国連日本庭園を守る

東京農業大学OBの皆さん国連総会前に来米し剪定

 ニューヨークの国連本部ビル正面に、石庭風の日本庭園ができたのは2000年秋。この庭園を設計したのはボストン在住の日本人造園家、阿部紳一郎さん(72)だ。今月12日、阿部さんの母校、東京農業大学の卒業生OBたちが、この日本庭園に咲く楓の剪定作業を行った。翌日に控えた国連平和の鐘の式典に備え、日本からボランティアでやってきたものだ。参加したのは、1974年前後に同大を卒業した阿部さんの同窓生ら9人。国連の日本庭園を同大OBが剪定するのは4年ぶり2度目。2度目の来米者も5人いる。

 今回初参加で50年ぶりに庭園で再会した同窓生もいて旧交を温め意気投合。皆、日本で卒業後はそれぞれ造園関係の事業などを営み、70代となった現在はすでに現役を引退しているが、そこは昔とった杵柄、地下足袋に半被姿で剪定バサミを持てば、元気な植木職人のようにてきぱきと仕事をこなす。ほぼ全員が日本では造園関係の会社の社長さんだったのも頷ける。

 日本庭園の設置計画が持ち上がったのは1997年。平和の鐘の真下にある大会議室でひどい雨漏りがあり、地上の造成工事が必要となった。この改修を機に平和の鐘を中心とした日本庭園を作ってはどうかと、当時のニューヨーク平和の鐘実行委員会役員の池田修臣氏のもとに国連事務局から打診があった。この平和の鐘は、1954年、中川千代治・元宇和島市長の発案で、当時の国連加盟65か国のコインやメダルと一緒に鋳造され、外務省の外郭団体「国連協会」を通じて寄贈された。毎年9月に始まる国連総会の初日に各国代表部大使が列席し、ときの事務局総長と国連議長が総会開会を告げる鐘を打つことでも知られる。今年は13日に鐘が打たれ、日本から鐘を寄贈した中川氏の六女、高瀬聖子国連平和の鐘を守る会の会長が国連本部からの招待を受けて参列した。

 東京農大OBたちはその前日に庭園の最終手入れを行った。阿部さんによると、日本庭園の地下は大会議場になっており、たとえ戦車が上を走ってもビクともしないが、その会議場の上に作る日本庭園は、屋上ガーデン型の建築スタイルを採用した。つまり枯山水の石庭だが、地面に巨岩を埋めることができないので、庭に設置する岩は、あたかも地面に埋まっているように底を平に切り取っている。庭のデザインは国連旗をイメージし、旗の北極に当たる中央部分に平和の鐘堂を配置、仏教の世界観である「九山八海」(くせんはっかい)を表現。ボストン郊外の農家から大きな御影石などを運んで「海と力強さ」を表した。鐘から放射状に経線を引き、波紋状に緯線を施し、石の間に楓15本を植樹してある。阿部さんは、庭園をデザインするときに心がけることが3つある。空間が持つ個性を生かし、材料の長所を最大限に引き出し、空間に配置するものが作り出す雰囲気を演出すること。「デザインはアートではない。顧客のリクエストにどれだけ芸術性を入れるかでグレードが決まる。機能と芸術の境界線をどこに定めるのかがこの仕事の醍醐味」という。

「綺麗に整っていて美しい」

東京農大OB、国連日本庭園の美しさに感心

 「前回来たときよりも枝が伸びてますね。枯山水の石庭ですから石を見せるようにしないといけません」と話すのは中見宰さん。4年前にもここで剪定作業を行った。今回初参加した中島洋二さんは「綺麗な日本庭園ですね。もみじも綺麗に整っていて美しいです」と感心していた。東京農大OB一行は、国連の平和の鐘の式典に出席したほか、ボストン美術館でも剪定作業を行った。 

 参加者したのは阿部紳一郎さん(ボストンの造園会社ZEN理事)、中見宰さん(地球号自然塾開催・世界に日本庭園を造る・静岡県再参加)、瀬川正明さん(設計工房瀬川開催・居心庭の良い庭の提案・茨城県再参加)、山本誠さん(ウォーターデザインCEO・噴水、池、他 東京都・参加)、中島洋二さん(造園土木会社CEO・個人庭園〜公共緑化・群馬県初参加)、蓑茂寿太郎さん(同大学副学長(了)・全世界の日本庭園及び公共緑化・奈川県初参加)、鈴木隆司さん(鈴隆造園経営・国内〜海外の日本庭園・施工管理・静岡県再参加)、周田康裕さん(周田庭園経営・京都を中心に庭園設計施工管理・京都府初参加)、池田真人さん(山梨県再参加)、遠藤裕美さん(華道、茶道、着物着付け師範・アルピニスト・静岡県初参加)。