私の「ニューヨーカー」グラフィティ

常盤新平・著
幻戯書房・刊

 本紙先週号1面で常盤新平さんからの手紙について書いたところ多くの読者からまた連載を読んでみたいとの声をいただいた。本紙で連載した原稿がその後、『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録出版されている。連載第1回目を再掲載する。


常盤新平 ニューヨーカー三昧
I LOVE NEW YORKER 1

 金曜日は11時ごろに出かけて、新宿に行く。紀伊國屋書店で『ニューヨーカー』を買う。この週刊誌を買うようになって、何年になるだろう。

 少なくとも40年近くにはなるだろう。それ以前は船便で予約購読していたのだが、ある日から航空便で入荷したのが紀伊國屋書店に並ぶようになって、便利な世の中になったとよろこんだ。

 予約購読すれば、わざわざ新宿まで出かけなくてすむし、その方が安上がりであるが(書店では一部1291円)、私にとっては2日おくれで届く『ニューヨーカー』を買うのが楽しいのである。

 はじめてニューヨークを訪れたのは30年も昔のことだ。そのときは10日間ほどプラザホテルに滞在したのだが、一番嬉しかったことの一つは、その日のニューヨーク・タイムズを買えることだった。1部15セントだったろうか。それとも10セントか。

 羽田を発った飛行機はホノルルに到着すると、乗客はだいぶおりてしまい、サンフランシスコでは私たちのほかに、ほんの2、3人の乗客しかいなかった。

 ケネディ空港には19時間ほどで夕方近くに着いた。ニューヨーク行きは私が勤務していた会社の社長とニューヨークの出版界視察というのが目的だった。社長に機内で「のんびりやろう」と笑って言われて、気が楽になった。

 タクシーは59丁目を通って五番街に出ると、晩秋の夕闇が迫っていて、黄金の薄霞がかかったような美しい街の風景だった。

 その後、なんどかニューヨークを訪れる機会はあったが、あのような風景を目にしたことはない。もっとも、私ははじめて来たニューヨークに興奮していたのだろう。

 ニューヨークでは街角のニューススタンドで『ニューヨーカー』を買い求めた。そのころから水曜日発売だったのだろうか。

 この週刊誌とのつきあいは50年になるけれども、身を入れて読むようになったのはこの4、5年だ。いまはようやく通読するようになったが、興味のある読物を読むときは、しきりに辞書を引かなければならない。

 辞書を引くのに時間を食う。それは苦にならないが、わからない単語が多すぎる。読解力がいっこうに進歩していないのがよくわかる。

 若い頃はいろんな雑誌を古本屋で買っていた。渋谷や神田の古本屋のほうが早く手に入った。駐留する米軍が放出したそれらの雑誌は少々汚れていた。

 銀座には洋書店イエナがあったけれど、船便で届く雑誌は40日から50日おくれて入荷した。アメリカははるかに遠かったのだ。

 現在私が読んでいるのは『ニューヨーカー』一誌だけで、それで十分に満足している。この雑誌でニューヨークの消息がおおよそわかるし、世界の情勢まで知ることができる。

 8月20日号ではオリーブ油の読物が出ていて、インチキなオリーブ油が大量に出回っていることを報じていた。また27日号には「ニューヨークで最もリッチな建物」という記事でセントラルパーク・ウエストの優雅な建物が紹介されている。

 『ニューヨーカー』を読んでいると、一週間はたちまち過ぎ去ってしまう。私は夜に寝床で読んでいるが、一つの読物を読みおわらないうちに、眠りがやってくる。

 かつて一生つづけたいと思っていたことがいくつもあった。競馬もその一つであるが、年とともにつづけたいものが減っていった。ただ、『ニューヨーカー』だけは辞書を引きながら読みつづけるだろう。

 もはや急ぐことはない。電車の駆け込み乗車なんかもとうにやめている。酒場をハシゴすることもない。

 いっそう忘れっぽくなった。『ニューヨーカー』を読んでも、すぐに忘れてしまう。でも、読んでいるときは。こういう雑誌を読めるのは仕合わせな事だとしみじみ感じる。(作家・東京都在住)(「週刊NY生活」2007年9月8日号18面に書き下ろしで掲載)