レストラン日本創業60周年、ニューヨークの看板和食店

老舗に新時代、名声をさらに

 ニューヨークの老舗「レストラン日本」が、この夏で創業60周年を迎えた。創業者、故倉岡伸欣前社長の教えを継承する「新生レストラン日本」のスタートは、故ミセス倉岡の実妹である現オーナー、古屋昭代さんに引き継がれた。古屋さんから再度の復帰要請を受けて昨年夏、CEOとして5年ぶりに戻ってきたのが木下直樹さんだ。創業者の倉岡氏は、慶應義塾大学体育会剣道部主将だったが、木下さんも同じ慶應体育会バレーボール部出身の後輩。1979年、レストラン日本に入社し、社会人のスタートを切ったのがNYでの人生の始まりだった。レストラン日本の「名声」をさらに一段レベルアップさせ、「ニューヨークにレストラン日本あり」の存在感拡大の任を託されての再登板。古屋オーナー、木下CEO、そして全従業員が三位一体となり「名門復活」に向け日々サービス向上に努めている。

(写真上)2009年に叙勲し夫人と記念撮影する創業者の故倉岡氏

 「新生レストラン日本」が目指す方向性は、「老舗の名前にあぐらをかくのではなく、常に新しいものを目指す挑戦者たれ!」だ。それは、時代の流れ、お客様のニーズを先取りし、それを料理に反映させること。お馴染みの伝統的江戸前に加え、地球に優しく、食物アレルギーのある人にも配慮した健康食「美味しいビーガン料理」の導入だ。既存のお客様に加え、新しくビーガン客を呼び込み、客層の間口を広げる。「日本食には世界に冠たる精進料理の長い歴史があります。アメリカ人客への啓蒙にも努めたい」と意気込みを見せている。今回の創業60周年記念特別メニューとして通常一人88ドルの「ビーガン会席」を特別料金の60ドルで提供する。(注)期間、数量限定。要事前予約。

食文化通じて日米の橋渡し

食後、東総料理長、福本料理長を労う岸田首相

 レストラン日本の60年の歴史は、戦後の高度経済成長、日本企業の米国進出の高まりと重なり、世界経済の中心都市ニューヨークで「食文化を通じた日米交流の架け橋となってきた歴史」と言っても過言ではない。今日、ニューヨークや全米で美味しい日本食が食べられ、寿司ブームや日本食が普及した陰に先代の倉岡氏の孤軍奮闘の弛まない努力があったことを忘れてはならない。

 倉岡さんがマンハッタンの中心、東52丁目に米国で最初の檜作りの本格的な日本料理店「レストラン日本」を開店したのは1963年8月19日。66年には、日本航空ニューヨーク・東京線就航に伴い、レストラン日本が機内食に初めて和食を納入した。2023年現在、ニューヨーク線は週14便を運航中で、就航以来57年、現在に至るまで、全クラスに和食を提供している。「9・11テロ」、「コロナ禍」の苦難を乗り越えられたのも「JALさんとの長年の信頼のお陰」とは機内食部門責任者の坂田、池端両料理長の弁。

マイケル・ジャクソンも

 1975年には、昭和天皇・皇后両陛下ニューヨークご訪米に際して、NY日本総領事公邸での公式晩餐会の料理を受け持った。89年には、米国に「ふぐ」の輸入をする許可を5年に及ぶFDA(米食品医薬品局)との交渉の末、取得。テレビ、新聞などで大々的に紹介され、今や「ふぐ」はNYの冬の風物詩となっている。90年には、そばの自家栽培に乗り出し、自家製二八そばをカナダ・モントリオールの自家農場で北海道産のそば種を使いそば栽培を始め、レストラン日本、そば日本両店で伝統的な二八そばを出し始め、その人気は現在に続いている。2009年には、秋の叙勲で日本食レストラン事業の先駆者として「旭日小綬章」を受けたが、2017年10月に創業者夫人のミセス倉岡が逝去し、それを追うように翌年1月、倉岡氏が逝去。 

セレブも続々だが気さくなお店

来店したアダムスNY市長を迎える木下CEOと古屋オーナー

 同店は、政治、経済、スポーツ、文化人に愛されてきた稀有の顔も持つ。中曽根康弘元首相以来、岸田文雄首相まで歴代の日本の首相がニューヨーク滞在中には必ず会食を通じた外交の舞台にしているほか、松井秀喜さんやテニスの松岡修造さん、伊達公子さんらスポーツ選手にも愛され、秋吉敏子さん、マイケル・ジャクソンさんら音楽家、アンディー・ウォーホルさん、キャロライン・ケネディさん、マイケル・ブルームバーグ元市長、エリック・アダムス市長ら米国の有名人たちもニューヨークで日本食となるとレストラン日本に足しげくやってくる。でも、だからと言って庶民にとっては高嶺の花の高級料理店かというとそんなことはない。そこには倉岡さんが創業当時から守ってきた教えを今も受け継いでいるからだ。それは、開業当時ニューヨークタイムズ紙随一の高名な料理評論家のクレッグ・クレボーン氏が倉岡さんに言った言葉。「もしニューヨークでレストラン経営を永く続けたいなら、本物(AUTHENTICITY)、良質(QUALITY)、リーズナブルな値段(REASONABLE PRICE)、そして現代感覚の推移に常に眼を開けている事!!」というアドバイスだ。

従業員は世界から、レストランのUN

 最後にレストラン日本の60年の歴史の中で忘れてはならないのが、世界各地から逃れてきた難民の人達の存在だ。命からがら逃げてきて到着したのがNYの地。縁あって初めて働き始めたのがレストラン日本。以来40数年、今日に至るまで地道にレストラン日本の底辺を支えてくれている、セイさん(エチオピア)、レムさん(ベトナム)、チャチャさん(カンボジア)、コーさん(ミャンマー)。サービス部門のノーマさん(フィリピン)、マリさん(台湾)、その他、多くの仲間の助けがあったからこそ、こうして60周年を祝える事ができた。

 天国の倉岡夫妻からは「みんな元気ですか? いつもレストラン日本を支えてくれて有難う!」の声が聞こえてきそうだ。多種多様なルーツを持った人々に支えられてきたレストラン日本はまさに「レストラン界のUN」と言っても過言でない。ドアを開けると「いらっしゃいませ!」の明るい声が今日も聞こえる。(三浦)