目ですね」と話す。

 「子供は大人の言葉、親の言葉をスポンジのように吸収します。だから褒められると本当に嬉しい。それが、子供の自信に繋がるんです。小学校低学年の時に何か自分に褒められた記憶は大人になっても覚えています。これがダメでも自分にはこれがあるという心の支えになる。それがあるのとないのとでは、前向きに生きていく力が全然違います。明るく、元気で勇気を持って、挨拶をきちんと。中学生、高校生には「夢は大きく、根は深く」と言ってきました」。

 今回、34年過ごしたアメリカを去る。2年前、長年連れ添ってきたご主人が病に倒れ亡くなった。息子夫婦が東京で生活していることもあり、本帰国を決めた。どんな時も明るく人前に立つ時は涙を見せない。帰国後は、育英での経験を生かして、東京で外国人幼児の日本語教育に携わる予定だ。(三浦良一記者、写真も)